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 つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(徒然草)。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし(方丈記)。

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1.平成18年7月29日

 待望の夏休み

 人間の側から自然の変化や環境の変化を起こすのはきわめて難しい。逆に、環境の変化にうまく適応できなければやがて消滅するのはやむをえない。

アジアの変化を中心に、世界が変わり日本も変わってきた。このような変化に合わせていくのが賢明な生き方であろう。そのためにはまず、いま、たとえ、どんな状況にあるにせよ、現状をすべて肯定することから始めなければならない。自分を生活のなかに置いて見つめ、まず現状を全面的に肯定してみるという、知足が大切のようである。どんな状況にあるにせよ、たった今の気分を全面的に自主的に自分が望んだものとして認める、方便でよいという。現状を完全に肯定することで、何度でも今に生まれ変わることができる。一日一日は独立していて、一瞬一瞬はひとつの流れとして繋がりはないのだから、とりあえず今という足場にしっかりと立つしかない。そのうえで、これからの方向を決めて、いま、ここ、に力を尽くすのがよさそうである。

2.平成18年8月5日

“禅語遊心”(2005年11月 筑摩書房刊 玄侑 宗久著)は、世間の常識に無邪気で向き合い、もっと自由に心を解き放ち、季節に寄り添い自然と親和する禅的生活の実践を勧める。

 年新た 一月は、松樹千年の翠、無功徳、春立つ 二月は、春は梅梢に在りて雪を帯びて寒し、八風吹けども動ぜず、三月は、桃花春風に笑む、和氣高堂に満つ、四月は、山花開いて錦に似たり、落花流水太だ茫茫、夏来り 五月は、薫風南より来たる、喫茶去、六月は、竹蜜にして流水の過ぐるを妨げず、竹 君が為に葉々清風を起こす、七月は、山静かなること太古の如し、行きては到る水の窮まる処、坐しては看る雲の起こる時、秋を訪う 八月は、白衣観音さま、卒塔婆小町、九月は、千江水有り千江の月、万里雲無し万里の天、無事是貴人、十月は、門を開けば落葉多し、止啼黄葉、冬籠もる 十一月は、静寂、吾が心、秋月の碧潭に清うして皎潔たるに似たり、十二月は、無 隻手空挙・千変万化、無禅の禅、是れ正禅と名づく。

 九月の“無事是貴人”は、自分の外に何かを求めることをやめ、造作せず、平常であることが“無事”だという。われわれにはすでに必要なものは全て具わっており“知足”が大切で、価値判断や歴史認識などの判断を留保しつつ、自然に起こってきたことをただ鏡のように感じながら、意識を全て“今ここ”の私の身体状況に集中させて瞑想する。思考や判断することで残像を曇らせず、ただそのままを受け止める。平常であるのが最も貴ぶべき人間のあり方である。そうかもしれない。

3.8月12日

 “ポイント方式賃金制度導入・運用マニュアル”(2005年2月 日本法令刊 白木 勉著)は、賃金は、これまでの積み上げ方式から配分をがらりと変えて、企業業績に基づく適正な原資を洗い替え方式で配分せよという。これにより、企業に払えるお金があるときは、ポイントによって配分することになる。企業業績がマイナスの場合には言及していないが、マイナス・ポイントにするのであろうか。

現在では、ベースアップや定期昇給の廃止、賃金カットなどは珍しいことではなくなっている。企業にとっては、人件費の不用意な膨張を防ぎ必要に応じて削減することが求められる時代になり、これまでの積み上げ方式では人件費の管理が困難になっている。今後、景気が回復してもこの考え方は維持されていく可能性が高い。これからは、配分をがらりと変えて、基本給、賞与、退職金については、企業業績に基づく適正な原資を洗い替え方式で配分せよという。法定手当についてはそのまま維持されるが、その他の諸手当については、思い切って整理して、その原資を基本給の原資に組み込むように勧めている。配分の元になるのはポイントである。ポイントは、職能考課と業績考課によって決定する。業績考課だけだとドラスティックになるのを避けるように、緩衝材として職能考課がある分、これまでの制度とのつながりも考慮している。職能考課は6等級程度設けて、各等級ごとに業績評価をS,A,B,C,D程度で行い、30通りのポイントテーブルを作って、毎年の支払い可能原資を、従業員のポイント総数で割って1ポイントあたりの賃金額を計算して、これを各自のポイントに掛け算して配分する。

Ⅰ.ポイント方式賃金設計の考え方とすすめ方

1.賃金制度改革の必要性‥‥

2.ポイント方式基本給設計の考え方とすすめ方

3.ポイント方式賞与設計の考え方とすすめ方

4.ポイント方式退職金設計の考え方とすすめ方

Ⅱ.トータル人事制度整備の考え方とすすめ方

1.トータル人事制度の全体像

2.トータル人事制度設計のすすめ方

3.人事基本理念と重点課題の設定

4.職能資格制度設計の考え方とすすめ方

5.人事考課制度設計の考え方とすすめ方

4.8月19日

 ”環境経済・政策学の基礎知識”(2006年7月 有斐閣刊 環境経済・政策学会編 佐和隆光監修)は、環境を整備し人間らしい生き方を経済・政策がどう支援し方向付けるかについてのさまざまな概念を再考し知識の整理をするに格好の書である。

 環境学の原点であるかつての公害問題の現実的な対処から一、二歩進んで、これからの人間らしい生き方を支援する環境の整備のあり方がいま一番大きな問題ではないか。人々の価値観やライフスタイルが変化するとともに、かつての大量生産・大量消費・大量廃棄の社会システムは終わりを告げた。効率ばかり追求する時代から、持続可能な発展をめざす時代への転換である。長引いた不況は一服しつつあり、これからは少子・高齢化社会の問題への有効な対策が迫られよう。この問題の根に横たわっているのは、人間らしく快適に暮らせる自然環境、社会環境などの整備ではないか。環境問題への有効な手だてなしに、少子・高齢化問題の解決もないのではないかという気がする。環境問題がなぜ生じるのか、何がその解決を困難にしているのか、そして適切な政策の導入や社会経済システムの改革が現実のものとなるための条件は何か。本書はこれらの具体的な問題点の所在を明らかにしている。特に興味を持ったのは、アメニティ、都市再生、有機農業、グリーンツーリズムなどである。これらについての意識が、現状のマイノリティからいかにしてマジョリティを形成できるかが問われていると思う。

