徒然草のぺージコーナー
つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(徒然草)。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし(方丈記)。
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空白
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徒然草のページ
1.平成16年7月28日
待望の夏休み。
日本経済はバブル崩壊後続いた長期停滞から脱しつつある。不良債権処理、リストラが実施され、独自商品開発の努力が行われた。デフレの克服と地域間格差はまだ道半ばである。しかし、大部分を占める旧態依然の中で、変質してしまった部分もあり、一方で新しい動きもすこしあり、今年は多少明るい年になってもらいたい・・・。これから日本経済が上下のどちらに揺れるか、政府・企業関係者のお手並み拝見。
2.8月7日
"稼ぐチームのレシピ"(2004年1月 日本経済出版社刊 キャメル・ヤマモト著)は、極上の稼ぐチームのつくり方、運営の仕方の本である。
チームとは何をさすか?実は、会社はチームの集合体だ。プロジェクトチーム、課、部、役員会はみな、チームである。あなたが所属するチームはどんな性格をもったチームだろうか。人に固有の個性があるように、チームにもチームの個性がある。個人の個性と同様に、チームの個性も遺伝子と環境で決まる。遺伝子とはチームのメンバーである。環境とは、チームに刺激と栄養を与えてくれる顧客、競合、市場、他チーム、企業文化である。チームの個性はチームの数だけ存在する。ふたつとして同じ個性のチームはない。チームにとって第一の課題は、自分にあったユニークな個性を見いだし、自己実現していくことである。そうはいっても、日本企業におけるチームは、つぎに紹介するように、大きく分ければ4つのタイプに分類できる。チームには、うまくいっているチームも、うまくいっていないチームもあるが、ここで紹介するのは、いずれもうまくいっているチーム。このチームタイブは海外の企業でもほぼ通用するタイプである。
第一のタイプは「和・仲間チーム」だ。日本の会社のなかで、もっとも多いタイプで、なによりも「和」を大切にする。みなでとにかく協力して和を保つことが「目的」である。このチームでは、人間は平等で個人の能力差も大きくないと考える。このチームは、環境変化のスピードがゆっくりしていて、お客さんも急激な変化は好まず、ちょっとずつ品質が良くなっていくようなことを求めている場合、威力を発揮する。競合も見慣れた相手だ。そういう場合は、民主的にみなで知恵を出しあって、みなで改善していくに限る。チームメンバーは、自分の狭い担当範囲を超えて、「フォア・ザ・チーム」の発想で動く。ただ、このチームは、大きな変化には弱い。危機に瀕したときでも和を大切にするあまり、思い切った変革ができない。このまま船を漕いでいくと、先には滝があって落ちてしまうような場合も、いっしょに掛け声をかけながら手をつないで、みなで仲良く沈んでいってしまうようなところがある。
第二のタイプは、最近のリストラのなかであらわれた新興勢力だ。その名は「仕組み・軍隊チーム」。軍隊チームは米国からの舶来モノで、ファーストフードの味がする。軍隊チームでは、チームが達成すべきゴールや機能が非常に明確に決まっている。さらに、そういうゴール達成にむけて、個人ごとの「職務」もきっちり定まっている。採用も職務記述書に従っておこなわれ、採用後も職務記述書に従って動くことが期待される。マニュアル類も整備されている。だから、「安い人」中心でも動ける。ミッションが非常に明確で、ミッション自体の変化や環境変化がさほど急激でない場合、仕組み・軍隊チームが威力を発揮する。たとえば、戦時であれば、戦争に勝つまでの期間、仕組み・軍隊チームのやりかたが有効だ。ただし、このチームは急な環境変化に弱い。変化のスピードに弱い。あらかじめ決めた目標にむけてすべてを最適に仕組んだ軍隊組織は、攻撃目標が急に変化したり、敵の戦略が急激に変化したりした場合には弱い。攻撃目標が変わったのに、同じ攻め手をくりかえすはめになる。
第三のタイプは「精鋭・開発チーム」だ。ph.D.(博士号)を取得したような専門性の高い人材を集めて、最先端の開発を次々とおこなっていくチームだ。典型的なのは、トップクラスの製薬会社や先端的ハイテク企業の開発チームだ。高度な専門性をもった人たちがチームをつくり、激しい競争のなかで長期の研究・開発を続ける。個人の創造性はもちろん大切だが、それと同じくらい、創造の「プロセス」や製品化の「プロセス」が重要である。個人の創造性も、それを組織の創造性に転換するような仕組みが必要だ。高い専門性をもったスター人材が必要だが、どちらかというとあらくれものより、ニューヨーク・ヤンキースの選手のような優等生型のスターが望ましい。あまりに個性が強すぎるスターはプロセスを無視するからこのチームには合わない。
第四のタイブは自由奔放・変幻自在の「変幻・アメーバチーム」だ。自由と自己責任の自律経営をおこなう。このチームにはルールとか定型的なプロセスがあまりない。人材の創造性や専門性が価値の源泉だから、そういうものを縛ってしまうルールは厳禁である。アメーバチームも、開発チームと同様に、才能豊かな人を集め、チームワークを大切にする。しかし、開発チームとくらべ、もっと個性の発揚が許される。個人が自分でブランドをつくることが許される。つまり、自分のブランドをもったタレントが、たまたま場を共有しているという感じになる。自分のためにやることが自然に「フォア・ザ・チーム」になるような人材を集めることがカギである。固定したチームのイメージではなくて、タレントがたまたま集まっている「場」というイメージのチームだ。
4つのチームタイプの間に優劣の関係はない。状況いかんで、どのチームタイプが最適かは異なってくる。チーム運営のコツは、4つのチームタイプを参考にして自分のチームの個性を明確に理解し、それぞれのチームの個性を最大限に伸ばすように考え、行動していくことだ。その際、チームタイプの個性を押さえておくとピントが合う。
3.8月14日
GDPは鈍化の見通し
日本経済の2004年度の実質成長率は3.4%と、2年連続の3%成長を達成する見通しとなった。しかし、景気回復に急ブレーキとなる現象が起きている。4―6月期の実質GDP速報値は、前期比0.4%増で年率換算で1.7%増となり、市場予想の平均値を大きく下回った。設備投資が前期比横ばいにとどまり、成長の足を引っ張ったことに加え、個人消費も前期比0.6%増と減速したため。民間需要の成長率に対する寄与は0.3%と、前期1.4から大幅に低下した。このところの成長をけん引したのは輸出で、アジアの好調で前期比3.5%増と、成長率全体を0.5%押し上げる役割を果たした。まだ電子部品や鉄鋼、自動車など幅広い分野で好調が続いている。4─6月期は5四半期連続のプラス成長となったが、まだ民需中心の自律回復には転換していない。世界的なデジタル景気の拡大と、米国やアジアの高成長が日本経済を支え続けている。この2つの要因が途切れる来年度以降、景気の成長ペースは鈍る公算が大きい。いま海外景気に暗雲が広がっている。米国では4─6月期の個人消費の伸びが大幅に低下し、例年需要が盛り上がる9月の新学期に向けた商戦も不振である。原油高で企業収益が圧迫されるとの見方が広がっており、ダウ工業株30種平均は年初来安値に下落した。米国では大型減税が景気をけん引してきた裏側で、財政赤字が過去最高水準に達している。11月の大統領選を控え、ブッシュ大統領もケリー候補も、財政赤字を半分に減らすことを公約に掲げる。この先、景気減速が明確になっても、大規模な財政出動を伴う景気刺激策は打ち出しにくく、来年の米経済は2%程度の成長にとどまる。景気過熱気味の中国は、生産抑制や設備の廃棄といった政府による行政指導が功を奏しており、成長率は徐々に低下へ向かう見通しである。米国や中国のペースダウンで、台湾や香港など他のアジア各国も減速が避けられない。世界経済の不振で、来年度の日本経済は輸出頼みの構図が崩れてくる。
4.8月21日
"成功して不幸になる人びと"(2003年12月 ダイヤモンド社刊 John O'Neill著/神田昌典、平野誠一訳)は、幸せとは何か、いろいろなことを考えさせてくれる本である。
成功とは、仕事上の成功のことで、大企業の経営幹部になったり、起業してもうけたりという、一般的に成功したと見なされている人たちである。しかし、多くの成功者はなぜか幸せになれないのだという。たとえ成功を手にしても、現状に満足できなかったり、地位を失うことを恐れたり、燃え尽きたり、家族や健康を犠牲にしたりと、むしろ不幸の種をまいてしまっているケースはめずらしくない。不幸になりたくて成功を目指す人はいないだろうから、そもそも誰もが幸せになるために成功を目指していたはずである。ところが、夢中になって成功を追いかけているうちに、成功さえすれば幸せは自動的についてくると考えてしまう。部下には不信を抱き、家庭からは尊敬を受けず、物理的にも精神的にも自分の時間を楽しむ余裕がなくなる。そんな成功した不幸な人びとが生まれるメカニズムが前半に、そしてそうならないためのテクニックが後半に書かれている。人間は仕事の成功が人生の幸せに結び付かないと知りながら、成功を追求せずにはいられないものなのかもしれない。いつの間にか手段が目的にすり替わり、成功とそれを維持することこそが意志決定の判断基準になってしまう。このパラドックスに陥る原因は、自分バージョンの幸せを自分で定義してこなかったことにある。何をもって成功と呼ぶのかを考えることは、内省的な作業を伴う。具体的には、自分では隠そうとしているパーソナリティーであり、人生を大きく脅かすというシャドウを観察し、それを活用し、人生を見つめ直す。棚卸し、捨てる、充電、儀式、自己のメンテナンス、などが自己変革や再生を支援してくれる。しかし、これが結構面倒であったり気恥ずかしかったりする。そして、どこかから他人の言葉を借りてきて自分の中に据えてしまう。そこで、成功のパラドクスを克服してより長期的な成功を手にする方法−−−学習と再生をいつまでも続ける人生を考えるべきではないか。そんな人生を送る原動力になるのは、どんな人生を生きるべきか、時間をかけて取り組みたいものは何か、取り組む価値のあるものとは何かというビジョンが必要だという。
5.8月28日
テンポスバスターズの精神17ヶ条は面白い。
第1条(ニコニコ・テキパキ・キッチリ・気配り・向上心)
自分が遠くにいてもお客様が見えたら、店内を走って近づいて大きな声で感じ良く「いらっしゃいませ」とニコニコ挨拶しろ。また「ありがとうございました」と聞こえたらお客様が見えなくても一緒になって言え。掃除の手は早いか、値付けは早いか、陳列は早いかを常に他人と比べて確かめ、人より手が遅かったら家に帰って練習して来い。これを「ニコニコ・テキパキ」という。本物になりたいなら、仕事は手順通りやれ。手抜きをするな、きっちりやれ。そこそこで良いと考えるな。絶対に「しのぐ」癖をつけてはならない。来店されたお客様の子供になったつもりで商品を探し出せ、他の店にも聞いてみろ。納品したら上手に使っているか電話して、近くまで行ったら必ず立ち寄り納品した商品を見て来い。これが「きっちり・気配り」だ。給料を上げよう。仕事を覚えよう。技術を身につけようとするなら、自分で勉強しろ。休みの日には他店を見に行け。そこの店長に色々と話しを聞いてこい。途中で本を買って店で応用してみろ。これを「向上心」のある行動という。
第2条(儲けるな・儲けろ)
安い物を見つけて高く売って儲けてはいけない。安い物を見つけたら安いまま売れ。知識と技術を身につけてコストを下げ、しっかりとしたアフターサービスと無理だと思われる高い目標に挑んで、その努力から生まれた少しの利益で良い。楽して儲けたい者は我社にいない。それ程の者ではないだろう。リサイクル業はなるべく高く買って赤字にはならない範囲で出来る限り安く売る商売である。さやを抜いて儲ける事で喜ぶような癖をつけるな。
第3条(金の使い方)
車が必要な時、車がなくてもやれる方法を全て試せ。それでもだめなら貰って来い、拾ってこい。最後に買え。「当然中古!」店が暗いからと言って照明を増やせば店が明るくなるものではない。ホコリだらけの商品や雑然とした陳列では、いくら照明を増やしても店が明るくなったといえるのか。君は店を明るくしたかったのではなく、金を使って照明器具をつけたかっただけじゃないか。人手が足りないと思ったときは、動きが遅いか、二度手間になってないか考えろ。やり方を変えろ。訓練をせよ。人手を増やすな。物に頼るな。
第4条(責任)
遅刻したために、晴海の展示会場にみんなが車で行ってしまった後から、一人で会場に行く交通費は自分で払え。不注意で問題を発生させた時、自分が損してでも、犠牲を払ってでも解決することが責任を取ると言うことである。ただしこれは初級の責任感だ。上級の責任感とは、休日や夜中に地震が起きたり大雨情報が出た時に、心配になって即座に店舗に駆けつけて、一人で徹夜してでも倒れた商品を元に戻し雨水を掻き出して、翌日は何もなかったように出社することが出来るかである。
第5条(フリーエージェント・ドラフト制)
上司が嫌なら店を替われ、そこでも嫌ならまた替われ。何度でも替わってみろ。テンポスはフリーエージェント制だから。だがそのうち気づくだろう。理想的な上司や職場などないということを。自分で切り開いたところにしか「やりがい」はないということを。店長は、気に入らない使いにくい部下は他の店に放り出せ。テンポスはドラフト制だから自分の納得のいくまで何回でも人を入れ替えろ。だがそのうち気づくだろう理想の部下などいないということを。
第6条(お任せ下さい。)《大阪中央市場事件》
明日の午前5時よりビラまきをする事にした。当日、朝から大雨が降っていても、自転車に乗って30分かけて、びしょ濡れになってでも出社してくることが「お任せ下さい」の原点である。決して携帯電話で「今日はどうしましょうか」などと聞いてくるな。「ばか者!」コンテナ一杯の商品を500万で買えとの指示に、350万円で購入することや、10日間でやれとの指示に9日間で処理することが「お任せ下さい」である。
第7条(自分の気持ちの優先)《札幌看板事件》
良い事をすぐやらない。悪いことをすぐやめられない。会社が損をすると解っていても即座に手を打たない。嫌な事を避けたいと思う自分の気持ちを優先させ、結局はこちらの要求を突きつけられず、相手の言いなり通りに処理してしまう。逆に、自分の要求だけ主張し過ぎて、相手を怒らせてしまう。こんな店長に、店を任せる訳にはいかない。(札幌店となりのガソリンスタンドの看板前に、当社の大型看板を札幌店敷地内に設置しろ。設置によりGS看板が見えなくなる。)ビジネスは打つべき手を打たなくてはいけないと判っていても、やりたくない自分の気持ちとついやりやすい事をやってしまう気持ちとの戦いが毎日発生する。自分の気持ちを優先しているうちは趣味か家庭人である。
第8条(部下の事)
店長は、部下の顔色は良いか、張切っているか、悩んでいる様子はないか、常に気を配り、「やりがい」のある職場づくりを目指せ。24時間部下の事ばかり考えろ。ちょっとした心使いを感謝され、お客からお礼を言われた喜び、自分が仕入れた物が売れた時、陳列を変えてみたら売れた時、嬉しい。テンポスの店では嬉しい事、喜べる事がいっぱいある。それを経験させ、部下と一緒に喜べる人になれ。
第9条(リーダーシップ)《花見川店に行くのは嫌だ事件》
自分の店に「頼みにくい」「使いにくい」部下がいたら、何をやらせるにも、まずその部下にやらせろ。そして言え「おれはお前が苦手だ。お前には命令が出しにくい。命令を出さなければおれの負けだ。申し訳ないが、自分に負けたくないので真っ先に命令する」と。
