経済学・・・
人間のおこなうさまざまな活動のなかから経済活動に着目し、そのとらえがたい活動のなかになんらかの原理・原則・運動法則などを見つけ出そうする学問です。かつて、近代経済学とマルクス経済学がありましたが、マルクス経済学は衰退しました。
経済学の父、アダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)は、倫理学の先生でした。『国富論』で、経済の繁栄を求めるならば、自由主義経済を実現せよ、そうすれば最大多数の最大幸福を達成できる、としました。これを発展させたデビッド・リカード(David
Ricardo,1772-1823)は株屋、トーマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus)は牧師、ジョン・スチュアート・ミル(John
Stuart Mill)は東インド会社の書記でした。そして、カール・マルクス(Karl Heinrich
Marx,1818-1883)はルンペンでした。
アダム・スミスの『国富論』は、個人の悪徳は公共の美徳とする、バーナード・マンデヴィル(Barnard
Mandeville,1670-1733)の『蜜蜂物語』がモデルになっているといわれています。また、市場の自由放任と最大多数の最大幸福という考えは、イギリスの功利主義者ジェレミー・ベンサム(Jeremy
Bentham,1748-1832)が提唱したものです。ジェレミー・ベンサムの思想は、近代デモクラシーの原点となった社会契約説を唱えたジョン・ロック(John
Lock,1632-1704)のモデルを継承しています。
アダム・スミスは当初、モノの価値は、人々がそれをどれくらい欲ているか、によって決まる(効用説)、と考えていました。限界効用説でこの考えを発展させたのが、オーストリア学派のカール・メンガー(Carl
Menger)、ローザンヌ学派のレオン・ワルラス、アンチ古典派のウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(William
Stanley Jevons)でした。限界代替率をさらに発展させてパレート最適を唱えたのが、ヴィルフレード・パレート(Vilfredo
Pareto)でした。
その後、アダム・スミスは、モノの価値は、それを作るためにどれだけの労働を要したか、によって決まる(労働価値説)、という考えに変わりました。デビッド・リカードがこの考えを発展させました。そして、トマス・ロバート・マルサス、ジョン・スチュアート・ミル、アルフレッド・マーシャル(Alfred
Marshall)、アーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou)と連なる古典派を形成しています。
古典派の理論は、供給によって需要は決まる、という考え方です。今日まで、時代の荒波にもまれ、供給は需要によって決まる、というジョン・メイナード・ケインズ(John
Maynard Keynes, 1883〜1946)や経済法則は自分の自由にはできない、というカール・マルクスなどに手ひどく叩かれたりしましたが、いまなお健在です。しかし、需要と供給のバランスが逆転すると、供給過剰が起きてしまうようです。
デビット・リカードは、市場に供給されたモノは必ず売れる(デマンド・オン・サプライ=セイの法則)を前提にし、国際貿易においても自由主義を実現すれば、貿易を行う双方にとって優位になる(比較優位説)と説きました。セイの法則は、ジャン・バプティスト・セイ(Jean-Buptiste
Say,1767-1832)が発見した原理です。そして、市場の自由、資本主義の諸法則を徹底的に追求すれば、神の見えざる手によって資源の最適配分がなされ、最大多数の最大幸福に落ち着くが、長期的に見ると、究極的には、企業家の利潤はゼロになり、労働者の賃金は最低レベルに落ちる、と指摘しました。
トマス・ロバート・マルサスは『人口論』の中で、人口は幾何級数的に増えるが、食料は算術級数的にしか増えず、食料不足が起きて、貧困と悪徳が蔓延する、と言いました。
カール・マルクスは、社会にも目を向けて、資本主義はやがて瓦解し革命が起き、社会主義が勃興する、と経済を軸にして社会の行く末を分析しました。この世の経済、社会、歴史には、それを動かす一般法則が存在し、人間にはこの法則を操作する力などない、といいます。しかし、カール・マルクスの理論は、投下労働時間が市場価値を決めるといいつつ労働の実質的な価値は市場で決まる、という循環論に陥っていると批判されました。
ロシア、中国などがカール・マルクスの思想に飲み込まれました。しかし、マルクスの警告にもかかわらず、法則性をことごとく無視して社会や市場にさまざまな命令を下して、経済運営がうまくいかず、後日、ソ連は崩壊するに至りました。
ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter,1883-1950)は、革新=イノベーションの必要性を説きました。資本主義にとって最も大切なのは革新(イノベーション)であり、これが絶えてなくなれば自由市場は活力を失い、資本主義は衰退してついには消滅する、といいました。
レオン・ワルラス(Leon Walras,1834-1910)は、限界効用理論の発見者の1人で、一般均衡理論を唱えました。あらゆる社会現象は複雑な相互連関の関係にあるとして、その関係を数学で解明しました。この考え方を使えば、カール・マルクスの循環論も説明が可能になるようです。レオン・ワルラスは、経済学を科学にした功績がきわめて大きいようです。
ジョン・リチャード・ヒックス(John Richard Hicks,1904-1989)は、ワルラスの一般均衡理論を継承してこれを完成させました。より精緻な数学に置き換えて依存関係が生む波及効果を数式に定着させました。経済学を本当の意味で科学にした功績が大きいようです。
近代経済学には、ミクロ経済学(Microeconomics)とマクロ経済学(Macroeconomics)があります。ジョン・メイナード・ケインズによってマクロの視点がもたらされるまで、経済学はミクロだけでした。ミクロ経済学の創始者は、イギリスの経済学者、アルフレッド・マーシャル
(Alfred Marshall, 1842-1924)、マクロ経済学の創始者は、イギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズといわれています。一般的に、マクロは『国民所得理論』、ミクロは『消費者行動理論』、『企業行動理論』などと呼ばれます。
ミクロ経済学は、個々の消費者の行動、個々の企業の行動の分析を元に経済を分析していく手法です。ミクロ経済学は、個人の消費者がどう行動したらたくさん満足できるか、また企業はどう行動したら利潤をたくさん得られるかなど、市場に関する理論です。最近ではゲーム理論が有力になって、経営分野でも広く応用されています。
マクロ経済学は、社会全体、国家全体の統計データなどを元に経済を分析していく手法です。マクロ経済学では、景気(あるいは雇用)の安定についての国民所得理論および景気循環論、物価の安定についてのインフレーション理論、経済成長の達成についての経済成長理論、国際収支の安定につじての国際金融論が中心になっています
ジョン・メイナード・ケインズは、需要こそが供給を作り出す、と考えました。つまり、一国の経済規模は、国民総需要の大きさによって決定され、いくら供給を増やしても、需要以上にモノが売れることはありえない(有効需要の原理)、というのです。有効需要は消費と投資で構成され不況で消費の拡大や民間投資が望めないときは、公共投資を増やすしかなく、自由放任主義の古典派の理論が成り立つのは、景気がよくてセイの法則が機能している特殊な状況に限られる、といいます。しかし、生産力や資金不足など、供給側に問題がある場合には、有効に機能しないことがあるようです。
ポール・アンソニー・サムエルソン(Paul Anthony Samuelson,1915- )は、ケインズ理論をさらに展開・発展させ、今日ひろく行われている経済分析と経済理論の基礎を築きました。
第二次世界大戦後ケインズ経済学は全盛期を迎え、特に米国では黄金の60年代がもたらされました。しかし、完全雇用に達しない限り物価上昇は起きない、というケインズ理論にもかかわらず、インフレと失業が進行しました。そこでケインジアンは、フィリップス曲線を援用して、失業率とインフレとは代替可能である、と論じました。しかし、その後ベトナム戦争が泥沼化して、米国経済が弱ってくると、インフレの加速が起こりました。
1960年代の後半から、合理的期待学派という古典派が復活してきました。失業率を下げるための政府による財政支出は少しも効果がなく、GNPを少しも増大させず、金利を上昇させ、民間投資を減させ、100%のクラウディング・アウト(締め出し)を生じさせるだけだ、というのです。人々は正しい予測ができるので、行動の合理性と自由な市場がベストである、と強調されました。
1970年代の終わりから1980年代の初めにかけて登場した、英国のサッチャー首相と米国のレーガン大統領は、もともとは根っからの古典主義者で、ふたりとも当初は古典派的経済政策を行い、英国ではインフレと失業問題が深刻化し、米国では財政と貿易の双子の赤字が発生して、結局、ケインズ政策を打たざるをえませんでした。
<参考文献>
『経済学をめぐる巨匠たち』(2004年、ダイヤモンド社刊、小室直樹著)
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