第1章 環境問題の諸相

第2章 環境問題へのアプローチ

第3章 環境と国債経済システム

第4章 環境の指標と評価

第5章 環境政策

第6章 循環型社会と環境技術

第7章 環境と資源・エネルギー

第8章 環境マネジメント

第9章 環境ガバナンス

5.8月26日

 出生数が5カ月連続上昇

 厚生労働省の発表した人口動態統計速報では、今年6月の出生数は92,047人で昨年より2,632人多く、2000年以来6年ぶりで5カ月連続して前年同月を上回ったそうである。今年1~6月の出生数の総計は549,255人で、前年同期より11,618人(2.2%)増えたとのこと。これまでの出生率の低下には、晩婚化、非婚化が大きな原因とされているが、結婚数も前年同月を上回る傾向が続いているようである。うれしいニュースであるが、これが人口増加につながるかは微妙なようである。人口の増加は出生数と死亡数の差であるため、出生率が死亡率を上回るか、死亡数が減少するかしなければならない。過去の例をみると、平成10年の統計で、出生数は1,203,149人で、前年の1,191,665人より11,484人増加したが、死亡数も936,480人で前年の913,402人より23,078人増加し、結果として自然増加数は11,594人減少している。この自然増加数の減少が何年か続くと、全体の人口の減少につながることになる。したがって、少子化対策で産めよ増やせよ、とともに、死亡数を減らすことも重要である。人口を増加させるには、まず、多くの人が住みやすい、いい環境・社会と思えることが重要ではないか。いまは混乱期から安定期への過渡期であろう。一部を除いて多くの人が考えるのは、まっとうに働く人が報われる社会ではないか。

6.平成18年9月1日

 奥の細道の旅

 松尾芭蕉の”奥の細道”の中の、最上川、酒田、鶴岡、羽黒山、山寺、山形を旅した。

 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

 草の戸も住替る代ぞひなの家

 羽黒山では、年に一度という山伏の行列に出会った。とても感銘深かったのは、芭蕉が愛したという山寺であった。

 山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

 閑さや岩にしみ入蝉の声

7.9月9日

ライブドア裁判始まる

悲喜こもごも、いろいろな出来事がある中で、粉飾決算を行ったとされたライブドアの裁判が始まった。かつて高値を付けていた株価は、いまは上場廃止となっている。裁判の争点は、粉飾決算の手口に使われた投資事業組合はライブドアのダミー会社か、堀江前社長の粉飾決算などへの認識はどうだったか、関連会社ライブドアマーケティングの企業買収に関する発表は虚偽だったか、である。ライブドア社内では、堀江氏は過去の人と冷めた声が聞かれる一方で、復帰を望む堀江待望論も一部に残る、という。有罪か無罪かは結果が出てみないとわからないが、堀江氏の功罪は、起業と改革で若い人に希望を持たせたことと、拝金主義でモラルの低下をまねいたこと、であろうか。短期的な視点ではそれなりの功をなしたが、長期的な視点では世の中をゆがめてしまったのではないか。この罪の部分がいま問われているのであろう。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、いずれにせよ、時が経てばやがてすべて明らかになるのは世の常である。

8.9月16日

 ”エコロジーの歴史”(2006年8月 緑風出版刊 Patrick Matagne著/門脇 仁訳)は、エコロジーの起源、確立者、理論などを概観するのによい本である。

 エコロジーとは地球環境について考えることで、人間も含めた動物と植物の生物の生活や行動、環境との相互作用などについて研究する学問である。人類がエコロジーの時代に入ったのは、1945年7月16日である、という。初めて実験で原子爆弾が爆発した日である。人類史上初めて、核爆発が取り返しのつかない大気汚染を生じ、人間の生存を脅かすほどの地球環境の破壊が起こった。生態学的な考え方は古代から存在していたが、用語としてエコロジーを初めて使ったのは、ドイツのヘッケルであった。1866年に、ギリシャ語で家を意味する”オイコス”と、学問を意味する”ロゴス”を合わせて”エコロジー”という造語を作った。これを科学にしたのはデンマークのヴァーミングであった。1895年にコペンハーゲンで『植物の生態学』が出版された。以来、さまざまな方向でエコロジーの科学が進展してきた。

 いま、世界の人口は65億人になりこれからも増え続けそうであり、未来の人類は資源不足に悩まされる可能性がきわめて高い。資源は有限で可能な限り永続性を確保するには、あらゆるものを資源として循環し、さまざまなかたちで繰り返し利用するとともに、廃棄するものを最小限としなければならない。心配しても始まらないようであるし、1人の力は微々たるものであるが、多くの人が力を合わせれば多少なりともよい方向に向かえそうな気もする。

第1章 生態学的な考え

第2章 生態学的な動きの起源

第3章 自然の摂理

第4章 科学的エコロジーの確立者たち

第5章 博物学者と生態学

第6章 用語としてのエコロジー

第7章 人口学と生態学

第8章 進化論と生態学

第9章 ヒューマン・エコロジー

第10章 農学、植物の栄養摂取、生態学

第11章 海洋生態学

第12章 土壌学と地球科学ー地球規模の生態学へ

第13章 ヨーロッパの生態学

第14章 北米大陸の生態学

第15章 生態学におえる有機体論

第16章 エコシステム理論

第17章 物質とエネルギーの流れ

第18章 共用防除、生態系管理、生態学戦争

第19章 熱帯生態学派

第20章 持続可能な開発

第21章 エコロジーの社会的ニーズ

第22章 生態学の探究は続く

9.9月23日

 ”インド経済の実力”(2006年5月 日本経済新聞社刊 門倉 貴史著)は、やがて始まりそうな”インドの時代”の黎明期にあって、最後の超大国であるインドの実力をわかりやすく図解している。