第10条(いてての法則)
従業員に前屈をさせて、手のひらを床に着けさせてみろ。「いてて」と言いながらも練習を続けていると、「いてて」の位置がだんだん下がってくる。そしていずれは全員が手の平を床に着けられるようになるものだ。つまり個人により現状のレベルが違っていてもそれぞれが「いてて」の位置で努力すれば、いずれは目標到達出来るものである。自分の仕事上の「いてて」の位置を見つけろ。無理だよ、やり方が分かりません、やった事がありません、全て「いてて」の位置である。「いてて」の位置にある仕事に取り組んだ時、初めて能力のアップになる。おじぎを毎日100回やっても1年後に床に手が着くようにはならない。
第11条(テマスケの法則)《テーマを持つと何でも出来る》
20年自転車に乗っていても、両手を離しては10mも進めない。「手を離して乗ってみよう」という「テーマ」を持って乗るだけで、手が離せるようになるのと同様に、生きて行くうえで、人に言われてからするのではなく、自分で「テーマ」を持ち、やるべき事はなにかを知り(業務分解)、「作業割り当て」「スケジュール」を立てて実行することで、目標は達成できるようになる。
第12条(基本に忠実)
基礎を身につけている間は、本を読め、先輩に教われ、決して自分で工夫するな。個性も出すな。技術習得は「600分の1の法則」を思い出せ。未熟者の考えを聞いている暇はない。言われた通りやれ。 3年たっても工夫もないのか、自分の考えも出ないのか、自分は昨年とどう変わったか、何を学んだか、いつまでも言われた通りやってるんじゃない。誠実で責任感があっても売り物にはならない。そんな人は化石だ。
第13条(訓練)
人を使う立場の者は、来る日も来る日も「訓練」を繰り返せ。知識を身につけても、実際にできなければ意味が無い。冷蔵庫の勉強会で、メーカーの担当者が教える内容は「冷媒のしくみ」などだが、こんな事を客から質問された事が一度でもあったか。これこそ無駄な勉強だ。それよりもお客様に良く質問される項目20問に答えられる様にすることが訓練である。知識2割の訓練8割。これが「テンポス」の教育だ。
第14条(自転車0.99の法則)
自転車に乗れる(1.00)ようにといくら練習しても、もうちょっとで乗れるところ(0.99)まできても、乗れなければ何にもならないのと同様に、要求通りの内容でない、期日を守らない、数が揃わない、約束の時間を守らない等、要求に到達しないと、どんな努力も報われない。自転車のボーダーライン(1.00)は「乗れるか、乗れないか」で判りやすいが、ビジネスのボーダーラインを見つけ出すのは難しい。自分の仕事で「客に誉められたか、喜んでもらえたか」「上司を納得させたか」敏感に感じ取り、ボーダーラインを見つける努力をしろ。1.01と0.99は、見た目にはほとんど差がない様に思えるが、1.01を100回続けて掛けると2.70となり、0.99を100回続けて掛けると0.36、となるように、「まあ、これでいいか」(0.99)を続けていると、いつまでも目標は達成出来ない。しかも将来この差はデカくなる。天ぷらを揚げるのには油を170℃にし、3分もあれば、うまい海老天が揚がる。40℃の油に10時間海老を入れたって、天ぷらにあらず。君の努力は40℃。
第15条(自分を大切にせよ)
会社に不満を持っている人へ、仕事が面白くない人へ。早く仕事を辞めなさい。辞める前に一つだけやれ。6ヶ月後に辞めるとしたら6ヶ月間で現在やっている仕事の目標を作ってみよ。客数を2倍にするとか売上を3割アップしてみるとか、会社のノルマとは関係無く自分で設定してみよ。その目標に到達出来た時は辞めようと決めておけ。達成した時は今までのなさけない自分ではなくなっている。上司が悪い、会社が悪い、認めてくれない等と思わなくなる。
第16条(楽天主義・努力を続けると必ず結果が出る)
不良在庫を減らしても、粗利予算を達成しても、誉めてもらえない時がある。上司は認めていない訳ではない。誉めてくれないとか、認めてくれないと言って「いじけて」どうする。君が人を使う立場に立った時、全ての部下の行動をつかめるか。自分が忙しい時、クレームがあった時、健康を害している時、いろんな事があってつい部下の誉め時を逃がす時がある。研修審査で学んだ「再挑戦」の意味を思い出せ。限界に近い力を出して、何度も何度も挑戦した結果、最後には必ず合格したではないか。これでもか、これでもかと続ければ認めてくれるに決まっている。安心して取り組め。
第17条(頭が良いが、行動しない人へ)
新しい人事考課にしようとすると頭が良いが、トライをしない奴は「そんなやり方で公平な評価が出来るのですか。客観基準がないじゃないか」と必ず言う。会社も上司も誰だって公平、適格な評価をしようとしているんだ。完璧、公平、適格な評価がこの世の中にあるか。第一、君に公平、適格な評価が出来るというのか。変化に抵抗しているだけなのに、もっともらしい理屈をつけるんじゃない。
(出典: http://www.tenpos.co.jp/ )
6.平成16年度9月4日
"会社はこれからどうなるのか"(2003年2月 平凡社刊 岩井 克人著)は、平成15年度小林秀雄賞受賞作品である。
現在の日本のデフレはたんなる景気循環による不景気ではなく、かつての産業資本主義が形を変えポスト産業資本主義に変質しつつある大転換に、日本の会社がうまく対応できないために起こっている。グローバル化、IT革命、金融革命など、好景気に沸くアメリカを発信地とする新しい波が押し寄せている。失われた10年から脱出しきれていない日本は、日本的経営の長所に対する自信までをも失ってしまった。日本が21世紀を生き抜くために、産業資本主義時代のまま生き残っている個々の会社の仕組みを根本から洗い直し、新しい資本主義にふさわしい形にしていかなければならない。エンロン、ワールドコムの破綻によって多くの人が、アメリカ型のコーポレートガバナンスがすべてではないことを実感した。企業の組織は国毎に違い、他国のモデルを持ってきてむりやりあてはめてみてもうまくはいかない。明確なモデルのない今、日本の株式会社のあるべき一つのモデルを提供している。
・なぜいま、日本の会社はリストラをするのか
・会社という不思議な存在
・会社の仕組み
・法人論争と日本型資本主義
・日本型資本主義とサラリーマン
・日本型資本主義の起源
・資本主義とは何か
・デ・ファクト・スタンダードとコア・コンピタンス
・ポスト産業資本主義における会社のあり方
・会社で働くということ
7.9月11日
Form the day, the old good time was finished. It never does not already return. The severe new time started. Human Interface will meet so many difficulties.
President Proclaims Patriot Day
Three years ago, our country was ruthlessly attacked, and more than 3,000 innocent people lost their lives. We will always remember the victims: sons and daughters, husbands and wives, dads and moms, family members, co-workers, and friends. And we will always be inspired by the heroism and decency of our fellow citizens on that day. Police, firefighters, emergency rescue personnel, doctors, nurses, and many others risked their own lives to save the lives of their fellow citizens. They demonstrated the great character and bravery of our Nation, and they embody the great spirit of America.
Since September 11th, America has fought a relentless war on terror around the world. We are staying on the offensive in this war -- striking the terrorists abroad so we do not have to face them here at home. We pray that God watch over our brave men and women in uniform and all who are waging this war and working to keep America safe. And we pray for their families. In the face of danger, America is showing its character. Three years after the attack on our country, Americans remain strong and resolute, patient in a just cause, and confident of the victory to come.
By a joint resolution approved December 18, 2001 (Public Law 107-89), the Congress has designated September 11 of each year as "Patriot Day."
NOW, THEREFORE, I, GEORGE W. BUSH, President of the United States of America, do hereby proclaim September 11, 2004, as Patriot Day. I call upon the Governors of the United States and the Commonwealth of Puerto Rico, as well as appropriate officials of all units of government, to direct that the flag be flown at half-staff on Patriot Day. I call upon the people of the United States to observe Patriot Day with appropriate ceremonies and activities, including remembrance services, to display the flag at half-staff from their homes on that day, and to observe a moment of silence beginning at 8:46 a.m. eastern daylight time to honor the innocent victims who lost their lives as a result of the terrorist attacks of September 11, 2001.
IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand this tenth day of September, in the year of our Lord two thousand four, and of the Independence of the United States of America the two hundred and twenty-ninth.
GEORGE W. BUSH (http://www.whitehouse.gov/)
8.9月18日
"会社人間の死と再生"(2003年2月 扶桑社刊 村上 龍著)は、収入や肩書きにこだわらない新しい職業観を探っている。村上 龍の著作はいろいろな分野に及び、どれも面白い。"13歳のローワーク""だまされないために、わたしは経済を学んだ""マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ""NHKスペシャル 失われた10年を問う"など。
バブルの崩壊と日本経済の不調で、多くの有名な企業が倒産したり、規模の縮小を余儀なくされてきた。現代は、自分の会社が潰れる時代であり、多くは無名の、昨日まではエリートとされていた、各業界に勤務している、20代、30代のビジネスパーソンとの対話である。そうでない人達も取り上げられている。これに、後から、著者からいろいろな提言がなされている。次のような業界が取り上げられていて、どれも興味深い。中でも、旅行会社の"少ない報酬でもやりがいある仕事を求める価値観を僕は否定しない"、派遣社員の""大事なのは、どこでどういう仕事をしているかという個別のディテールだ"には、共感させられるものがあった。
・都市銀行
・ゼネコン
・中堅商社
・外資系IT企業
・旅行会社
・信託銀行
・倒産経験者
・特殊法人
・地方公務員
・地方企業
・派遣社員
・フリーター
・脱サラ起業者
9.9月25日
楽天VSライブドア
いまもっとも興味があるのは、楽天VSライブドアである。楽天が日本プロ野球組織に加盟申請し、来季からの新規参入をめぐって、ネット業界の新興企業2社が全面対決することになった。かつての日拓ホームになるのであろうか、はたして成長する中堅企業で経営を継続できるのであろうか。楽天株式会社は1997年2月設立、資本金39,825百万円(2004年6月現在)、従業員数716名(2004年9月現在)、株式店頭上場は2000年4月、日株式会社ライブドアは1997年8月設立、資本金23,964百万円(2004年7月現在) 、従業員数1,288名(2004年7月現在)である。楽天の三木谷社長は「エリート」と評されるが、ライブドアの堀江社長はIT業界の「たたき上げ」と評される。三木谷社長は一橋大商学部を卒業し、日本興業銀行に入行後米ハーバード大学大学院でMBAを取得し、銀行を辞めた後にネット商店街を立ち上げた。東大文学部を中退した堀江社長は、東大在学中の96年にホームページの委託製作を始めたのが第一歩で、東京・渋谷を中心とした若手ITベンチャー集団、ビットバレー出身である。楽天は年間注文件数1000万件規模のネット商店街「楽天市場」を中心とした電子商取引部門が主力で、積極的なM&Aで複合的ネットサービス企業に成長した。2003年12月期連結決算は売上高180億円、経常利益44億円だった。ライブドアも楽天と同様にネット企業へのM&Aを繰り返し、総合IT企業を目指してきた。楽天と違い中核事業はないが、連結売上高は02年9月期58億円、03年9月期108億円で、04年9月期の見通しが250億円と、倍々ゲームで業績が拡大している。三木谷社長は経済界との太いパイプをアピールし、球界参入には革新性と信頼感の両方が必要と強調する。堀江社長は既存球団の経営者らを、この国を悪くしている旧世代の壁と批判し、球界に対して秩序破壊者の立場を取っている。はたして、どうなるのであろうか。
10.平成16年10月2日
ライブドアVS楽天
プロ野球への新規参入を申請しているライブドア、楽天について審査する審査小委員会の初会合が東京都内であり、両社の財務状況の分析を監査法人に依頼したもようである。審査項目は、参加申請の妥当性や球団経営の継続性、安定性、発展性、野球協約との整合性、専用球場の施設能力、野球観客の需要、選手、監督の確保見通し、親会社と球団の経営状況の分析、公共財としてふさわしい企業・球団であるか、多岐にわたっている。ライブドアの堀江貴文社長は、日本野球機構に提出しているプロ野球への新規参入申請が、審査に通らなかった場合、修正して再申請する方針を明らかにした、という。すでに新球団名を公募し、メールか郵送で受け付けている。来季以降の申請については、スピード重視の経営をしており、来年まで待つ余裕はないと、今季中にプロ野球への新規参入問題に決着を図る考えである。地元では、宮城県のウェブサイト上で、知事への電子メールでは、先に仙台を本拠として申請したライブドアを支持する意見が多数を占めていることがわかった。楽天への支持はきわめて少ないもよう。しかし知事は、地元の意見を判断基準にするのはなかなか難しいのではないか、どちらも球団経営や地元への熱意は十分あり、甲乙つけがたい。両方とも十分に合格しているとの考えのようである。一方に偏らず、様子見をしようということであろうか。ライブドアの堀江社長は、楽天の三木谷浩史社長に、会談を申し入れたが、拒否されたもよう。確かに、なぜ楽天も仙台を本拠地にしたいのか、よくわからないところがある。今のところ、ライブドアの方に軍配があがっているようである。運営するウェブサイトの利用者が半年で2.4倍に膨れあがった、という。一般の知名度が低かったが、一連の報道で知名度を急速に上げているとのこと。特に報道が過熱した8月1カ月で利用者は100万人以上増えたようである。しかし、今後は予断を許さない。このままで終わるわけはあるまい。楽天の巻き返しがあろう。それとも、何もないのであろうか。
11.10月9日
"週末起業"(2003年12月 双葉社刊 藤井 孝一著)は、実践する具体的な方法を提示して、今の時代に合っていると思う。12年前、管理人も"土日カンパニー"(日本マンパワー出版刊)という本を書いたことがある。今の時代には、かつてと同じような背景があるのだろう。
会社を辞めずに起業するという起業スタイルを「週末起業」と名付け、サラリーマン諸氏に普及する活動を始めてから、かれこれ4年の歳月が経ちます。その成果もあって最近、本当に週末起業を始める人が増えてきました。しかし多くの方が、始めるたびに大変な試行錯誤をしています。この理由のひとつに、週末起業では、一般の起業と異なり「成功者の成功の軌跡」が見えにくいことが挙げられます。いわゆる一般の起業なら、起業家は自社の知名度のアップになることもあって、マスコミなどに積極的に露出します。皆さんもビジネス雑誌や起業セミナーなどでカリスマ起業家の活躍ぶりを目にする機会があるでしょう。その過程で、起業家の起業のいきさつやノウハウも自ずと流出していきます。ところが週末起業では、成功者が表に出てきません。理由は、会社にばれて本業をクビになったらシャレにならないからです。会社に了解を得ている週末起業家であっても、同僚を動揺させたりお世話になっている勤め先に迷惑をかけたくないことから、あまり活動を口外しません。そんなこともあって、週末起業の成功体験はなかなか表に出てこないのです。結果的に、ノウハウが流出しません。しかし、週末起業とて起業です。先達に学ぶことは多く、是非とも参考にしたいところです。そこで今回、週末起業フォーラムに所属する週末起業家にお願いして、ご登場いただき、本書で紹介することになりました。
12.10月16日
ダイエーグループの行方
バブル崩壊と不良債権の象徴的な企業、かつての時代の寵児ダイエーが揺れている。従業員2万2千人、年間売上高約2兆円のダイエーグループには、ダイエー、マルエツ、サカエ、セイフー、十字屋、55ステーション、アシーネ、ロベリア、オーエムシーカード、オレンジエステート、フォルクス、神戸らんぷ亭、福岡ダイエーホークス、新歌舞伎座、西神オリエンタル開発、ドリームパークなどがある。管理人はいま近郊都市に住んでいるが、千葉にある別の我が家から徒歩3分のところにマルエツがある。かつて毎日買い物をしていたので、どうなるかはこれからの自分にとっても身近な問題である。創業者の中内功氏は、ダイエーを戦後の代表的な流通グループに育てた。1957年に大阪市に出店した主婦の店ダイエー薬局を出発点に、最近まで急成長してきた。1972年には売上高が三越を抜いて小売業トップになった。しかし予期せぬことは、しばしばこういうときに起こるものである。時代の流れを見誤ってしまい、気がついたときはもはや手遅れだった。歯車が狂い始めたのは、中内氏が総合生活産業を掲げてクレジットカードや旅行、ホテル、不動産など小売り以外への多角化を進めてからであった。2000年に長崎屋、2001年にマイカルが経営破綻したことは、昨日のことのようである。2001年に高木邦夫社長が就任後、テナント政策を強化して挽回を図ったが、ここでも予期しない事情も起きて中途半端に終わった。かつての古巣で、身内が大勢いるので、コストカッターにはなれなかったのであろう。そこで、売上を挽回しようという政策を取ったが、いったん低下した売上は容易に回復しなかった。低落するのはあっという間だが、これを回復させるのは容易なことではない。6倍の働きが必要であるという説がある。1人で6倍は無理だから、1人2倍なら3人必要である。しかし、これではコストがかかり過ぎる。とうとう、高木氏は辞任ということになってしまった。中内氏が今日でもなお、英雄的なカリスマであることに変わりはないが、再建が産業再生機構に委ねられることになって、かつて小売業日本一の大手スーパーの面影はもうない。厳しい時代の流れに翻弄されてしまった。蘇ってほしかったが、本当に残念なことである。今後再建がうまくいっても、グループはバラバラに解体されて、名前のみが残る(残らないか?)。もはやかつてのダイエーではあるまい。
13.10月23日
"いつかは住みたい南の島"(2000年10月 星雲社刊 いしいきよこ著)は、一度は多くの人が夢見る暮らし方の1つではないか。南の島は、そこで体験した人にしか感じ取れない、心の奥深くに染み込む不思議な何かが潜んでいる。その魅力に取り憑かれると、南の島暮らしはやめられなくなる、という。
このところ、海外に長期滞在したいという日本人はずいぶん増えているのではないか。気に入ったところがあったら、思い切って移住してしまうのも良いかもしれない。移住って何だろう?そもそも著者が本書を書き下ろすに当たって疑問に思ったことのようである。何度机に向かっても答が見いだせず、一字たりとも原稿が打てなかった。人の話は上の空で、家の中を徘徊し、移住の本を読みあさる日々を送った。会社や団体の命令で限定された期間だけ島に住むことは、果たして移住と呼べるのだろうか?かつて、大正から昭和にかけて、南米、ハワイや、サイパン、パラオなどのミクロネシアへ向かった、日本人の移民の歴史がある。ミクロネシアには大正10年代から昭和40年代まで、多くの日本人が移住した。当時、南洋群島と呼ばれたミクロネシアでは、移出最盛期には10万人近い日本人が移住していた。生まれ育った故郷の思い出を胸に、もう二度と踏むことはないだろう日本の地を離れて、南島へ第二の人生を求めたのだ。しかし、このころと違って、現代では、お金と時間さえかければ自由に往復できる時代になった。世界中どこにいても、他県で暮らすのとそう大きな違いはないかもしれない。かつてとは移住の仕方はずいぶん異なってきている。海外留学、海外赴任、シルバー移住、どれも現代人が考える移住の域に入るであろう。アメリカ、カナダ、スペイン、オーストラリアなどに移住する人が増えているが、南の島は楽園のイメージがある。経済的なバックグランドと積極性があれば、ゆったり流れる時間の中で自由に暮らすのは、とてもすばらしいことのように思える。本書では、オアフ、サイパンの30代女性、トンガ、パラオの夫婦と20代男性、グアム、フィジーの独身女性、サイパン、サモアの育児する母、マウイの家族、ポンペイの夫婦、トンガの独身女性を取り上げて、日々の暮らし方などをレポートしている。いずれも自分のやりたいことがあって、それがたまたま島であったという人々である。
14.10月30日
"ネットワークビジネス"(2004年6月 実業之日本社刊 見山 敏著)に、面白い記述があった。血の池地獄に落ちないようにしなければ・・・。
ネットワークビジネスは、山の頂上を目指して登るようなものだという。その表現がとても面白い。
"この山の頂上は、「希望が峰」と呼ばれていて、そこには「夢追い人」たちが住んでいます。そこから見える景色は最高で、空気もきれいだし、住んでいる人たちもとても親切です。また無益な競争もなく、自由に生きています。一方、麓には、ちょっとした高台があって、そこに多くの人がひしめきあって住んでいます。空気は汚れていて、人口密度も高いので、競争に明け暮れています。そこに住む人々は、その高台のことを「失望が丘」と呼んでいます。しかも、苦労ばかりしているから、96番地なのです。そして、時々、「希望が峰」から「夢追い人」が、人口密集地である「失望が丘」にとヒョイと舞い降りてくることがあります。すると、そこに住む苦労ばかりしている人たちは、「夢追い人」にたちまち魅了され、「私も希望が峰に住みたい」「自由人になりたい」「あの山の頂上に登りたい」と思うのです。"
"その山の頂上に至るまでに、1本の道が通っています。その道を踏み外さないで登り切れば、頂上に至ることができるのですが、ところがどっこい、それがなかなか難しいのです。
そこには大きな難関が3つ、横たわっています。その難関を上手に乗り越えることができないと、たちまち道を踏み外して、恐ろしい血の池地獄に堕ちてしまいます。なぜ、血の池地獄かというと、愚痴(ち)、悪口(ち)ぱかりをいう人間になってしまうからです。"
第1の難関は「自己流川」、第2の難関は「安心の湯」、最後の難関は「くれない坂」だ、という。
"道を登っていくとまず突き当たるのが、大きな川です。1歩間違うと、ただちにその川に落ちてしまいます。そしてそのまま、血の池地獄行きへ。この川は、「自己流川」と呼ばれています。ネットワークビジネスで、一番陥りやすい罠は、この「自己流でやってしまう」ということです。自己流に陥らず無事に自己流川を越えることができました。さらに道を登っていくと、今度は温泉が見えてきます。そしてほとんどの人がそこでひと休みしたくなります。ところが、その温泉が曲者なのです。いったん浸ってしまえば、とても気持ちがよくなるほど麻薬性があり、頂上へ登ることが面倒になってくるのです。だから、この温泉を人々は 「安心の湯」と呼んでいます。そのまま浸っていてもいいのですが、思ったほど湯の温度が高くないため、すぐに湯冷めをして、風邪を引いてしまいます。そして気づいた時には、血の池地獄へ。最後は急坂で、人は「くれない坂」と呼んでいます。ネットワークビジネスで、成否を分けるもっとも大事なものは、その人の考え方です。どうしてもうまくいかないと他人を責めたくなります。つまり、「やってくれない」「してくれない」という「くれない坂」に直面するのです。でも、この他人への責任転嫁、他人依存の考え方こそ、最も成功からほど遠いものです。"
そして、1つのタイトルを取ったら、すぐ次に挑戦すること、これがコツだ、という。人間は動きを止めた時から後退が始まり、いったん立ち止まったら再び動き出すには、ものすごいエネルギーが必要となるからである。罠に引っかからずに前進を続けていると、いよいよ頂上が目の前に見えてくる、という。
15.11月6日
"EU−欧州統合の現在"(2004年4月 創元社刊 辰巳 浅嗣編)は、2000年11月に他界された、金丸輝男氏の遺志を継いだ著者たちによる書である。欧州統合にはプラス要素が多いが、マイナス要素もあるのではないか。
管理人は、1990年にベルリンを訪ねたことがある。日本文化センターの所長さんから、EUのことや東西ドイツの統合のことをいろいろ伺った。・・・クーデンホーフ=カレルギーが「パン・ヨーロッパ綱領」を公表し、欧州統合運動を推進しはじめてから、80余年の歳月が経過する。欧州に「共同体」と称する最初の国際組織が実現したのは、1952年の「欧州石炭鉄鋼共同体」で、1958年には欧州経済と欧州原子力共同体が発足した。これら3共同体は1967年7月以降、欧州共同体(EC)と総称されて、やがてやがて冷戦の終焉とともに欧州同盟(EU)と呼称されるに至った。・・・第二次大戦後、東からはソ連軍が、西からはアメリカ・イギリス・フランス軍がドイツに侵入し、各地で激しい戦いを続け、1945年5月2日にベルリン防衛軍が降伏した。ドイツはとりあえず連合軍の支配下に入るが、首都ベルリンは東側をソ連、南側をアメリカ、西側をイギリス、北側をフランスが、分割占領することになった。ソ連の占領地域は「ドイツ民主共和国」として独立、一方の米英仏の占領地域は「ドイツ連邦共和国」として独立した。東ドイツではベルリンの東西境界線を越えて西側へ脱出しようとする市民が大量に発生し、1961年8月13日に、東ドイツは、境界線上に「ベルリンの壁」を建築した。このベルリンの壁は、1985年にゴルバチョフの東西緩和まで、市民の前に冷たい姿をさらし続けた。そして1989年11月10日に、この壁が崩された。・・・ちょうど1年後に訪ねたときには、この壁はあと200mだけが、記念碑のように残されていた。この壁を強引に越えようとして警備兵に射殺された市民は約200人、途中でつかまった人は1万人ほどと推定され、一方、脱出に成功した人は約4万人であった。・・・EUの動きとドイツの動きは、大いに符合している。ドイツの経済は、西ドイツ+東ドイツで躍進するということにはならなかった。一方、著者らは「欧州統合はつねにその目標に向かって漸進するエンドレスなものである。とりわけ1980年代末以降、冷戦終焉の過程において、単一欧州議定書、マーストリヒト条約、アムステルダム条約、ニース条約とめまぐるしく条約改正を重ねてきた。その延長線上に、いまEU加盟国とその市民のための基本的理念を示す欧州憲法が策定されようとしている。しかし、欧州統合への道程はつねに順風満帆である訳ではない」という。多くの試練が待っているようである。そして、「おそらく数年後に、再度より抜本的な改訂を施す必要が生じるであろう」という。
16.11月13日<BR>
"お金持ちレシピ"(2003年7月 明日香出版社刊 吹田朝子、高田晶子、豊田真弓著)はフィナンシャルプランの入門書である。まず、プチリッチを目指す。そして、真のリッチは心もゆたか、という。
最初にアリとキリギリスの話が紹介されている。イソップ寓話集の「アリとキリギリス」は、原典では「アリとセミ」だった、という。ドイツ語訳シュタインへーベル本で改変されたようである。それはともかく、アリは働き者で、キリギリスは遊び人。だから、アリは良くて、キリギリスは悪いという話であった。・・・夏、真っ盛り。先端ファッションに身を包んだキリ子が、メンズたちを引き連れて歩いている。キリ子は差し出された花やフレゼントを当然のように受け取り「人生ってこうじゃなくちゃ」とつぶやく。キリ子はありったけのお金を自分の外面を磨くことと、今を楽しむことに使った。いずれ冬がくることなんて考えてないし、そんな先のことは考えたくない。そのとき、前方から超ジミなアリ子が。アリ子は化粧もファッションも無頓着で、遊ばないし、趣味もなく、給料のほとんどを将来のために蓄えているという噂が。ファッションやコスメやブランド品やエステや海外旅行に湯水のように金を使い、メンズ達とのデートを楽しむキリ子とは正反対だ。そして、冬がやってきた。雪がちらつき、とても寒い。食ベ物も暖をとる家もないキリ子は、寒さとひもじさに耐えながら、町をさまよう。視線の先に、煙突から煙のあがる1軒の家が。アリ子の家だ。アリ子はその後フツーのオスと結婚して、小さな家を購い、子供ももうけていた。キリ子は、冬が必ず来ると知っていながら相変わらす遊びほうけていた自分に悔し涙をこぼす。メンズたちも冬が来る頃には誰もいなくなった。お金持ちのオスと結婚して冬を越そうと思ったが、時すでに遅し。貯蓄もないキリ子はどうにもならない。キリ子はアリ子の家のドアを叩く。「食べ物を分けてもらえない?」アリ子は申し訳なさそうに答えた。「うちが冬が越せなくなってしまうの。ごめんなさいね」