 人口11億人のインドを知る上で欠かせない66の項目について、経済、産業、政治、マーケット、長期展望に分けて、グラフやデータを用いて分かりやすく解説している。ここ数年インド経済は絶好調で、国内需要がきわめて旺盛である。2006年度は経済成長率8.2%、2007年は8.5%の見通しである。インドへの外国企業の進出が加速し、外資導入をテコにした高成長が続きそうである。インド人は英語力と数学力に優れ、成長するIT産業を支えるバックボーンになっている。注目されるのは、ソフトウェア、アニメ、携帯電話、宇宙開発などの産業である。いまでも産児制限をしていないため、今後も労働力人口が速いテンポで増加しそうで、これが潜在成長力を支える原動力になる。産児制限をしている中国には、2010~2015年ころには追いつき追い越すとしている。そして、日本には、2028年ころには追いつき追い越すとしている。21世紀はインドの世紀の可能性が高そうである。ヒカリとカゲの部分は、財閥とカースト制度である。財閥には、タタ財閥、ビルラ財閥、リライアンス財閥、マヒンドラ財閥、タパール財閥、ヒーロー財閥、バジャージ財閥、キルロスカ財閥、エッサール財閥がある。これから財閥もカースト制度も、大きな変容は免れないかもしれない。

10.9月30日

 ”チベット歴史紀行”(1999年9月 河出書房新社刊 石濱 裕美子著)は、チベットの古代王国から現代にいたる栄光と悲劇の歴史を、多くの写真や図解で理解できる内容である。

 チベットは、仏教に興味を持つと必ず対面するテーマである。1900年に、僧、川口慧海がはじめてチベットを訪れたという。インドで生まれた仏教は、パーリ語を中心とする南伝系、漢文を中心とする東アジア系、チベット語を中心とするチベット系の3つの大きな流れになった。同じ仏教と言ってもそれぞれ大きく性格が異なり、とても1つの宗教と言えないほど相違が大きいそうである。チベット仏教は観音菩薩への信仰が強く、宗派には、ニンマ派、サキャ派、カギュ派、ゲルク派があり、ゲルク派は厳しい戒律をもち、生涯独身を貫くという。チベットには7~9世紀に王朝が存在し、ソンツェン・ガンポがラサに進出して統一政権を樹立したという。その後、軍事的に強力になり、一時は、長安に侵入し中央アジアにも進出した強国であった。15世紀頃、ツォンカパという僧がゲルク派を開き、16世紀、韃靼部を率いるアルタン・ハンの頃からモンゴリアにも普及した。この影響で、モンゴルには寺院が多数建設された。そして、1578年に、アルタン・ハンがゲルク派の第一の化身僧にダライ・ラマの称号を与え、17世紀半ば以降はダライ・ラマがチベット政権の最高権威者となった。1617年にダライ・ラマ5世が即位し、1642年にゲルク派が他派を破って中央チベットを制圧して、1696年にポタラ宮が完成した。ダライ・ラマは、僧であると同時に王であった。しかし、かつてのチベットの施主国が次々と共産化し、貧弱なチベット経済はすぐに破綻し、1951年に中華人民共和国軍が侵入すると、いとも簡単に国を奪われてしまった。現在は中華人民共和国の領土であり、チベットと中国政府との間には、チベット動乱の勃発、ダライ・ラマ14世の亡命、チベット難民の発生など、いろいろな緊張関係がある。ダライ・ラマ14世は、仏教国家としての品位を保ちつつ、非暴力の姿勢を貫き、”敵の存在があるからこそ、自らの中に怒りを納める力、相手を憐れむ心等を育むことができる。敵に感謝しなければならない”説いたという。これからのチベットの行方が気になる。

11.平成18年10月7日

 ”写真で歩く世界の町並み”(2004年9月 彩流社刊 高士 宗明著)は、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー、イギリス、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ギリシャ、エジプト、チュニジア、モロッコ、メキシコ、グアテマラ、キューバ、ペルー、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、トルコ、ネパール、中国、日本の中から選りすぐった町並みを紹介している。

 著者は三重県四日市の開業医。60才で定年を宣言して、紀行作家、町並み研究を行ってきた。”メキシコ紀行”、”グラナダぐうたら日記”、”とっておきのスペイン”などの著書がある。この本では、スペインをベースにして103都市の302の町並みを紹介している。いずれも、そこに住む人々が築き、守り、受け継いできた歴史や文化の香りがあり、いまでも人々の暮らしが息づいている様子がよくわかる。管理人もいろいろな国を旅したことがあるが、こういう視点で写真をとってこなかった。1976年以降約30年の蓄積だという。スペインのトレドのように、中世の美しい町並みをまるごと保存しているところがある一方で、北京の胡同のように、オリンピックの準備などの新規事業があると古き良きものの多くは取り壊されてなくなってしまうところもある。日本でも、奈良や京都などの歴史と伝統の町を除き、同様の運命をたどった町並みが多いのではないか。100年住宅を建ててきたヨーロッパと、せいぜい20年住宅の日本では、町並みに対する価値観が大きく異なるのかもしれない。たしかに、破壊と建設は経済成長の中核なのかもしれないが、古き良きものは、いったん壊すともう作ることは出来ないので、何を残すべきかもっとよく考える必要があるのではないか。

12.10月14日

“利益が上がる! NPOの経済学”(2005年9月 集英社インターナショナル刊 跡田 直澄著)は、収益をあげてこそNPOは日本に定着するという。

NPOは狭い意味の単なる無償のボランティア活動ではなく、慈善のチャリティ活動とも異なる。米国ではNPOの活動は息が長く、メトロポリタン美術館、ハーバード大学など、NPOが運営する有名組織も多い。日本でも小さな政府と民主導改革から、政府予算を削減し、あとは民間活力に任せるという方針が実行され、政府からも民間からも手が差し伸べられない分野が生まれた。NPOはこの分野を補う役割が期待されており、NPOは資本主義経済の潤滑油である。もともとボランティアは“正当な対価を十分得ないで活動すること”である。したがって、有償のボランティアもありうるのである。相手に対して、水準よりも安くサービスを提供することでもよい。志はボランティアで良いが、その活動を支えるのは活動資金である。NPOの資金源は、営業収支、寄付金、補助金・助成金の3つである。補助金・助成金は、可能なものはなるべく利用した方がよい。しかし、はじめに補助金・助成金ありき、であっては活動の継続は困難である。重要なのは、営業収支、寄付金であろう。寄付金については、日本は過去、篤志家があまり育たず、寄付という概念になじみが薄かったので、現状ではあまり多くを期待できない。これから、寄付市場を創り出す必要がある。やはりポイントになるは、営業収支なのである。利益をあげてこそのNPOである。利益を目的とする民間企業と異なるのは、“民間企業よりも安価でミッションに従ったサービスを提供すること”である。そこで、ニッチ市場を狙ってビジネスモデルを確立することが重要なのである。