しかし、実社会では、必ずしもそうとは限らない。わずかな利子を貰って他人のためにお金を都合するサラリーマンは、働きアリのようである。キリギリスはアリの貯めたお金を運用して、多くの利益を得ている。失敗すれば損はアリがかぶる。キリ子は豪遊する幻覚を見ながら神に召されたとさ・・・。 原典ではこうなるようだが、日本版では「親切なアリはキリギリスに食べ物をわけてあげましたとさ・・・」と改変されたという。
17.11月20日
"ビル・ゲイツの面接試験"(2003年7月 青土社刊 William Poundstone著/松浦俊輔訳)は、結構面白かった。新しい時代には、従来取られてきた正統的な選抜方法では必ずしも意図した人材が集まらないことから、1つの試行錯誤として意味がありそうである。
面接試験で、"解けない問題や超難関な問題を出す"マイクロソフト式のこの方法が、最近では、他の会社でも結構使われているそうである。マイクロソフトがそんなことを出すなら、こちらはもっと難しい問題を出して、もっと頭のいい人を採ろう、ということらしい。超難関の問題のいくつかをあげてみる。
・ビールの缶の上と下が細くなっているのはなぜでしょう。
・富士山を動かすのに、どれだけ時間がかかるでしょう。
・玄関に3つのスイッチかあります。1つは、玄関の間の奥にある部屋の照明を操作するものです。その部屋に通じる扉は閉まっていて、その部屋の照明がついているかどうか、わかりません。3つのスイッチのうち、どれがその部屋の照明を操作するか、特定しなければなりませんが、部屋に1回行くだけで、確信をもってこれと言えるには、どうすればいいでしょう。
・あなたは完全な円の形をした湖の、ちょうど中心にあるボートに乗っています。湖の岸には鬼がいます。その鬼はあなたに悪さをしようとしています。鬼は泳げませんし、ボートももっていません。岸まで行き着けば・・・そこに鬼が待っていて、あなたをつかまえなければ・・・陸では必ず鬼をふりきって、逃げることができます。そこで問題です。鬼はボートの最高速度の4倍の速さで走ることができます。視力も完璧で、決して眠らず、とことん論理的です。あなたを捕まえるために、できることはすべてするでしょう。どうすれば、この鬼から逃げられるでしょう。
この本のサブタイトルにもなっている"富士山を動かすのに、どれだけ時間がかかるでしょう"の解答は次のようなものである。
"考え方は2つありうる。富士山をまるごとひとまとめに動かす構想・・・ヨーロッパの王様たちが、技術者に、エジプトのオベリスクを自分のいる都に移させたように・・・が思いつけばラッキーだ。そうでなければ、フェルミ推定になる。富士山の移動を、通常の採石作業のように考えるのだ。富士山の体積がトラック何台分になるか、推定する必要がある。推定の出発点は、富士山のあの有名な姿にとるのがいいだろう。アメリカ人ならたいてい、富士山と言えば平たい円錐形が思い浮かぶだろう。底面の幅が高さの5、6倍の長さがあるとしよう。富士山の高さとなると、はっきりおぼえているアメリカ人はあまりいない。富士山は世界最大級の高さの山といぅわけではない。高さ3000メートルで、底面のさしわたしが2万メートル近くの円錐があるということだ。"
"これを前提に、体積計算をすると、5000億立方メートルになり、トラック一杯で、30立方メートルほどなら、トラック150憶台分ほどになる。ただし、問題には不明なところがいくつもある。富士山をどこへ移動させるのか。面接担当者が、このことを教えてくれるかどうか、確かめてみよう。この山が、すぐに掘れる表土と、ダイナマイトで掘削しなければならない岩とが、どのくらいずつあるのかもわからない。"
IQなどの試験には限界がある(この本では"IQの幻滅"と表現されている)。しかし、このような問題にどの程度の有効性があるかは未知数では、と思う。
18.11月27日
銀行大手6グループが不良債権比率を半減
大手銀行の不良債権対策の見通しが見えてくるようになった。大手銀行7グループの2004年9月の中間決算では、UFJを除く6グループが不良債権比率を2002年3月期に比べ半減。金額ベースでは、7グループの傘下銀行合計の2004年9月末の不良債権残高は12兆733億円で、2002年3月末の26兆8017億円から半額以下に減少。不良債権比率から見ると4.65%となり、2002年3月末の8.41%からほぼ半減。2005年3月期には、全グループが2〜3%台となって完全に達成する見通し。今後、不良債権問題の焦点は中小金融機関などに移り、これらの諸機関の改善が進むようであれば、日本経済にいっそうの明るさが戻る可能性がある。しかし一方で、景気後退懸念も出ているようで、まだ先の見通しは立たないのが現状のようである。現在、ドル急落、円高騰、原油高など、波乱要因はいろいろある。良い方向に向かって欲しいと願うばかりである。
19.平成16年12月4日
"最後の将軍"(1997年7月 文芸春秋社刊 司馬遼太郎著)を読んで、映画"ラストエンペラー"を思い出した。中国清朝最後の皇帝であり、その後満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀の数奇な運命を描いた作品であった。3年ほど前北京を旅したとき、故宮を訪ねて映画の舞台を直に見た。皇帝だったのは1912年までで、国名は「中華民国」に変わり、1945年には「中華人民共和国」に変わった。(溥儀と異なり、徳川慶喜はエンペラーではないが、"京に天皇がある以上、王とも書けず、また直訳して将軍(ゼネラル)といえば一軍人のようであり、実際と違ってくる。やむなく大君という日本語にない言葉を創作したが、外国人ことにフランス人はこれを皇帝と解釈していた"という。)いずれにしても、時代の流れと無常を感じる。
最後の将軍徳川慶喜は、天保7年に水戸斉昭の七男として生まれ、弘化4年に一橋家を相続した。家茂と14代将軍の座を争って敗れ、隠居・謹慎した。万延元年に、大老井伊直弼が桜田門の変で殺された後、許されて文久2年に将軍後見職に就任した。徳川家では、将軍家に世継ぎの無い場合、御三家の中から水戸家をのぞいた、尾張家、紀州家、または、一橋、清水、田安の後三卿から、将軍家に養子を出す慣わしになっていた。他家にこれという人材がいなかったこともあって、慶応2年に将軍家茂没後徳川宗家を相続し、十五代将軍に就任した。このころ、国中は、ペリー来航以来、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐって、最悪の政治的混乱に陥っていた。優れた行動力と明晰な頭脳をもって、敵味方から恐れと期待を一身に受けながら、就任後わずか2年で、徳川家康より300年近く続いた江戸幕府を、みずから葬り去ってしまった。慶喜は多芸多才の才人であったが、一方、胆力、野心のない男でもあった、という。有能な家臣を非業のうちに死なし、鳥羽伏見の戦いでは、前線で戦っている幕府の兵を見捨てて、夜陰に 紛れて江戸に逃げ帰った。その後は幕末の戦いに背を向けてひたすら恭順した。しかし、"明治維新は慶喜の譲歩がなければ成立しなかった。"という評価の方が大きいようである。大政奉還が成ったことを坂本竜馬が知ったとき、「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。」と言って感動したという。慶喜は、江戸城を出て上野寛永寺の大慈院に謹慎し、水戸へ移住したのち静岡に引退し、明治30年まで同地で暮らした。その後東京に移り巣鴨邸に入り、明治35年に華族に列し公爵になり、明治41年に勲一等旭日大綬章を受賞し、大正2年に77歳で亡くなった。
20.12月11日
"ハイテク犯罪入門"(2004年3月 東京法令出版刊 大橋 充直著)は、"ハッカー検事"といわれる著者が『捜査研究』に連載した記事をまとめたものである。大橋氏は昭和33年に横浜で生まれて、小学校6年からパソコンとアマチュア無線に耽溺、高校卒業後法曹を目指して某私大に潜入し、司法試験合格を目指して猛勉強し、昭和61年に合格し平成元年に検事に任官した、という異色の経歴である。特に、平成8年ころからハイテク犯罪知識を盛んに収集してきた、という。
ハイテクを利用した犯罪は、日々、多数、発生していると思われる。しかも、技術は日進月歩で進展しているので、あとを追いかける犯罪捜査は苦労が絶えないであろう。リンクやログを追跡するハイテク犯罪捜査は、気の遠くなるような牛歩戦術であるように思える。この本では、最初にハイテク犯罪の捜査の傾向と対策が述べられ、以下、不正アクセス、電子メール犯罪、WEB犯罪、サーバ攻撃、などが取り上げられている。ハイテク犯罪御三家は、「不正アクセス」「ネットポルノ」「オークション詐欺」だという。最近は、ハイテクを単に道具として用いた、脅迫、名誉毀損、各種業務妨害、著作権法違反が増加しているようである。不正アクセスでは、セキュリティ・ホールから進入する手口の多くは、「バッファ・オーバー・フロー」「ポート・スキャン」によるものである。増加傾向にあるもののこの手のものは意外に少なく、多くはIDとパスワードを使った「なりすまし」である。電子メールは通常に使えば便利この上ないものであるが、反面、いやがらせに、とても便利なハイテク技術である。かつての無言電話、ファックス攻撃、と同様に、さまざまな手段で相手にいやがらせをすることができる。中でも、犯人性を秘匿、偽装したメール爆弾などがよく利用されている。捜査はメールのヘッダの追跡から始まる、という。WEB犯罪では、掲示板荒らし、サイトすり替え、WEBサーバへの侵入、その他、各種サービスの悪用が取り上げられている。事件が起きると、捜査はアクセス・ログのトレース・バックから始まる、という。サーバ攻撃は、サイバー・テロへの道につながる。ハッカーにとっては、一度は破壊してみたい対象である。サーバを誤動作させ、機能不全に追い込むことを狙っている。昨今は、ハッキング・ツールという犯罪ソフトができているので、中学生でも実行できてしまう危険性が顕在化した。このほか、パソコン内部からデータを盗聴するキー・ロガー、無線LANのデータを盗聴する、テンペスト、スニッファや、メールの盗聴、クローン電話を使った通信犯罪などが紹介されている。
21.12月18日
"儲かる会社の作り方"(2004年9月 ソフトバンクパブリシング刊 堀江 貴文著)は、若者は会社を作るしかないと強いメッセージを送っている。掘江氏は、話題になったライブドアの代表取締役社長兼最高経営責任者である。1972年10月福岡県生まれ、1996年4月東京大学在学中にオン・ザ・エッヂを設立。2000年4月、東京証券取引所マザーズに株式を上場し、サイパークリック、melmaなど、数多くのウェブサービスをはじめ、データセンター事業、ネットショップ事業(アスキーストア)、プロバイダー事業(livedoor)を展開している。2003年8月にはリナックスベースのOS「LindowsOS」日本語版を独占販売し、2004年2月に「エッジ株式会社」から「株式会社ライブドア」に社名を変更した。
本書では、面白い疑問が提起されている・・・なぜ一生懸命働いている若い人たちの給料が、年老いて労働効率も落ちていて感覚も古くなっている人たちの数分の一であることが当たり前の世の中なのか。日本の大企業は、実は、右肩上がりの経済成長とピラミッド型の人口構成を前提にしただけの非常にもろい仕組みの上にモデルは成立しているのだ、という。これまで多くの人が、終身雇用、年功序列、企業内組合という、日本的経営の中にあまり疑問を持たずに、会社という社会に入っていった。近年、日本的経営に揺らぎが生じる中で、いま、新しいモデルが模索されていると思う。氏は、多くのサラリーマン社長の保身や彼を頂点とする会社内の年功序列、あるいは派閥、こういったものが日本経済を歪めている、若者は今すぐこの既得権益構造から抜け出し、起業するか、あるいは起業する者についていくべきなのだ、という。株式会社ライブドアはその先兵である、われわれはインターネットという、先行者がほとんどいない荒野のマーケットに乗り込んでいって橋頭壁を築いた、やる気のある者、能力の高い者がリーダーシップを取り、十分な報酬を得ることができる完全実力主義の会社である、これまでのわれわれ以外の会社がやってきた間違ったやり方は絶対に導入しないように心がけたつもりだ、という。本書では、ビジネスプランを練るところから、インターネットにより「起業」、資金調達、創業メンバー、会社の体裁、会社を育てる、会社を上場させる、みんなで幸せになる、と続いている。周りが同じことをあまりやらないものだから、目立って業績も右肩上がりである、でも、それは当たり前なのだ、ほかの会社はその当たり前のことすらできていない情けない状態にある、最高益を更新中の世界的企業だって、もっともっと稼ぐことができるし、大きな会社になれる可能性があるのに、そのチャンスを逃しているケースも多い、という。大きな企業にいれば、ベルトコンベヤーに来せられながら、安い給料でこき使われ、上の世代から理不尽なプレッシャーを受け、奴隷のような扱いを受ける、そんな自分の思いや能力を生かせない大企業にいるのに比べれば、多少の浮き沈みはあれど、そんなネガティブな面も打ち消してしまうような、働くことの喜びが起業することで得られるのだ。起業する勇気がない人も、これは!と思った人が起業するのなら、迷わずついていけばよい。一度きりの人生で、挑戦しない手はない・・・氏のメッセージである。
22.12月25日
Bフレッツにしたのはよいが・・・
何と言っても、ブロードバンドの本命はFTTH(Fiber To The Home)と思って、自宅にBフレッツを導入した。これまではADSLモアUの24メガタイプであった。40メガタイプにしようとしたが、電話局からの距離が離れていて、その効果がまったくないと分かったのでやめていた。Bフレッツは何と言っても100Mなので、さぞやと思ったが、いろいろとあるようである。まずは実効スピード、24メガADSLのときは3〜5メガだったと思う。Bフレッツは、工事にきた人のパソコンでは68メガ出ている。これはいけるかも、と思ったが、あとで電話して聞くと、"直接NTTにつないでいるときはそうですが、プロバイダ経由では20メガくらい"という。次にIP電話。これまでADSLで使っていたモデムには、ルータ機能とIP電話接続機能がセットされていた。しかし、"Bフレッツ用のモデムにはその機能がセットされたものがない"のだという。別に購入するか、レンタルを受けるかしないとIP電話が使えないのである。さて、つないで見ると、やはりいままでよりはかなり早い。メリットの方が大きいが、デメリットも少しあった。ブロードバンドルータは何がよいのか。NTTに電話して聞いたWebCasterV100はIP電話接続機能もついているが、30メガ程度のスピードだという。別のLinksys社のBEFSR41C−JPという機種なら、最大実効スループットが90メガという。これを使った人がV100からこの機種にルータを変更したら、突然、転送速度が60メガに跳ね上がったという。しかし、IP電話接続機能はないので、VOIPアダプタを別に用意しなければならない。さてさて、どうしたものか。
23.平成17年1月1日
"MOTイノベーション"(2004年9月 森北出版刊 岡本史紀著)は、産官学あげて必至に取り組んでいるMOT教育への取り組み状況を概観した本である。
MOT(技術経営)とは、企業価値最大化を目的に技術をいかに経営戦力として活用し継続的な高収益を実現するかという経営方策である。MOT(Management of Technology)の起源は、MIT(マサチューセッツ工科大学)が設置した1952年のSloan School、1962年のManagement of Sciense Technology、1981年のMOTプログラムである。1960年代は、技術開発管理、1970年代は、技術移転、1980年代は、技術革新、1990年代は、技術戦略、2000年代は、ベンチャー産業育成に力が注がれてきた。日本が技術大国と呼ばれたのはもはや過去のことである。日本の技術力は高く評価されているものの、企業の業績は低迷したままである。スイスの2002年の調査では、日本の科学技術力は世界第2位だが、マネジメントの水準では第41位、国際競争力では第30位と、この10年間で評価が急速に低下している。本来、高い技術力・産業競争力を有する日本が、長引く不況を脱出できないでいるのは、米国などに比べて、技術をマネジメントして革新的なビジネスチャンスを的確につかみ、新製品や新事業の創出につなげていく能力が劣っているためだといわれている。これは米国では"死の谷"と表現され、研究開発と企業経営の間に大きく深い谷が存在し、渡ることができない問題があるようである。優れた技術者が画期的な発明をしたり、それでベンチャー企業を起こそうとしても、経営者に理解されず、谷底には研究者の屍が累々と横たわっている(元シャープ副社長 佐々木正氏)という。この閉塞状態を打ち破るのは、技術と経営の融合でもあるMOTであり、製造業をはじめ、技術をビジネスの中核に据える企業から特に期待されている。研究成果などが事業に結びつかない問題を解決しようと、MOTへの関心が急速に高まっているわけである。いま求められているのは、技術知を真の社会経済的価値に具現化する技術経営人材である。日本ではまず企業が始めて、教育はその後を追いかけることが少なくない。明日を担う次世代のリーダーは、専門性を軸にした、高い志や広い視野、透徹した洞察、トータルな視点などが強く求められている。ただし、昔からMOTを実践していなかったわけではない。しかし、従来は経験則に頼っていたために、研究開発の投資効率が下がってきたという意見もある。いま日本では企業はもとより、経済産業省や文部科学省の諸施策の中でも力点がおかれ、急速に普及してきている。
・いま注目されるMOTとは何か
・MOTはなぜ重要であり必要なのか
・技術立国日本の現状と将来
・欧米型MOT教育では、MBAからMOTへという流れが、スタンフォード大学、ジョージア工科大学、レンセラー工科大学、マサチューセッツ工科大学、シュトゥットガルト大学、マンチェスター大学などについて説明されている。
・わが国の企業におけるMOTでは、CTO(Chief Technology Officer)の役割、企業内研修制度としてのMOT、企業のMOTスクールなどが紹介されている。
・経済産業省によるMOT人材育成への取組み
・わが国の大学などによるMOT教育では、ビジネススクールにおけるMBA教育への取り組み状況、社会経済生産性本部、北陸先端科学技術大学院大学、高知工科大学、立命館大学、その他の機関におけるMOT教育への取り組み状況、高度専門職業人養成大学院の設置状況などが紹介されている。
・日本型MOTで技術立国日本の再生へ
24.1月8日
"金融工学、こんなに面白い"(2000年9月 文藝春秋社刊 野口 悠紀雄著)は、やさしく面白く要点を説いた書である。氏の著作はどれも面白くて興味深いが、本書は金融工学について醸し出されている虚像をはぐことを目的の1つにしている。金融工学の発端になったのは、シカゴ大学の大学院生ハリー・マルコヴィッツの論文「マルコヴィッツの平均・分散モデル」であった。この論文はすんなりうけいれられたわけではなく、葬り去られるところであった、という。
金融工学の本格的な勉強は決して容易ではない。経済学、金融理論、金融実務、数学、統計学の勉強が必要である。しかも、新しい理論がつぎつぎに生まれるのでつねに先端を追いかけなければならない。習得すれば、金融機関がスペシャリストとして雇ってくれたり、大学や研究所でもまだ手薄な分野なのでポジションを得られる可能性が高い。大量のデータを用いて複雑な計量モデルを構築すればし、それで株価を分析すれば将来の予想ができるという人がいるかもしれない。しかし、金融工学を学んでも将来の予想はできないし、まして金持ちにはなれない。金融工学は、金持ちになる方法を与えていないのである。コンピュータや高等数学を駆使すれば、予測は可能になると期待している人がいるかもしれない。しかし金融工学は、株式投資で確実に儲けられる方法は存在しない、という基本的な結論を前提にしている。市場が効率的だとどんな情報も瞬時に正確に市場価格に反映されるため、情報誌を読んでいても意味がない、さらに、情報誌の費用が無駄になるので不利になってしまう。従来のケイ線では株価の予想はできないが、金融工学でも株価の予想はできないのである。将来の株価の予測は、ある意味で、タイムマシンで未来を覗くようなことである。タイムマシンを製作することはできない。永久機関も錬金術もありえない。これらを不可能であると認識したことが、近代自然科学の出発点である。金融工学は、基礎的な方法論を学んで無駄な損失を避けること、概要を学んで(いかさま金融商品をつかまされたりして)だまされないようにすること、である。金融工学の主要なテーマはリスクである。リスクを定量的に把握し、リスクに取り組む仕組みを考え、分散投資してリスクを減少させる。巨額な資産を運用する機関投資家の一員ならば、多大な時間と費用をかけて金融工学を学ぶメリットはありそうであるが、資産の少ない労働者にはコストをかけても利益は少ないようである。他に、ベータ投資理論、先物取引、オプションについて、わかりやすい解説がなされている。江戸時代の大阪の米相場から始まった先物市場だが、今や、日本はこういった金融工学では学問的にも実経済でも世界の後進地域となっている。原因は、日本の教育制度、省庁の縄張り、土地本位制などにあるようである。
25.1月15日
サムスン電子が世界のトップ企業に
"冬のソナタ"に始まる"韓流"の原動力になったと思われる、世界の韓国企業が飛躍している。韓国のサムスン電子が2004年12月期の純利益で、IT関連企業としてはインテルを上回って世界最高の純利益を上げた。純利益は前期比81%増の10兆7867億ウォン(約1兆786億円)。一方、世界のインテルは75億ドル(約7730億円)であった。サムスン電子はすでに全世界の半導体市場を席巻するのに続き、家電と携帯電話販売量でも世界トップ3のベンダーとして浮上し、グローバルリーダーとしての位置を固めている。かつて韓国企業が持っていたLow Brand、Low Priceのイメージを払拭し、High Brand、High Priceのイメージを植えつけるのに成功し、研究開発活動にも絶えず力を入れている。いまや液晶技術では世界のトップレベルで、相次ぐ技術開発と量産による原価削減を行ってきた。100億ドルを突破したのは韓国企業としては初めて。売上高は前期比32%増の57兆6324億ウォン(約5兆7632億円)であった。2003年に純利益が100億ドル(約1兆300億円)規模に達した企業は、トヨタ自動車(1兆1620億円)を含めて世界で9社だけ、という。そして、2010年までに半導体事業に25兆ウォン(2兆5000億円)の設備投資をする計画である。主力の液晶表示装置部門は好調はしばらく続くと思われるが、半導体事業、特に、DRAMやフラッシュメモリーはこのまま続くであろうか。今後に注目したい。
26.1月22日
"経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか"(2004年9月 平凡社刊 C.ダグラス ラミス著)は、ゼロ成長こそ日本が生き延びるチャンスだという。ラミス氏は『世界がもし100人の村だったら』の著者。
経済成長だけに止まらず、テーマは、戦争と平和、安全保障、日本国憲法、環境危機、民主主義」などに及ぶ。管理人は経済成長に関していちばん興味を持った。21世紀を豊かに生きるためには、20世紀の常識を今くつがえすことだという。経済成長ツアー客を乗せた「タイタニック号」の乗客は、氷山にぶつかることを知っていたが、舞踏会を中断することも豪華な食事の止めることもできなかった。また、そもそも、与件となる外海は、環境問題の制約からは逃れることはできない。経済成長政策は、外海の環境的要因も含めて見直されなければならない。パラダイムの転換がいま必要であるが、国民(乗客)の透徹した認識がなければ成し得ない。地球の資源には絶対的な限界があり、それをこえることはできないから、パイを大きくしようとしても、ピースは大きくならない。「発展」を経済成長ことと捉えると、発展には限界がある。そもそも、「未開発の国々」という用語は、1949年のトルーマンの大統領就任演説以降に使われたものにすぎない。このころから、「発展しない国」という概念が、「野蛮な国」と同じ概念にとらえられ、「経済停滞恐怖」への道が始まった。これは、違うのではないか、というのが著者の考えである。かつては植民地経営のために現地の人々を強制労働させ、戦後は経済発展のためといって投資という名で搾取してきた。そして、現在北半球の国が発展しているのは、南半球の国々が貧困だからである。南の国々は発展していないのではなく、北の経済制度に取り込まれたのである。経済成長を追及した結果「貧困」はこの世から消えることなく、かえって「貧困の近代化」が始まってしまったのである。これから逃れるためには、従来の「発展」概念と対峙する、「対抗発展(Counter-development)」概念を構築・認識することが必要である。ゼロ成長を「エンジンの故障」ではなく機会ととらえ、経済以外の価値を発展させていけばよい。それは、エネルギー消費を減らし、個人が経済活動に使っている時間を減らし、値段のついているものを減らす「減らす発展」と、経済以外の価値、市場以外の楽しみや、行動・文化の発展、使用価値のあるである。従来の交換価値から転換しようという。北の国は、消費中毒や仕事中毒の生活を止め、買わずに作る、CDを買うより自分で歌う、TVで見るより自分で遊ぶ、という生活を選ぶべきである。著者のいうように、たしかに、経済成長がゼロでも生活はできる。しかし、やはりそれでよいのであろうか。
27.1月29日
労働力人口が減少している
労働力人口は、働いている人と職探し中の失業者の合計であるが、ここ数年、連続して減少している。平成元年(1989) 6325万人、2年(1990) 6423万人、3年(1991) 6556万人、4年(1992) 6616万人、5年(1993) 6659万人、6年(1994) 6644万人、7年(1995) 6674万人、8年(1996) 6731万人、9年(1997) 6794万人、10年(1998) 6779万人、11年(1999) 6770万人、12年(2000) 6787万人、13年(2001) 6737万人、14年(2002) 6655万人、15年(2003) 6642万人、16年(2004) 6612万人(いずれも12月時点の季節調整後の男女合計)。1997年のピーク時に比べ、2004年は182万人減っている。高齢化社会の進展と、働く意欲を示さない若者の増加の要因が大きいようである。
食事や医療の進歩などで、うれしいことに平均寿命は、どんどん伸びている。昭和22年には男50.06才、女53.96才であったが、平成9年には男77.19才、女83.82才になった。しかし、一般的に高齢者は、仕事からはリタイアし、健康や体力に問題を抱えている人が多い。高齢化社会とは、その社会の構成員で65才以上の人が占める割合が7%を越えるときであり、高齢社会とは、65才以上の高齢者人口の割合が14%を越えた時の社会である。65才以上の人の割合は、1985年には10%であったが、2000年には17%になり高齢社会になった。2020年には27%くらいと推定されている。高齢者のリタイアした後を継ぐのが若者である。しかし、高齢になっても簡単にリタイアできない世の中になりつつある。だたし、仕事が何より好きな人にはよいのかも知れない・・・。
かつて、フリーターが問題視されたことがあったが、いまでは肯定的な存在になっている。フリー(英語)+アルバイター(独語)を略した、和製語で、1980年代後半に、リクルートの『フロム・エー』で最初に使われた。特に10代後半から30代前半の年齢層で、会社や団体組織に正社員や職員をとして所属せず、 時給や日給による給与を主な収入源として生活する人である。(50代や60代はフリーターとはいわず、自由業者という。)国民生活白書では、1990年は180万人だった。この人達の多くは狭義のフリーターである。2001年になって417万人と急増した。就職活動はしたが、不況の影響で、どこにも決まらなかったから仕方なくアルバイトを始めた人達が多く、いわば広義のフリーターである。UFJ総合研究所の予測では、2010年には476万人(若年人口の21.2%にあたる)にピークに達し、2020年には経済成長の持続や若年人口の減少などで444万人(しかし、若年人口比では30.6%に増える)に減るとされる。
そしていま、働くことにも学ぶことにも踏み出せない、ニートと呼ばれる若者たちが増加している。ニートとは、Not in Employment, Education or Trainingの略語で、最初にイギリスで使われた。職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない若者を指す。ほとんどの就業支援策から事実上排除された存在であり、求職もしないので失業者としてもカウントされず、つかみどころのない存在である。今が楽しければいいという人、ひきこもる人、立ちすくむ人、つまずいた人など、いろいろなタイプがあるようである。社会経済的な要因、技術・技能の要因、何をしたらよいか分からないという精神的な要因など、さまざまな原因がからんでいるようである。労働経済白書によれば、若年無業者は、2002年、48万人、2003年、52万人とされている。このところ、完全失業率の低下により、雇用の改善傾向が見られるが、労働力の先細りは日本経済の先行きの懸念であり、若者の就業の定着が急務になっている。
28.平成17年2月5日
いま、携帯が熱い
ソフトバンクのyahooBBが主導する通信業界の価格破壊の狙いが、携帯に移りつつある。かつて日本は世界一通信料金が高い国であった。高速常時接続環境になったとき、yahooBBの先行する低価格路線が支持されて、いまではこの環境では世界でももっとも料金が安いレベルになった。利用者は大歓迎である。現在、携帯の利用料金がまだ高額であるが、ここでも価格破壊を実現してもらいたい。ソフトバンクは、2004年に固定電話で日本テレコムを買収し、格安の「おとくライン」サービスを開始した。今回は、携帯電話にも参入を表明した。2004年12月6日に、携帯電話事業への参入を目的に、これまでNTTドコモとauが使用していた800MHz帯での無線局免許を申請した。800MHz帯は、ビルの谷間や屋内でも電波が届きやすく、基地局の設置数を減らせるため、どの事業者もこの周波数帯が欲しい帯域である。この帯域をより効率的に運用するため、2012年をめどに再編成の準備が進んでいる。無線局免許は、希望する事業者が総務省に申請し、その後審査を行い、認められた場合に交付されるが、再編後、帯域をどう割り当てるのかのルールが不明瞭のようである。 別帯域であれば参入は比較的容易なようで、1.7GHz帯なら2006年にも新規割り当てが始まるため、すぐにビジネスを開始できるようである。しかし、本命の帯域での公正な競争をぜひ実現してもらいたい。東京地裁に訴訟を持ち込み、総務省の方針を変えさせる戦略のようである。「我々が狙うのはドコモ。ドコモと同列で戦えないのなら興味はない。ツーカーと同規模の事業者がもう1つ現れても、産業構造は変えられない。僕らはこれから戦争をするんです。今回の戦いで恩恵を得るのは我々ではなく、20年後のベンチャー企業かもしれない。それでもいいから、まずあり方を変えようと思った。我々はこういうことにはしつこい。国内の携帯電話のビジネスモデルを破壊し、新しいものを創造するところまでやる。」(宮川常務)今後の行方が注目される。