13.10月21日

 中国の外貨準備高が世界1に

 20世紀は欧米と日本の世紀であったが、21世紀はアジアの世紀になる可能性が高いようである。特に、まず中国、そしてインドが注目される。中でも中国はBRICs諸国の中でも飛びぬけて高い経済成長率を示しており、今後10年間では世界で最も経済発展する国だと言われている。高度経済成長の牽引役は、安価な労働力に支えられた輸出産業である。中国の今年のGDPは15兆元(1元=15円で225兆円)に達し、経済成長率は9.4%(10%を超えるという予想もある)になり、総合国力が新たな段階に進むと考えられている。その成果は外貨準備高に現れている。中国人民銀行が公表したデータでは、今年9月末までに、国家外貨準備残高は9879.28億米ドルとなり、前年同期より28.46%増えた。日本の7月の外貨準備高は8719.4億米ドルである。中国外貨準備高は1999年初めから、月毎に上昇している。今年の2月から、中国は既に世界最大の外貨準備国になった、という。そして、今の拡大ペースが続くと10月末にも1兆ドルを超える可能性があるようである。新しい時代に入ったことを実感する。

14.10月28日

 ”超アメリカ整理日誌”(2005年8月 ダイヤモンド社刊 野口悠紀雄著)は、「週刊ダイヤモンド」に隔週連載している「超」整理日誌シリーズからの第10作目である。

1年間のスタンフォード大学の客員教授としてのアメリカ滞在記である。スタンフォード大学の留学生数は、中国人がトップで韓国人が2位である。かつて日本人が2位であったが、ここ10年で逆転されている、という。西海岸での客員教授生活の準備という身の回りでの米国のしきたり、しくみの逸話から始まる。日本を離れて違う文化に接すると、日本の長所と欠点がよく見える。もちろん、アメリカにも良いところと悪いところはある。それを勘案した上で、政治、経済、文化、社会などさまざまなジャンルについて、アメリカの現状を日本の過去と現状を振り返っている。特に、政治経済学的な視点でアメリカと日本のシステムの差異を分析しているところは、なるほどと思える点が多い。日本の国際競争力の低下、高コスト構造が是正されないこと、年金制度など社会システムが最大の問題なのに、根本的な解決をしようとせず、その場その場の対応に終始していることなど、国民を幸福にできない日本の政治経済システムに論究している。そして、カリフォルニアにはすばらしい自然と道路とインターネットに代表される文明があるが、文化はない。他方で、日本には文化はあるが自然環境は最悪だ、という。それぞれのシステムには一長一短があるが、これから長所を伸ばすか短所を減らすか考えさせられる。

第一章:国境を越える

第二章:何をやるにもインターネット

第三章:どこに行くにもクルマ

第四章:シリコンバレーの夢は終わらず

第五章:住宅はバブル?

第六章:アメリカ医療の光と影

第七章:政治こそ重要

第八章:モノ作りに強くソフトに弱い日本

第九章:日本の物価は高すぎる

第十章:留学生事情で占う日本VS韓国・中国

第十一章:日本人とアメリカ人の国際感覚

第十一章:改めて比較日本とアメリカ

15.平成18年11月4日

 ”みどりの中の禅道場”(2004年9月 春潮社刊 野田大燈著)は、シンプル&ナチュラルな修行を勧める。

著者の野田大燈師は、昭和21年生まれ。四国高松市所在の「喝破禅道場」を主宰されている。かっぱ道場は昭和49年4月に発足した。海抜400mの山中にたた1個の醤油樽を改造した住居からの出発だったそうである。当初は香川県高松市の街頭に座禅して呼び掛け、大型バスを改造した坐禅堂の坐禅と、農耕や原野の開墾を主にした研修を中心とされた。禅道場に行ってみようと思ったら、宗派にも関係なく、男女も年齢にもキャリアにも関係なく、一日だけでも一生でも、禅道場はいつでもあなたを受け入れることができる、という。よろこんで与える人間となろう、いのちを大切にする人間となろう、心静かに考える人間となろう、使命に生きる人間となろう、規律ある幸せを喜ぶ人間となろうが喝破五訓である。そのための、座禅、写経、読経、典座、赴粥飯法、茶道、スポーツチャンバラ、自給自足の、禅道場の1日が分かりやすい言葉で書かれている。そして、気が付けば喝破道場30年、出家14名、道場を訪れた人は千数百人とのこと。こころの砂漠の時代の中にあって、多くの人がいかにこころの拠り所を求めているかがこの数字に現れていると思う。

16.11月11日

 ”フラット化する世界”(2006年5月 日本経済新聞社刊 Thomas L. friedman著/伏見伏蕃訳)は、日本経済が停滞している間に大きく変わった世界の仕組みについて、特に何がどう変わったかが解説されている。