29.2月12日
"アマゾンの秘密"(2005年1月 ダイヤモンド社刊 松本 晃一著)は、"コネとは恐ろしいものである。英語もしゃべれず、学歴は高卒、おまけに中年という僕が、まわりはバイリンガルとMBAばかり、しかもトップは10歳も年下という会社に紛れ込んでしまったのだから"の書き出しで始まる、読んでとても面白い内容である。
IT業界は、実力の世界だということを感じさせる。著者は日比谷高校卒業後、広告制作、広告企画、マーケティング・プランナー、ITコンサルタント、として活躍し、2000年〜2002年にアマゾン設立に参加した(現在はアマゾンは退きアミタ株式会社の顧問)。アマゾンといえば全米屈指の大企業である。著者は日本での立ち上げに重要な役割を担った。この本は、著者がアマゾンに在籍していた2年数ヶ月間の前半にあたる期間のことを中心に書かれたものである。1ユーザーとしても、日本でのamazon.co.jpのオープンは衝撃だった。アメリカでのアマゾンの成功は何度か見聞きしていたが、ITバブルはなやかなりしころのもので、まだ、株価の高騰が先行して、利益が出ていない会社であった。ITバブルの崩壊とともに、シリコンバレーに閑古鳥が鳴く事態になって、泡沫企業はどんどん潰れたが、アマゾンはその後黒字になり成長を続けている。その一端を担ったのが日本のサイトであった。オープンの記者会見があってからすぐその日のうちに、サイトが開かれて、しかも、中身はとても充実したものだった。アマゾンサイトの立ち上げに関して、アマゾンは秘密主義であった。再販制度に固められた日本の出版業界にアマゾンが進出することは、極秘であったためである。秘密のオフィスに出勤して年内立ち上げというのが至上命令であった。本屋に本がないことへの解決策としてのサイトを目指し、性別も年齢も関係ないアマゾンのCRMや事欠かないサービスを前提に、地球上でもっともお客様を大切にする企業と呼ばれたいという、アマゾンのシステムの考え方がよく分かる。それを支えているのが、アマゾン流の、マーケティング、品揃え、品質である。その後、日本のサイトは着実に利益を出している。アマゾンの実体は、巨大で先進的なコンピュータシステムだった。当時のアマゾンの、マーケティング、仕掛け、システム構築、障害対応など、が詳しく書かれている。その後、著者は、組織として肥大化、官僚化するアマゾンから去ることになった。
30.2月19日
イオンの大幅採用増
総合スーパー大手のイオンはかつてのジャスコである。イオン株式会社を中核に、国内外の158の企業で構成されている。1989年にはグループの名称をジャスコグループからイオングループに変更した。初期投資を抑えるため、タヌキが出る場所に出店してきたという。特に、郊外のショッピング・センターに強みがある。そういえば、千葉の別の我が家のある駅前にもジャスコがあった。経営が傾いたマイカルを子会社化して、グループは大きく拡大した。2002年2月期は売上高、2兆9345億円、2003年2月期は、3兆0865億円、2004年2月期は、3兆5462億円であった。長期の目標として、世界小売業ランキングトップ10入り掲げている。国内をしっかり固めるため、これからも全国規模の新規出店が続きそうである。また、いままであまりやってこなかった、首都圏への本格攻略も始まるという。2001年度から3年間、薬剤師以外の新卒採用を凍結してきたが、新規出店を増やした2004年度から再開し570人を採用したが、2005年度は今年度より3倍増の1900人にする方針である、という。今後、イオンがどこにどういう店を出して、どういう経営を展開するか、また、イトーヨーカドー、ダイエーとの競争がどう展開していくか、見るのがとても楽しみである。
31.2月26日
"コンプライアンス経営"(2005年1月 生産性出版刊 田中宏司著)は、最近あった数々の企業の不祥事への有効な対策の指針を示している。
なぜ今、「コンプライアンス経営」なのか。コンプライアンスとは、法令の遵守を基礎にした企業倫理である。企業には、公正な競争、不正是正・排除、安全・安心第一が求められている。さまざまな行動を起こすにあたって、不祥事の発生を防ぎ、安定した経営、社会から求められる責任を果たすために、コンプライアンスのの確立と実践が必要である。これを怠って企業不祥事が発生すると、さまざまな悪循環に落ち込み、経営は動揺し悪化する。関係した企業・組織は、顧客・消費者、国民、社会の信頼を拐ね、長年培った信用・ブランドが一気に失墜する。不祥事が発生した企業・組織では、緊急事態発生時に、経営上層部ヘマイナス情報が迅速に報告されていないことや、コンプライアンス・企業倫理体制整備が遅れていることなど、適切な手を打たないために危機を増大しているようである。本来あるべき不祥事防止の基本対策としては、緊急の対症療法のみにとどまらず、社会から信頼される企業として、組織を挙げてコンプライアンス経営の実践が必要である。本書は、このような問題意識と課題を念頭に、企業が企業不祥事の発生を防ぎ、経営革新を推進して、事業の繁栄を通じて、持続可能な社会に貢献できる解決策の一つとして、コンプライアンス経営を提唱している。内容は、経営理念と企業倫理、米国における企業倫理の実践動向、倫理綱領の策定方法、さまざまなレベルの倫理憲章・綱領、日本企業における企業倫理実践状況、企業倫理実践システムの仕組みと手法である。
なお、日本経済団体連合会の「企業行動憲章・実行の手引き」(第三版、平成14年10月15日付)の10原則も参考になる。
1.社会的に有用な財、サービスを安全性に十分配慮して開発、提供し、消費者・ユーザーの信頼を獲得する。
2.公正、透明、自由な競争を行う。又、政治、行政との健全且つ正常な関係を保つ。
3.株主はもとより、広く社会とのコミュニケーションを行い、企業情報を積極的かつ公正に開示する。
4.環境問題への取組みは企業の存在と活動に必須の要件である事を認識し、自主的、積極的に行動する。
5.「良き企業市民」として、積極的に社会貢献活動を行う。
6.従業員のゆとりと豊かさを実現し、安全で働きやすい環境を確保すると共に、従業員の人格、個性を尊重する。
7.市民社会の秩序や安全に脅威を与える反社会的勢力及び団体とは断固として対決する。
8.海外においては、その文化や慣習を尊重し、現地の発展に貢献する経営を行う。
9.経営トップは、本憲章の精神の実現が自らの役割である事を認識し、率先垂範の上、関係者に周知徹底する。また、社内外の声を常時把握し、実効ある社内体制の整備を行うと共に、企業倫理の徹底を図る。
10.本憲章に反するような事態が生じたときには、経営トップ自らが問題解決に当たる姿勢を内外に表明し、原因究明、再発防止に努める。また、社会への迅速且つ的確な情報の公開と説明責任を遂行し、権限と責任を明確にした上、自らを含めて厳正な処分を行う。
32.3月4日
フジテレビVSライブドア
ニッポン放送株(親会社?)を過半数所有してフジテレビ(子会社?)を支配してインターネット放送を本格化したいという名目で始まった、ライブドアによるこのM&A(Merger and Acquisition)とTOBがとても興味深い。M&Aは、企業全体の合併・買収だけでなく、営業譲渡や株式譲渡、資本提携などを含めた広い意味での企業提携の総称である。自社に不足している経営資源を補うために、あるいは事業の再構築やリストラを行うために、経営権や事業資産を譲り受けたり譲渡したりする。ニッポン放送の株価は3月4日で6500円で、これに対し、フジテレビが1月17日に発表したTOB価格は5950円であった。TOB(take-over bid)は株式公開買付けで、M&Aの手段の一つであり、証券取引所を通さずに行う。対象企業の発行済み株式の3分の1を超えて取得すると株主総会での特別決議の拒否権が取得でき、過半数を超えると経営権が取得できる。ライブドアが大量の株式取得を発表した2月8日以来、株価がTOB価格を下回ることはなかったため、ライブドアが市場で買い集めやすい状況が続いてきた。フジテレビは、ライブドアが50%超を獲得して子会社化した場合に備えて、ニッポン放送の経営の重要事項に拒否権を発動できる3分の1超を目標に、保有企業に対して必死の協力要請を続けている。ニッポン放送の社員は、ライブドアではいろいろな意味で大変であり、リスナーのためという名目でライブドアを拒否している。トヨタ自動車は、買い付け価格が市場価格を下回っているので、自社の株主の利益を損ねるという理由で応じないことにした。もしTOBに応じると、公開したり応じたりした企業の株主総会は大荒れに荒れるだろうという情報が飛び交っている。フジテレビによるニッポン放送株のTOBは最終局面を迎え、成り行きが注目される。一方3月4日の時点で、ライブドアは議決権ベースで約45%を確保した模様である。今後フジテレビは、TOBの締め切りの7日に向けて、目標としている25%超だけでなく、少しでも上積みを図りたい考えである。賛否両論が渦巻いているこのぶつかいあい、これからどうなるであろうか。
33.3月12日
1210兆円の損失
内閣府が3月10日に発表した2003年度国民経済計算では、土地資産額は、2003年度末で1298兆9千億円であった。2002年度末より71兆7千億円減少、1990年度末の2452兆2千億円よりほぼ半減、値下がり損失の累計は1210兆5千億円になった、という。
34.3月19日
"生きてこそ"(2004年10月 すばる舎刊 野口 誠一著)は、すでに失敗学の参考書を何冊も出されている、八起会を主催する著者の、さまざまな経験と実践から生まれたもので、一度は読んでおきたい書の1つであろう。
野口氏は昭和5年に東京で生まれた。高校に入学した頃、当時は戦争が終わったばかりで、毎日の食うものにも困っていた。昭和24年、19歳のとき、ラブレターの代筆業を始め、けっこうな食料を手にすることができた。思いつきと事業の才があったようである。日本大学に在学中、ひと山あててもっと楽をしたいと考え、友人がゴム製のベルトを売って儲けているのを見て、ゴム製の長靴を作ることを思い立った。ゴム製品は統制品だったので、作れば飛ぶように売れた時代であった。まずは製造方法を知ろうと、タンス屋からゴム工場に転職した。企業秘密はなかなか教えてもらえなかったが、一計を案じて企業秘密を手に入れ、ゴム職人と交渉し製造を始めた。当時ふつうの人が日給100円だった時代に、日に5000円以上の利益を出した。商売なんかちょろいものだ、と人生に高をくくることになった。儲けた金は賭け事で散財した。いくら負けてもまだ金が入ってくるので、困ることはなかったが、その後、不況にあってあっさり倒産してしまった。日本大学卒業後、玩具製造業を営んでいた義兄の下で、集金の仕事をやった。思いつきのアイデアで製品化した玩具がヒットした。そして、昭和31年に、25歳で玩具メーカーを設立した。最初は従業員5名、月商150万円でスタートし、5年後に従業員100名、年商10億円を売り上げるまでに成長した。しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和53年に倒産した。この22年の間、大いに稼いで、金はうなるほど、暇は持て余すほどあり、ゴルフをはじめ、飲む打つ買うに、大いに散財したようである。その後、所有していた5軒の家を手放し、負債の整理に追われながら、6畳2間の家族5人暮らしとなった。再起に向けてもう一度立ち上がるそばには、支える家族、友の姿があった。そして、本当の幸をつかんだと実感するようになった。経営は、単に金を儲けるというだけの目的ではダメで、人や社会に奉仕したり貢献できる経営が大事で、心、金、体のバランスがとれた経営が大切とのこと。
35.3月26日
ライブドアVSソフトバンク
東京株式市場で、ニッポン放送の保有するフジテレビジョン株がソフトバンク・インベストメントに貸し出され、フジテレビとの提携交渉が難しくなるとの懸念から、ライブドア株が下落した一方、ソフトバンクグループ株はそろって上昇した。今度は、ライブドアVSソフトバンクにも波及することになった。もともと、Livedoor VS YaHoo!! が背景にあったのではないか、と思われる。敵対的買収に対抗手段する手段には、ポイズンピル(敵対的公開買い付けが始まり買収会社が被買収会社の株式の一定割合取得した場合に市場価格を大幅に下回る価格で新株予約権が既存株主に与えられる権利)、ゴールデン・ティンパラシュート(被買収会社役員従業員が解雇された場合に大幅に割り増された退職金が支給される権利)、クラウンジュエル(優良資産を第三者へ売却して買収意図をくじく戦略)、ホワイトナイト(より好ましい友好的な買い手に買収を依頼する戦略)などがあるという。ソフトバンクは、クラウンエンジェルだという。これからどうなるか、とても興味深い。
36.4月2日
"企業とは何か"(2005年1月 ダイヤモンド社刊 P.E.Drucker著/上田惇生訳)は、GMの経営と企業成功の秘密を内部から調べて、企業と産業社会について論及したものである。ドラッカー氏3作目の著書で、1946年に原著が出版され、1993年に復刊された(本書は1993年版の翻訳)で、現代経営学=マネジメントの原点がここにあると言われている。
1943年にGMで長期のインサイダーの立場を与えられ、GMの経営と組織を調べた経験を基に、企業と産業社会のあり方を探った。企業はいかに機能すべきかについて、事業体としての企業、社会の代表的組織としての企業、産業社会の存在としての企業の3つの面から考察している。1946年に発売された時、まな板に乗ったGM内では、この本はあたかも存在しないかのように扱われ、反GM、反企業の書として、禁書扱いになったという。しかし、世界中の企業、政府機関、研究所、病院、大学では、経営と組織に関する教科書として採用された。その後、本書の説くマネジメントを採用した企業は成長したが、無視した企業は凋落する結果となった。そういえば、イギリスのサッチャー政権の民営化政策は、その理念を本書に求めることができるのではないか。日本の小泉政権も、この流れの中にあるのかもしれない。初版発刊後60年を経過しているが、現在でもなお、マネジメントに付随する問題や、企業のあるべき姿など、原理・原則はあまり変わっていないように感じることができる。著者の日本語版への序文には、"今日のGMは、技術的にも市場的にも、かつて私がインサイダーとして見たGMとは違う。規模はさらに大きく、市場も地球規模になったいえる。しかし、組織構造、トップマネジメント、直面する問題は驚くほどに変わっていない"とある。そして、"いまから10年後、20年後には、GMも日本企業も大きく変わっているはずである。コンピュータは戦略と構造を変えなかった。・・・だが現在進行中のIT革命は違う、それは強烈な変化をもたらす。このIT革命と同じように大きな変化をもたらすものが、知識労働者の主役化である。"と述べている。しかし、原理・原則は、この60年間と同様、これからも、それほど変わることはないのではあるまいか。
37.4月9日
"「わがまま」のすすめ"(2004年12月 東京書籍刊 堺屋 太一著)は、いろいろな雑誌に載った原稿を集成したものだが、日本のいまをいろいろな方面から鋭く指摘している。中には、政治、経済、人生、心構えなど、おもしろい話がたくさん書かれている。特に、2007年から定年を迎える人たちには、もっとわがままに、織田信長のように、自分の好きなことばかりやって、「狂いたもう」を実践し、新しい生き方を切り開くべきだ、という。
1990年ころ、日本人は自信満々で、「21世紀はアジアの世紀。日本はその中核的な役割を果たし、世界中の企業や文化活動が東京に集中する。だから、ますます東京の地価は上昇し続ける」と言っていたものである。それから15年経って、地価は1210兆円の損失を出し、ほかにも、学級崩壊、学力低下、治安悪化など、目を覆いたくなるものが多い。明るいニュースも少しはあるが、それ以上に身にしみるボディーブローをあまりに受けすぎたようである。政治家にも、企業経営者にも世論にも一端の責任はあるが、最大の責任は、この国で、経済と社会の運営のさまざまな局面で、もっとも大きな権限を握り続けてきた官僚にあることは明らか、という。官僚たちは、一方では、政治家や既成企業の経営者と談合し、他方では、情報の操作や秘匿で世論を誘導して、日本の経済と社会を劣化させてしまった。どうしてか、ひとことで言えば、きわめて無能だから、という。将来の予測も、現状の理解も、改革の決断も、誤りの反省もできない、無能で無責任な組織で、縄張り根性、発想の硬直化、公金着服や業界癒着などの倫理の腐敗、強権的態度がある・・・それに止まらず、官僚機構は無能であるが故に、より無能なことを善しとする悪循環に陥っており、そこには、人間をして無能化せしめる構造ができあがっている。平成官僚の犯した3つの大罪は、「不況の大罪」(これは経済財務官僚の無能が招いたもの)、「日本をアジアの片隅にしてしまった罪」(外務省、国土交通省、旧郵政省、金融担当部門の問題)、「秩序破壊の大罪」(責任を問われるべきは、文部科学省、警察、厚生労働省)である。そこには、市場原理の無視、何度失敗しても直そうとする気配すらない、組織の頽廃、固定観念、勝手読み、無駄遣い、放漫な金銭感覚、消費者無視の悪習、仲間褒めの悪習、ぬくぬくの悪習などが見られ、機能組織の共同体化、環境への過剰適合、成功体験への埋没により、死に至る病にかかっている。処方箋は、官僚に共同体であることをやめさせ、国政全般から手を引かせることである、という。(管理人:著者の考えには共感できることがきわめて多い。いまの小泉改革は、官僚主導になっているのではないか。)
38.4月16日
前回の続き; 堺屋氏は共感を覚える作家なので、"あとがき"から続きを。
人間は、いつでもわがままに「好き」を追求することができる。幼くして志を立てて成功した人も多いが、中高年になってから「好き」に目覚めて大成功した人もいる、という。そういえば、小林コーセー(現、コーセー)を作ったのは、創業者、小林 孝三郎氏60歳のころとか聞いたことがある。堺屋氏は、日清食品の創業者、安藤百福氏は48歳でインスタント・ラーメンを始めて今日の大をなした、また、19世紀のアメリカで、鉄道王といわれたコーネリウス・ヴアンダービルトが初めて鉄道に関係したのは、1863年、69歳の時だった、という。いずれも、自分の「好き」を発見して貫いた人々である。ほかに、マンチェスター市長を務め、政界を引退したずっとあとで数学の「好き」に目覚め、80歳を過ぎてから魔方陣の解明で重大な業績を上げ、第一級の数学者になった、イギリスのキャサリン・オーレンショーやほかの人たちが紹介されている。これまで、多くの人が、好みや望みを考えることなく、物財が豊富になるのが幸せと信じ込み、一生懸命働いて日本は経済大国になった。その結果、経済的な安定をみんなに保証する終身雇用と平等主義の社会になり、独特な資本主義社会を形成してきた。そして、職場に忠実に働きそれなりの蓄えをしてきて、交友は職縁関係と家庭は核家族を作ってきた。子や孫は親や祖父母に心配して欲しいなどとは思っていないので、多少の貯金や家作を残してやってもさして歓びもしない時代になった、という。だから、「好き」に生きることのできる時期を迎えたというわけである。ひょっとしたら、オーレンショーのような才能があるかもしれない。自分が本当に何が好きか、それを見出す尺度は3つある。第一に、それをしていて疲れないこと、第二に、そのことについてしゃべりたくなること、第三に、「好きこそものの上手」 である。「好き」をする時には、経済からも、世間からも、未来からも、自由でなければならない。将来のため、老後のため、子孫のためとか、考えてはならない。経済と世間と未来から自由になり、わがままに生きてみることである。
39.4月23日
"日本縮小―ダウンサイジング社会への挑戦"(2004年4月 朝日新聞社経済部著)は、2003年5月4日から12月30日まで朝日新聞に連載された「ダウンサイジングにっぽん 少子高齢化社会の衝撃」に加筆・訂正を加え纏められたものである。
堺屋太一氏のコメントが印象深い。日本の人口減少には三重の現象が重なっている、という。第一に、世界的に豊かな集団の人口が減っている。近代歴史学では食べられる所では人口は増えると類推していたが、逆になっている。これは、知価革命現象の典型なのだという。第二に、東京一極集中がおきている。江戸時代も江戸は人口再生能力がなかった。第三は、敗戦国の人口減という現象である。日本、ドイツ、イタリア、スペインでいま出生率が特に低い。少なくとも、今後50年間は人口は減るであろう。本書は、第1章 少子高齢化社会の衝撃(同時進行する「人口減と超高齢化」きしむ「人口増」前提の仕組み ほか)、第2章 ダウンサイジング日本―今、そこにある危機(響き始めた足音コンビニとフェアレディZ―激変する消費市場ほか)、第3章 欧州・アジア・アメリカの「人口問題」(欧州の模索アジアの予兆ほか)、第4章 未来予想図―人口減・超高齢化社会の活路(豊かさ維持の条件ニュータウンの挫折―都市のコンパクト化 ほか)という構成になっている。いままで言われてきた"少子化、超高齢化"に、これからは"人口減少"も加える必要がある。少子化は、2002年の日本の合計特殊出生率1.32と過去最低となり、その後もまだ下げ止まっていない。高齢化は、団塊の世代の定年年齢が2007年から始まりいっそう進行する。そして人口減少は、出生率が低下し死亡者が増えることの当然の結果である。社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の総人口は、2006年の1億2774万人をピークに減少を続け、2050年には1億59万人と、ピーク時の8割程度になる。このままでは、1億人を割る日もやってきそうである。それには、プラス面とマイナス面があるが、マイナス面の方が多いのではないか。国や自治体のレベルでは、税収不足に加え、医療・介護費、年金などの支出の増大で、深刻な財政難が見込まれる。年金制度や医療保険制度をどう改善していったらよいのか、需要が減少する中で公共施設の整備をどうしていくのか、などである。GDP500兆円を維持するためには、労働力として、いまの女性の参加に加えて、高齢者や外国人の参加をいっそう増やす必要がありそうである。プラス面としては、地球環境への負荷が減少する可能性が高いし、いっそうの科学技術の発達で人口減少を乗り切る方策も考えられる。人口減を冷静に受け止めて、それに見合った社会を構築すればよいのであろう。それとも、もっと、出生率の向上に努めて、移民も積極的に受け入れていくべきであろうか。
40.4月30日
米ハイテク大手3社、当期益倍増
米マイクロソフトの1〜3月期の売上高は96億2千万ドルと前年同期比4.9%増、当期利益は94.9%増の25億6300万ドルとほぼ倍増した、という。企業向けサーバーソフトが好調で、訴訟関連費用が減ったことが要因のようである。アップルコンピュータは携帯音楽再生機「iPod」の人気で当期利益を同6.6倍に、検索エンジン最大手グーグルは広告収入の増加で同5.8倍に拡大した。
41.平成17年5月7日
"人は仕事で磨かれる"(2005年3月 文藝春秋社刊 丹羽 宇一郎著)は、まことに、明快、痛快、共感を覚える書である。氏は1962年に伊藤忠入社、油脂部に配属され、以降一貫して食料畑を歩み、1997年に経営企画担当役員、1998年に代表取締役に就任、「汗出せ、知恵出せ、モット働け」「クリーン、オネスト、ビューティフル」を標語に経営、社長任期6年の公約通り2004年に退任、現在は代表取締役会長。
1999年に約4000億円の不良資産を一括処理し、翌2000年決算では会社始まって以来の最高益を計上した。「掃除屋」を自認し、社長としての最後の大きな仕事は、固定資産の減損会計の早期適用で320億円の赤字を計上したことであった。"自分の人生なんてたかが知れている、社長を辞めたらタダの小父さんだ、格好つけたってしょうがない、それが私の哲学です"という。・・・"社長の椅子に座って、立派なこと言って勲章もらったりしても、何の意味があるのかと思う。会社を辞めて爺さんになって、その辺をヨボヨボ歩いていたら、みんな一緒じゃないですか。"確かにその通りである。丹羽氏はいまでも電車通勤を続けて、クルマは長いことカローラである。6年経ったらタダの小父さんになることがわかっているから、最初からタダの小父さんの生活を続けようということであった。一度生活水準を上げてそれに慣れてしまうと、今度は下がるときに苦痛だからである。社長になったからといって特別に偉いとも思わないし、自分の生活をどうにかしようという気もないのだ、という。かつての財界総理、石川島重工業社長、のちの東芝社長の土光敏夫氏のことを思い出した。個人の生活は質素に社会は豊かにの信念で、月5万円の質素な生活をしながら数千万円を女学校に寄付した方であった。丹羽氏は、家なんて雨露凌げればそれでいいし、車も走ればそれでいいと思っている、という。そもそも黒塗りの車で送り迎えなんていう生活をしていたら、世間の常識からどんどんずれてしまう。氏は、そのほうが怖い、という。"いろんなことを言う人がいますが、言いたければ言えばいい。そう思いたければ思えばいい。こうした考えは昔からで性分だ"、という。社長になってマスコミからいろいろ言われても、あまり気にならなかったようである。6年で辞めると言ったって、そんなもの口先だけで実際にやりはしない、という人も多かったようであるが、一切無視して実行した。現在は代表取締役会長であるが、社長退任から1年後、つまり2005年6月には特別なことがない限り代表権を返上する、という。そして、70歳くらいまでは内外の仕事が続きそうであるが、それが過ぎたら一線からは完全に引退されるご予定のようである。
42.5月14日
"ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント"(2004年9月 日本経済新聞社刊 酒井 綱一郎著)は、なかなか面白い。100年、200年単位の視点から社会の生態を観察して、いまのマネジメントを見ている様子がよく分かる。
気になった言葉をいくつかあげる。
・ 日本的経営が優れていたために日本経済は成功を収めたという通説があるが、これは違う。日本経済を成功に導いた最大の要因は低コストの賃金を使えたということと、裾野の広い産業を持っていたことだ。広範囲に及ぶ日本の産業が、ほぼ金利がゼロに近い資本を得て、安価な製品作りを行った。若い人口構成の国であったからこそ、個人はせっせと預金をし、金融機関はそのカネを低利で産業に回すことができた。
・ 日本経済が不況になったのはなぜか。日本的経営が何か間違いを犯したのか。まったくそうではない。18世紀の産業革命をも上回る大革命が起きているからだ。いまは奥深い過渡期に当たる。この移行期に会って、間違いは避けられない。
・ 1つの組織ですべて通用するという100年間信じられてきた常識が通用しなくなっている。組織の形態は時代によって変わる。
・ イノベーションは技術のことだけではない。社会の変化をもたらすようなイノベーションが重要だ。
・ コンピュータやインターネットによって便利になったことが革命そのものだと勘違いすべきではない。
・ 現在のハイテクは社会構造を変えるまでには至っていない。高度に発達したコンピュータでさえ、内部のデータを加工しているにすぎない。
・ 現段階での情報革命は、15世紀の印刷革命に比べれば衝撃度はまだ小さい。グーテンベルクが発明した印刷技術によるコストの削減は今の比ではない。
・ インターネットの普及スピードは人類が体験したことのないほどの速さだという人がいる。しかし、20世紀初期の映画は今の情報技術より速いスピードで普及したが、そのブームは10年しか続かず短命に終わった。
・ なにかを調べたいときインターネットで調べるのが便利だと言われるが、私は電話を使う。その道の専門家に電話をしてわからないことを聞くほうが効果的だ。
・ eコマースはまだ発展途上だ。
そして、こうも。
・ 経済が成熟化したから日本経済が下降線をたどって復活できないととらえるのも違う。どんな経済にも浮き沈みは付き物だ。アメリカ経済は1990年代の10年間、長いトンネルを通ってそれまでとは異なる新しい経済体制に移行した。日本も5年から10年の苦しみを経ねばならないが、その次には新しい経済体制の下で発展の時代が再び訪れる。
(管理人:でももう15年経つ。長すぎるのでは。)
43.5月21日
"起業は楽しい!"(2005年3月 日経BP社刊 西川 潔著)は、起業の楽しさを伝えている。また、リスクについても説明している。著者は、KDDI、アーサー・D・リトル、AOLジャパン等を経て、2004年に株式会社ネットエイジを起業した。
これまで、日本人が理想とする人生における職業シナリオは、なるべく良い大学を出て、なるべく安定した良い大企業に入り、なるべく良い地位につき、できれば部長、あわよくば役員になり、定年まで大過なく過ごし、その後は子会社の役員か社長を数年務めて晴れて引退、あとは退職金と年金をもらって悠々自適、というものであったという。多くの日本人が同じようなベクトルを目指していた時代で、またそれができる時代でもあった。ただし、長くは続かないことが分かり、特にここ10数年は、平家物語の"驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し"を実感させる時代を経て、滅びはしないが衰退してきた日本を目の当たりにし、世の中もずいぶん変わってきたのではないか。著者は、もうそういう時代ではないという、そもそもの話、もはやこうしたキャリアプランに乗って平穏無事に一生を過ごそうにも、そうできない現実がある。戦後長く続いた日本の高度成長時代の終焉は容赦なく企業人事におそいかかり、リストラという名のもと、人減らしや正社員数抑制がどの企業でもあたりまえになり、仕事内容・報酬・世間体の三拍子そろったポストなどは非常に限られてきた。ひとを大切にするといわれていた優良企業ですら、ひとりひとりのキャリア人生の満足度まで保証する余裕はとっくになくなった。まさかと思う著名な大企業さえ、倒産したり他企業の傘下にはいって冷遇されるのが当たり前の世の中である。定年前のサラリーマン現役時代ですら、こうしたリスクがたくさん転がっている時代で、まして、定年後の世話を会社が見てくれる保障はどこにもない。そこで、起業という選択肢に目覚めよ、という。思えば、いまをときめく大企業といえども、かつでは起業された小さな企業であった。
・起業は楽しい! 10の理由
自分のビジネスアイデアが形になり、実際にお客さんに売れ、よろこばれること。
万事、自分でものごとを決められること。
苦労しながらも日々の多くのチャレンジを乗り越えていったときの達成感。
誰からの制約もなく自由に動き回り、ビジネスを仕掛けていく面白さ。
会社の目標をクリアし、全員で祝うよろこび。