 世界の一番大きな変化はフラット化である。水平な接続・共同作業システムのモデルに移行し、壁と屋根と床が同時に吹っ飛ばされると、多数の重大な変化が一度に起きて、個人、コミユニティ、企業に大きなインパクトをもたらす。われわれがこれまで慣れていた数多くの役割、風習、政治的帰属意識、統制手段はいずれ、フラットな時代向けに大きく調整されなければならない。その原因は2000年頃に始まった大規模な三重の集束にある。第一の集束は、ソフトウェアとハードウェアを集束させ、スキャン、電子メール、ファックス、コピーといった作業をすべて一台でこなすマシーンを作りあげたことである。これらを最大限に利用するために、ビジネスと個人が新しい慣わしやスキルやプロセスに順応していった。バリューを創出するのに、垂直ではなく水平の手段を使うように、大きく移り変わった。第二の集束は、ビジネス向けのこの新競技場とビジネスの新手法が組み合わされたことで、それによって世界のフラット化が一段と進んだことである。さらに、こうしたフラット化が進むにつれ、中国やインドや旧ソ連から、数十億人が競技場へ殺到してきた。第三の集束は、フラット化した新世界と新式のツールのおかげで、そういった人々の一部は瞬時にして、われわれの子供たちと、いまだかつてないほど直接的に、安価に、そして強力に、プラグ&プレイし、競合し、つながり、共同作業することができるようになったことである。この三つの集束をもたらした要因には、次のようなものがある。

・ベルリンの璧が崩壊して創造性の新時代が始まった

・インターネットが普及して接続の新時代が始まった

・新しいソフトウェアで共同作業が可能になった

・アップローディングでコミュニティの力が利用された

・アウトソーシングでY2K時代にインドが目覚めた

・オフショアリングで中国がWTOに加盟した

・サプライチェーンで強いウォルマートが生まれた

・インソーシングでUPSの新しいビジネスが生まれた

・インフォーミングで知りたいことはグーグルに聞くことになった

・ステロイドで新テクノロジーがさらに加速するであろう

 これからの日本は、この新時代に対応していかなければならないであろう。

17.11月18日

 ”農産物マーケティング”(2005年11月 家の光協会刊 藤澤 研二著)は、環境が大きく変化している農業について、農と食の新しい関係作りを提案している。

 農産物の輸入自由化や規制緩和が進む一方、消費者の食生活も変化している中で、農の産地間の競争が激しくなり、農をとりまく状況は大きく変化している。農は、いままさに構造改革のまっただ中にある。背景には、対外関係と農業政策の大転換と人口減少や高齢化などがある。農の現状は、先の見えない闇夜に見知らぬ土地を歩いているようなものである。現在の農は、お客様が、そしてその食上早が見えないまま、これまでと同じものを、同じように作り、出荷しているという意味で、まさに閣夜に鉄砲の状態にあるといってよい。食のマーケットで唯一成長しているのは中食市場である。モノあまり時代は、売らなければ売れない。そこで、マーケティングの基礎知識と実践が必要になる。マーケティングの導入は、従来の生産者起点の考え方を180度変えるという意味では、農業再生に向けた構造改革にほかならない。視点をお客様サイドに移したとき、農に新しいステージ、そして可能性が開けることになろう。

・「安全・安心」に徹底的にこだわる

・「鮮度」にこだわる

・「地産地消」にこだわる

・「連携」する

・「復活」する

・「地域」を売る

・「想い」を売る

・「限定」する

18.11月25日

 ”BRICs経済がみるみるわかる本”(2005年11月 PHP研究所刊 アジア&ワールド協会編著)は、これからのBRICs経済の様相を展望している。

 BRICsとは、ブラジル、ロシア、インド、中国である。sは南アフリカを指すという見解もある。昔、インドは南アジアの雄であり、中国は五千年の歴史といわれるように中華の主であった。ヨーロッパでは海運カを保持したポルトガル、スペイン、英国などが国土は広くなくても、その情報と交易カで世界を制覇した時代があった。19世紀から20世紀前半の軍事力の時代には、ソ連と米国が雄を競い、世界を二分していたことがある。ゴールドマンサックスは、2050年にはその経済力において、中国は米国と並び、BRICsの他の国インド、ロシア、ブラジルは世界ベストテンに仲間入りをしているだろうと、大胆に予測をしたという。ありうる話であるが、本当にそうであろうか。たしかにその可能性は十分にあると思われる。しかし、高度成長は永続するものではなくやがて成熟化してくる。低成長になればいまの先進国と変わらなくなる。いまの高度成長をあと何年継続できるかで結果が出てくるであろう。ポイントは、その国の潜在力と国民の熱意が継続できるかではないか。2050年がどうなっているか、とても楽しみである。

19.平成18年12月2日

 ”禅百題”(1991年 春秋社刊 鈴木 大拙著)は、平易な文章で書かれた随感随録の書である。これまで鈴木大拙氏の著作を読んだことがなかったが、とても読みやすい。

 鈴木大拙氏は明治3年石川県金沢市本多町に生まれ、石川県専門学校時代に西田幾多郎氏と出会い、生涯の友となったという。中途退学し一時英語教師となるが、上京して東京専門学校、東京帝国大学に学び、本格的に坐禅に取り組み始めたとのこと。明治30年に渡米し、足掛け12年間を過ごす。帰国後、学習院教授、大谷大学教授などを歴任。日本と欧米を行き来しつつ、仏教の研究と普及に精力を注いだ。

 この世になぜ戦争が絶えないのかというと、人間は闘争がないと生きてゆけぬように出来ているからであるという。実際、闘争そのものが生であり、生そのものが闘争である。それ故、生のあるところには必ず闘争があるのである。「這箇(しゃこ)」とは、「前の」「この」「次の」というときの「この」である。具体的には「民」を指すようである。民は居るところが違うと、なかなかに相互の理解がつかぬものである、という。同じ平面上の人でも、空間をいくつかに分割して、その一部分一部分に立つと、どうも喧嘩が出来てしようがない。しかも人間は二人になると、同時に同じ空間を填充していられないので、闘争は人間界のつきものだ、という。そうかもしれない。つまり人間は修羅だ。空間的存在として、空間的論理の領域を出られないかぎり、人間はお互いを食べ合って食べ尽くすよりほかない運命をもっている、という。ではどうすればよいのか。時間でも空間でも、何かの工合で、その間に何かの差異を生ずることがあると、相互の了解が不可能にもなろう。が、また何かの工合でお互いに競い合うことがなくなるかもしれぬ。我も人も、彼も此も、山河大地も、花紅柳緑をもみな容れて、しかも自分はその中に収められぬ自主自由の絶対の一句子がないといけない、という。壊して壊せざる底の這箇に、一たび撞着しなければならぬ。ここから相いれないものをいれて、なお余りあるところの思想が出て来る。矛盾や衝突はあるにはあるが、解消のできぬものではない。矛盾そのものが解消だからである。なるほど。

20.12月9日

 ”現代の食とアグリビジネス”(2004年5月 有斐閣刊 大塚 茂・松原 豊彦編著)は、現代の食と農をめぐる情勢を身近な食の現状から食料システムの全体像を解明しようとしている。

地球の人口は現在60億人であるが、そう遠くない将来に90億人になる予測が出ている。現在でも地球上には飢えに苦しんでいる人がたくさんいるのに、あらたに30億人も養う食料をどう確保するのであろうか。以前から懸念していたことである。これまでにわれわれの食生活は大きく変貌し、それと連動してフードビジネスが進展してきた。これからも人口爆発に伴って、食の事情も大きく変化していくと思われる。食料の増産という観点から、農業・食料の工業化とグローバル化の進展は必然の動きである。また、遺伝子組換え作物などの出現もこの食の問題への対処法の1つであろうか。本書は、農業・食料の工業化とグローバル化が進む中で,遺伝子組換え作物など食の安心・安全を考えるものである。遺伝子組み換えなど、自然の摂理を変化させるとなんらかの反動があるのではないか。BSE感染牛、鳥インフルエンザ、輸入冷凍野菜の残留農薬、食品の不当表示、遺伝子組み換え食品などが次々と起こる中で、食の安心・安全は本当に大丈夫であろうか。

第1部 現代の食とアグリビジネス

 第1章 食ビジネスの展開と食生活の変貌

 第2章 フードビジネスと現代の食

 第3章 世界の食料事情と多国籍アグリビジネスによる食料支配

第2部 国境を越える食料・農業とアグリビジネス

 第4章 経済のグローバル化とコメ・ビジネス

 第5章 畜産物の生産・流通と食肉ビジネス

 第6章 果実・果汁と野菜のグローバル化

 第7章 冷凍食品生産拠点のアジア展開

 第8章 コーヒー・紅茶とアグリビジネス

 第9章 水産物市場のグローバル化

第3部 21世紀の食をどうするか

 第10章 世界の食料問題と遺伝子組換え作物

 第11章 食の安全と表示をどうするか

 第12章 地域に根ざした食と農の再生運動

 第13章 食と農をめぐる国際的運動

21.12月16日

 ”アメリカー非道の大陸”(2006年11月 青土社刊 多和田葉子著)は、旅する作家が切りひらく新世界アメリカの物語である。アメリカを非道という、アメリカが巨大で不可解な存在であるからか。

著者の多和田葉子さんは、日本語とドイツ語両方で作品を書いているドイツ・ハンブルク在住の作家である。1960年、東京都中野区生まれ、立川高校時代から第2外国語としてドイツ語を習い始め、早大ロシア文学科卒業後、1982にドイツのハンブルク市にあるドイツ語本輸出取次ぎ会社に研修社員として就職し、現在に至るまで中断なくハンブルク市に在住している。1987年に、ドイツの出版社から初めて二か国語の詩集を出し、その後ドイツ語で短編小説を書く。ハンブルク大学修士課程修了し、ハンブルク市文学奨励賞受賞。日本でも、群像新人賞、芥川賞受賞。2000年に、チューリッヒ大学博士号を取得。文学博士。泉鏡花賞受賞受賞、Bunkamuraドュマゴ文学賞受賞、谷崎潤一郎賞受賞、ゲーテ・メダルなど、創作と学問の世界でいまもっとも輝いている人の1人であろう。非道の大陸では、主人公のあなたが、自動車で砂まみれになりながらアメリカ各地を旅して、出会った人々、目にした出来事などが綴られている。スラムポエットリー、鳥瞰図、免許証、フロントガラス、きつねの森、マナティ、練習帳、水の道、馬車、メインストリート、とげと砂の道、無灯運転・・・。それぞれが1つ1つの短編であり、同時に全体を構成している。拾い読みであるが、不思議な感じの残る小説である。

22.12月23日

 ”食ビジネス7つの秘訣”(2005年7月 誠文堂新光社刊 矢崎 栄司著)は、不況の中でがんばっているスモール食ビジネスを紹介している。

 いざなぎ景気超えといわれるが、地方企業と中小企業、特に小規模企業は苦境に陥ったままである。商店街では、今後5年間に95%の個人商店がやめていくか破産するとまで言われている、という。しかし、こうした不況、企業倒産時代の中にあっても、元気に売上、業績を伸ばしている企業がある。また、廃業の危機にさらされながらも業績を回復し、新たな時代の価値観を生み出している企業がある。食は人が生きていくために最も大切なもので、不況に強いといわれていたが、ここにも不況の影響が押し寄せている。日本の食ビジネスは、いま、大きな転換期にさしかかっており、農業人口の減少、耕作放素地の急増、中山間農地・山林の荒廃、中小小売店の激減、大企業の農業進出等があり、食ビジネスも企業論理、市場原理の方向へ進んでいる。そこで、食ビジネスの原点に立ち帰り、食に対する新たな価値を創造してがんばっているスモール食ビジネスのノウハウに注目が集まっている。秘訣とは、

・個に対応する品質重視の時代

・消費者に学べ、自らも消費者と知れ

・私たちの商品のヘビーユーザーは誰か?