株主にむくいてよろこんでいただくうれしさ。
いろいろな計画が達成できるのは山登りでいえば登頂成功の充実感にあたります。
起業家は実にいろいろなひととめぐりあいます。
事業が発展すればするほど自分の存在感が高まる意識を持てるよろこび。
人生も会社もどんどん向上させていくぞ、と決意する高揚感。
・起業はツラいよ! 10の理由
売り上げや利益が計画したほど上がらず、経営が不調に陥るとき。
予定していた契約・受注が直前でキャンセルされたとき。
悪人にひっかかってだまされたとき。
腹心と思っていた部下から裏切られたとき。
責任のプレッシャーに押しつぶされそうになるとき。
資金繰りがうまくいかずストレスがたまるとき。
会社が傾き、そのまま倒産にいたるのではという不安感に襲われるとき。
忙しさのあまり家庭をないがしろにし、そのしっペがえしをうけるとき。
睡眠不足でぶったおれそうなとき。
あえなく倒産して、社員を解雇し、敗北感にうちひしがれるとき。
44.5月28日
全体として少し上向き
日本の2005年の実質経済成長率は年1.5%程度になるとの見通しのようである。4月時点での予測は0.8%だったが、企業収益が力強く伸びているとのこと。主要銀行の不良債権残高も約7.7兆円まで減少した。この傾向は、このまま続いて欲しいものである。しかし、4月の小売業販売額が3.9%増となった中で、大型小売店売上高は2.1%減となっている。消費者物価も4月は0.2%減であった。まだまだ、まだら模様が続いているが、全体としては少し上向き傾向にあるということであろう。
45.平成17年6月4日
"ソニーが危ない!"(2003年12月 彩図社刊 荻 正道著)は、「砂上の楼閣という言葉がある、ソニーという企業の現状を、この言葉になぞらえて語れば、問題の深刻度を多少は説明できるかもしれない」という。
ソニーブランドには多くの人が憧れを持っている。先進的、自由、スタイリッシュ、技術等のイメージが感じられるからである。しかし、著者は、ソニーブランドのコアバリューとも言うべき技術は、技術をよく知るものなら誰でも、ソニーに圧倒的に優れた要素技術はない、という。一般消費者からみても、特に最近は、製品としてものすごく欲しくなるものがあまりないようである。
元ソニー常務の説明があった。
「こういうものがあったらいいな」「こういうものを作りたい」というイメージがあって、それを作るためにいろいろな部品を集めてきて組み立てて作り上げてしまう。そういうアイデアと技能をソニーでは「技術」と呼んでいたのである。これは、ふつうのメーカーと発想がまったく逆である。大手のメーカーは、ひらめきでものを作るということはほとんどない。実験をくり返した末、そのデータをもとに設計図が作られ、その設計図に沿って製品が完成される。しかし、ソニーの場合はデータをもとにした設計図などない。あちこちから部品を買ってきて、それを曲げたり削ったりしながら組み立てて、イメージしていた製品をいわばでっちあげてしまうのだ。
(「ソニーが挑んだ復讐戦」)
年商7兆円以上の経営規模を持つソニーを2003年4月に襲った起「ソニー・ショック」を目の当たりにして、本書は書かれたものである。何がまずかったのか。ソニーは大企業になっても、ベンチャー的なビジネススタイルを維持しようとしてきた。次々と生み出される独創技術を経営資源とする行き方は、しばしば市場に夢を与え、蜃気楼をより巨大なものに見せてきた。他の大企業に比べて業績の起伏が激しいのは、このような経営スタイルの必然的な結果である、という。今日の経営不振は、今に始まったことではないと考えるべきかもしれない。これまでにも、何度も不振に陥り、その都度新しい鉱脈を発見することで、復活をとげてきた。今度もそうなる可能性が高い。ソニーという会社は、創業者井深大氏のような天性の器用さだけでは大きな発展はなかったはずで、その生き方を否定する経営者が現われたからこそ、今日最も強いと評価されるソニーのムービー事業やデジタルカメラがある、という。大賀典雄氏の前任社長であった岩間和夫氏は、もう一人の創業者盛田昭夫氏が強引にソニーにスカウトした人で、アクの強い井深、盛田両氏の意向を受け止めながら、クセの強い技術者集団をまとめあげて着実に技術成果をあげていった。そして、CCDの成長性を見抜き巨額の開発投資を断行して、ビデオカメラ等映像機器において強い競争力を持つことになった。このようなソニーの技術遺伝子を継承し、個人主義的な特異な組織体質を維持しながら、新時代の新しいフロンティアを手にできるかどうかがポイントのようである。
46.6月11日
いまは転換期
所得格差が広がっているようである。高額所得者はますます富み、そうでない多くの人は、むしろ所得を減らしているのではないか。ホームレスが増える一方で、努力し、運がよければ、誰でも億万長者になれる時代になった。いまは転換期である。高額納税者の上位3人は、成功報酬、企業買収、起業家であった。一位はサラリーマンの成功報酬による所得、二位はM&Aで買収される側の持ち株の売却益、三位は所有している自社株の配当であった。上位100人の大半は東京や首都圏、愛知県や大阪府の人ばかりであった。首都圏や大都市への三極集中である。いい時代になったと喜ぶべきか、行く末を憂えて悲しむべきか、両様の見解があろう。
47.6月18日
不正アクセス
不正アクセスが蔓延しているようである。価格.comが今回大きな損害を受けた。価格.comはパソコンや家電をはじめ様々な商品 約16万点の比較サービスを提供する国内最大規模のインターネット比較検索サイトである。2005年4月現在、1ヶ月間で約2億9800万ページビューで、約640万人利用者がある。5月11日にプログラムの異常が発覚した。調査を続けたが、不正アクセスは止まず、改ざんの範囲が拡大したため、5月14日よりサイトを一時閉鎖した。一種のサイバーテロ的な行為によりプログラム改ざんが行われ、2種類のウィルスもあることが分かった。あるサイトからウィルスが勝手にダウンロードされて実行されたようである。 そのサイトは直後に閉鎖されている。また、価格.comサイトを閲覧したユーザーがウイルスファイルを取り込んでしまった可能性がある、という。5月24日午後に再開されたが、昨日管理人が見たときはまだ工事中のページもあった。10日間に渡る閉鎖により売上が約30%減少し、2006年3月期連結決算の売上高は1億5000万〜2億5000万円減る見通しである。ずいぶん大きな損害である。
48.6月25日
"超リタイア術"(2004年10月 新潮社刊 野口 悠紀雄著)は、週刊新潮誌に連載された記事を再編集したもので、前半と後半は内容が大きく異なっている。ここでは、前半部分を紹介する。
リタイア後の生活を充実させるかどうかは各自の取り組み方次第である。著者は、何も変化しない毎日を送って熱死するのでなく、新しい可能性に挑戦する日々をおくるべきだ、という。江戸時代の日本は、世界で最初の大衆リタイア後社会であったようである。江戸時代の人びとの仕事ぶりと余暇時間の使い方は、いまでもとても参考になりそうだ。商人や農民のほうが、武士に比べて余暇時間を積極的に使っていたようである。江戸時代の商人や農民は勤勉に働けば報われたが、武士はかならずしもそうではなかった、という。その原因は、農民や商人が「自営業」で自立していたのに対して、武士は「藩」という巨大集団の中で相互依存的に生きる「組織人」だった点にあったようである。
農民の事例として、成松佐恵子氏の『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』から、濃尾平野南西部西条村の、西松家の3代目当主、権兵衛があげられる。先代2代目権兵衛は48歳で隠居したが、3代目は子供の早死になどで早期の隠居ができず61歳で倒れるまで働き続けた。しかしその間、趣味にも打ち込んで、豊かな生活を送っていた。生花、菊作り、俳句を嗜んで、生花では師範免状を得るまでになった。これに対して、武士はあまりぱっとしない。武士の場合、隠居は嫡男への相続と密接に結びき、藩によって50歳、60歳、70歳というように差があった。藤沢周平氏の『三屋清左衛門残日録』は隠居後の武士の生活を描いたもので、家禄120石の部屋侍から、320石の側用人にまで出世し、50を少し過ぎた歳になって、煩項な相続手続きを経て、長男に家督相続させる。そして、長男のできの良い嫁に世話されて、恵まれた隠居生活を始める。朝食前に散歩をし、道場通いし、塾に通って漢書を読む。3日に1度は釣りに出かけ、残日録」を書き始める。しかし、世間から隔絶されたという自閉感に襲われてしまう。次に、尾張藩の知行100石の下級武士、朝日文左衛門重章は45で死去したので、隠居まではいたらなかったが、死の前年までの生活を、26年余にわたり日記に綴った。神坂次郎氏の『元禄御畳奉行の日記』は、この日記をもとにしたものである。文左衛門の勤務は月に3度だけ一昼夜勤務して、あとはすべて自由時間であった、という。公用出張は1回平均2カ月を費やし、御用商人の接待を受けて遊ぶだけで、最後の日に畳商人の仕事場にちょっと顔を出しただけだった。そうでない武士も少なからずいたようであるが、多くはいわば潜在的な失業者のような生活を送っていたようである。
49.平成17年7月2日
"経済学をめぐる巨匠たち"(2004年1月 ダイヤモンド社刊 小室 直樹著)は、経済学の流れがよく理解できる面白い内容である。経済学も、エコノミストの歴史であることがよく分かる。
経済学の父、アダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)は、倫理学の先生であった。『国富論』で、経済の繁栄を求めるならば、自由主義経済を実現せよ、そうすれば最大多数の最大幸福を達成できる、とした。これを発展させたデビッド・リカードは株屋、トーマス・ロバート・マルサスは牧師、ジョン・スチュアート・ミルは東インド会社の書記であった。そして、カール・マルクスはルンペンであった。アダム・スミスに始まる古典派の理論は、供給によって需要は決まる、という考え方である。今日まで、時代の荒波にもまれ、供給は需要によって決まる、というジョン・メイナード・ケインズや経済法則は自分の自由にはできない、というカール・マルクスなどに手ひどく叩かれたりしたが、いまなお健在である。しかし、需要と供給のバランスが逆転すると、供給過剰が起きてしまうようである。デビット・リカードは、市場に供給されたモノは必ず売れる(デマンド・オン・サプライ=セイの法則)を前提にし、国際貿易においても自由主義を実現すれば、貿易を行う双方にとって優位になる(比較優位説)と説いた。そして、市場の自由、資本主義の諸法則を徹底的に追求すれば、神の見えざる手によって資源の最適配分がなされ、最大多数の最大幸福に落ち着くが、長期的に見ると、究極的には、企業家の利潤はゼロになり、労働者の賃金は最低レベルに落ちる、と指摘した。一方、ジョン・メイナード・ケインズは、需要こそが供給を作り出す、と考えた。つまり、一国の経済規模は、国民総需要の大きさによって決定され、いくら供給を増やしても、需要以上にモノが売れることはありえない(有効需要の原理)、という。有効需要は消費と投資で構成され不況で消費の拡大や民間投資が望めないときは、公共投資を増やすしかなく、自由放任主義の古典派の理論が成り立つのは、景気がよくてセイの法則が機能している特殊な状況に限られる、という。しかし、生産力や資金不足など、供給側に問題がある場合には、有効に機能しないことがあるようである。第二次世界大戦後ケインズ経済学は全盛期を迎え、特に米国では黄金の60年代がもたらされた。しかし、完全雇用に達しない限り物価上昇は起きない、というケインズ理論にもかかわらず、インフレと失業が進行した。そこでケインジアンは、フィリップス曲線を援用して、失業率とインフレとは代替可能である、と論じた。しかし、その後ベトナム戦争が泥沼化して、米国経済が弱ってくると、インフレの加速が起こった。1960年代の後半から、合理的期待学派という古典派が復活してきた。失業率を下げるための政府による財政支出は少しも効果がなく、GNPを少しも増大させず、金利を上昇させ、民間投資を減させ、100%のクラウディング・アウト(締め出し)を生じさせるだけだ、という。人々は正しい予測ができるので、行動の合理性と自由な市場がベストである、と強調された。1970年代の終わりから1980年代の初めにかけて登場した、英国のサッチャー首相と米国のレーガン大統領は、もともとは根っからの古典主義者で、ふたりとも当初は古典派的経済政策を行い、英国ではインフレと失業問題が深刻化化し、米国では財政と貿易の双子の赤字が発生して、結局、ケインズ政策を打たざるをえなかった。ほかに、カール・マルクス、マックス・ヴェーバー、エーゼフ・アロイス・シュンペーター、レオン、ワルラス、ジョン・リチャード・ヒックス、ポール・アンソニー・サムエルソン、高田保馬、森嶋通夫、大塚久雄、川島武宜などの各氏が紹介されている。
50.7月9日
1度あることは2度ある
イギリスで同時多発テロが起きて50名以上が亡くなり、700名が負傷した。イギリス人のほか、オーストラリア、ポルトガル、中国など5カ国の外国人が負傷したようである。痛ましい事件である。亡くなられた方に哀悼の意を表したい。すぐに、2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロを思い出した。1度あることは2度ある、そして、2度あることは3度ある、というが、3度目は起こらないでもらいたいものだ。残念なことだが、いつどこで何があるか分からない時代になってしまった感がある。国としてのみならず個人としても、危機管理が重要である。
51.7月16日
マクドナルドに注目
この時代に値下げは納得できる。日本マクドナルドは、今年4月に、払いやすさと値ごろ感を強調した500円のセットと100円メニューで集客を大きく増やそうとした。その結果、客数は、5月、前年比10.1%増、6月、17%増となったようである。しかし、売上げは、前年同期比2.7%増えたものの、客単価が7.4%減と、予想以上に落ち込んでしまった。そこで今回、セットメニューの大半の値上げを発表した。この時代に、値上げは十分に受け入れられるであろうか。そこで一方で、250〜400円のセットも増やす方針である。値ごろ感が演出できるであろうか、今後に注目。
52.7月23日
"マーケティング入門"(2004年1月 かんき出版刊 飯野 一/小出浩平著)は、わかりやすい入門書で、仕事で使えるマーケティング理論を身に着けることを狙いにしている。
マーケティングは、個人や組織の目的を充足させる交換を創造するため、アイデアや製品・サービスの概念化、価値設定、プロモーション、流通を計画し、実行するプロセスである。マーケティングの知識は、経営企画やマーケティングの担当者が知っていればいいというものではなく、商品開発や営業、間接部門に携わる人、すべてのビジネスパーソンに必須の知識であり、はじめてマーケティングの勉強をする人を対象にまとめられたものである。理論は理解できても、実際の仕事で活かせなければ宝の持ち腐れであり、学んだ知識をどうやって仕事に活かすかという観点から、実践的に解説されている。マーケティングの中核である4P、すなわちProduct プロダクト/製品・商品、Price プライス/価格、Place プレイス/流通、Promotion プロモーション/推進、については各所で触れることにし、直接的に触れているのは、市場のセグメンテーション、ポジショニング分析、商品の普及プロセス、AIDA理論、プロモーション・ミックス、プロダクト・ライフ・サイクル、CS理論、5つの力(ファイブ・フォース)である。
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