・反常識から発想せよ

・情報・文化 逆流の時代

・まずはコミュニティありき

・キーワードは自分の言葉

である。そして、具体的な事例がいくつか紹介されている。

・地方発、産地で元気にがんばる食ビジネス

・外食が有機野菜生産・卸に進出 新規就農希望者の受け皿に

・都会発、大手を駆逐する食ビジネス、パワーの源

・ネット通販が恐竜化したカタログ型通販を駆逐する

23.12月30日

 ”農的幸福論 藤本敏夫からの遺言”(2002年12月 家の光協会刊 加藤 登紀子編)は、共感できることが多い内容である。

 藤本敏夫氏は歌手の加藤登紀子氏のご主人で、2002年に亡くなった。その藤本氏の生前の原稿を本にしたものである。

 次のように言っている。

 ”地球社会の性格に変化を与えはじめている。現に炭酸ガスの増大によって地表の温度が上がっているという報告が出されている。なぜなら、炭酸ガスは幅射熱の吸収量が大きく、大気中に炭酸ガスが増えれば増えるほど気温がだんだん上がってくることは事実なのだ。炭酸ガスがいまの二倍に増えれば気温は3度以上上昇するといわれている。二度も大気中の気温がちがうということはたいへんなことである。人間は空気を破壊しているだけではないし人間は生物の母、海をも急激に破壊している。毎日、河川をとおして工場廃液は海に流れ込み、廃油や重油は海面になんのちゅうちょもせず廃棄される。海が地球上の70%を占め、大気の64倍の容量を持っているから、その天然の浄化作用はまだびくともしないとはいえ、局部的な汚染の集中はその海域の水中生物を死滅させ、汚物はヘドロとなって底に蓄積され、プランクトンも住まない死の海と化するのである。その海はなんの生命の交流をも許さない地球社会のガン病巣である。人間は地球の交流パイプを切断している。空気、水の汚染はその主要なパイプなのであり、緑の迫害の中にその生命のパートナーを失っている。生命のコミュニケーションを失った地球社会は、それゆえに各種の社会の絶滅を招きつつあるといえよう。生命を絶たれた肉体は各所で腐敗しはじめた。人間社会も遅かれ、その運命に見舞われるのであろう。”

 そして、人間は万物に謝らねばならないと言う。

 ”人間は他の生物とちがって、自分の体を変えることなく、自分の体とは別に道貝や機械を作って進んできた。だから、人間は自分のやっていることがどのようなものなのかということが、ほんとうはよくわからない。そしてある日、突然気づいたとき、自分のやってきたことに自分自身が耐えられなくなっているということになる。人間には空気や、水のいたみはわからないし、他の動物や植物たちの不満はわからないのだから、救われるまでは、人間がどこまで地球社会の一員として自分たちの立場を理解するかにかかっている。いまや、もう手遅れかもわからないと思う人もいるかもしれない。恐竜やマンモスが、みずからの繁栄の中にみずからの滅亡を準備したように、人間もまったくそのとおりなのかもしれない。恐竜やマンモスは、自分が何をやっているのかを死にたえるときでもわからなかった。人間もいま、自分が何をやっているのかがわからないのである。頭脳活動という他の生物にはない機能をもちながら、そして、その機能を生みだしてくるとき、自分と自然の関係を率直に見つめ、狩猟のあと、馬の軽やかな走りざまや、魚の自由自在の泳ぎつぶりや、草花の清らかな可愛いさや、海の大きさ、空の清潔さに思いを馳せて、生命というものにうたれた、その気分を忘れ去っているのである。地球の破壊を人間は中止せねばならない。空気の汚染、水の汚れ、緑の迫害、土の死、万物が友であり、万物が命をともにするものである。人間は空気や水や緑や土や、そして数多くの動物たちに謝ろう。私たちは地球社会の代表選手なのだから、地球社会全体の祝福を受けて、協力を受けて、この生命を燃焼させねばならない。”

24.平成19年1月6日

 ”ほっとする禅語70”(2004年2月 二玄社刊 野田大燈監修、杉谷みどり文)は、70の禅語を、やさしく、ふかく、面白く現した読みやすい本である。

 お気に入りがいくつかあるが、その中の1つ。

 下載清風

 積み荷を降ろして軽くなった船が、清風にのって軽やかに航海する、という言葉。

 両手にいっぱい、肩から下げた荷物も背中に背負った荷物も、全部降ろした気持ちよさ。

 降ろすのは心の荷物。

 心の中の迷いやこだわりをぜ~んぶ港に降ろしてしまったらどんなに気持ちがいいものか。

 もう余計なものは積まないようにしよう。

 いつの間に心にあんなに荷物をしょいこんでしまったんだろう。

 こんど荷物に出会ったら、目をつむらずに向き合って断ろう。

 二つに一つの選択をせまられたら、二つとも捨ててしまおう。

 この船以外に生きていくのに必要なものなどないはずだ。

 船が健やかなら人生は自然の清風が運んでくれるはず。

25.1月13日

”変革期の地域産業”(2006年9月 有斐閣刊 関 満博著)は、著者がNHKラジオ”ビジネス展望”で語ったものをまとめたもの。

 景気が良くなって潤っているのは大企業とその周辺であろう。景気が回復していても取り残されている地方は少なくない。地域産業はまだ疲弊から立ち直っていないところが多い。しかし個々には、地元に根を張り自ら道を切り開いている小さな企業がある。そんな、人の姿が見える小さな地域という現場のわずかな動きから未来を見通していくという視点から日本の21の地域と中国の10の地域が紹介されている。地域活性化という点から、参考になることもあり、元気の出るレポートである。

 紹介されている地域;

 モノづくり・まちおこし;

 北上モデル、花巻モデル、斐川町、岡谷市、三鷹市、むつ小川原、川井村、柏崎市、宇都宮市、由利本荘、家島

 日本の辺境に見る新たな動き;

 宮古市、多摩地域、札幌市、花巻市、室蘭市・苫小牧市、函館市、長崎県、釜石市・大館市、釧路市、墨田区

 中国地域産業の最前線;

 華南地域(外資企業、民営企業、新民営企業)、蘇州、大連、蘇州、大連、深せん、広州花都、無錫

26.1月20日

 ”21世紀 仏教への旅 インド編”(2006年11月 講談社刊 五木 寛之著)は、80歳のブッダが最後の布教の旅をした400キロの道のりを辿ったものである。

 五木氏は1932年福岡県に生まれで、1947年に北朝鮮より引き揚げた方である。その後早大露文中退して作家生活に入ったが、1981年から休筆して京都の龍谷大学で仏教史を学ばれたそうである。管理人は五木氏の休筆中のことは知らなかった。40年来、浄土真宗の親鸞や蓮如の思想に共感を抱いてきて、ブッダの教えが生まれた土地を踏んでみたかった、という。年齢も70代半ばを迎え、人生の締めくくり方を考えざるを得ない。いわば、ブッダはどう死んだのかを旅のテーマに、80歳のブッダが最後の布教の旅をした400キロの道のりを旅された。

 およそ2500年前、お釈迦様はインド北方の釈迦族のカピラ城の王子として生まれ、29歳で出家し35歳で菩提樹の下で瞑想し悟りを開かれた。悟りを開いた後、45年間伝道の旅に明け暮れ、途中病に倒れ80歳の2月15日にインドのクシナガラで歩く力がなくなり、沙羅双樹の下で北を枕にして右脇を下にして横になられた。いよいよご臨終になる寸前にお釈迦様がなり、沙羅の樹は急に全ての花が満開に咲き、花びらが供養するように散り注いだ、という。ブッダが生前に発した最後の言葉。

 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」と。

27.1月27日

 ”地球の息”(2006年12月 星雲社刊 立松 和平著)は、東京新聞、宮崎日々新聞ほかに連載したエッセイをまとめたもの。日本のあちらこちらを歩き、地球環境を大切にする観点から、いろいろなテーマに言及している。

 立松和平さんは、1947年栃木県生まれ、早大政経卒。宇都宮市役所に勤務の後、1979年から文筆活動に専念された。行動派の作家として知られている。正月は7年間も、奈良の法隆寺で行をつんでいる、という。背景には仏教的な観点があるように思える。今回の不二家の事件を目の辺りにして、管理人はかつての雪印のことを思い出した。この本には雪印の事件に触れた記述がある。かつて雪印乳業が食中毒事件を起こした。その後に、雪印食品がオーストラリア産の牛肉を国産と偽った事件があった。そもそも雪印という会社は、黒澤酉蔵という理想主義者によって創業された、開拓精神にみなぎる会社であった。黒澤酉蔵は、田中正造の書生として学生時代に足尾鉱毒事件に身を挺した人物で、田中正造の我が身を捨てた人間愛にあふれる理想主義に共鳴し、北海道という開拓地に渡ってリヤカーを自ら引きながら共同組合運動をおこしたのが雪印の前身であったそうである。立松さんは、雪印の創業者の理想主義の精神が腐ってしまったことを痛いほどに物語っている、という。この国の行く末が案じられるという気分になったとのこと。

”神様が見ている、仏様が見ている、死んだ父親がどこかで見ているから、人が本当に困るような悪いことはしないというのが、普通の人の感覚である。見えるもの、形のあるものしか信じられないのならば、精神生活など成立しないではないか。”

”創業者の理想、その創業者に思想的影響を与えた人物の大いなる理想に、雪印はもう一度、立ち戻るべきであろう。もしかすると、それはこの国全体に言えることではないだろうか。”

28.平成19年2月3日

 Yahoogleとは

 Gigazine 2006年04月26日 によると、最もよく利用する検索サイトの1位はYahoo!で59%だそうである。2位はGoogleで25%、3位はMSNで4%とのこと。米国の場合は事情が違っていて、1位はGoogleで49%、Yahoo!は2位で22%、3位はMSNで11%、という結果になっているそうである。最近、yahoogleというサービスを見かける。Yahoo!JAPANは今では独自の検索エンジンを採用しているが、2001年から2004年までの間はGoogleと提携し、Yahoo! JAPANのキーワード検索で該当するサイトが無かった場合、自動的にそのキーワードでGoogle検索をするようにしていたそうである。このyahoogleはこの機能を一新したもののようである。開発したのは、神奈川県鎌倉市の損害保険代理店 京和だとか。Biz.ID 2006年10月24日 によると、アルファバージョンがオープンしたのは10月23日だそうである。Yahoo!検索WebサービスとGoogle SOAP Search APIという2つの検索APIを活用し、1回の検索でYahoo! JAPANとGoogleの検索結果を同時に表示できようである。Yahoo!検索とGoogle検索のいずれかを選択して検索することもできるほか、Internet Explorer 7とFirefoxのツールバーの検索エンジンとして登録することも可能である。今後、活用が進展するのであろうか。

26.2月10日

 ”何のために生きるのか”(2005年12月 致知出版社刊 五木寛之, 稲盛 和夫著)で、五木氏は”かつての日本人が持ち合わせていた他者との共生を良しとするしなやかな信仰を忘れた現代社会は、うわべの豊かさとは裏腹に、枯れた大地に等しい”という。稲盛氏は”生き馬の目を抜くビジネス社会にあっても、他者を思いやる「こころ」が放つ光が勝者の道を照らすのだ”という。

 五木氏は1932年9月福岡県生まれ。稲盛氏は、1932年1月鹿児島県生まれ。同じ九州の出身とは知らなかった。五木氏は金沢のイメージだし、稲森氏は京都のイメージである。作家としての五木氏はいまさら言うまでもないが、1981年から休筆して京都の龍谷大学で仏教史を学ばれたそうである。どちらかというとネガティブな発想から出発されているようである。40年来、浄土真宗の親鸞や蓮如の思想に共感を抱いてきたそうである。稲森氏はファインセラミックスに関する技術開発力をもとに、ICパッケージをはじめ各種電子部品、産業用部品等のメーカーとして急成長させ、今日では通信機器、情報機器、カメラ、宝飾品等の製品群を持つ世界有数の優良企業に育て上げてこられたが、60歳になってから仏教の勉強をして1997年には臨済宗妙心寺派円福寺にて得度を受けておられたそうである。どちらかというと、ポジティティブな発想から出発されているようである。稲森氏の経営哲学、事業の目的、意義を明確にする、目標を明確に立てる、強烈な願望を心に抱く、誰にも負けない努力をする、売上げを最大限に、経費を最小限に、値決めは経営なり、経営は意思で決まる、激しい闘魂を持つ、真の勇気を持つ、常に創造的な仕事をする、思いやりの心で誠実に、常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で、にその一端が伺われる。豊かな日本の中で現代人は何を失ってしまったのか、いま、井戸を掘らなければいけないのは、日本人の渇ききったこころであり、みずみずしいこころを取り戻す必要がある、という。そうかもしれない。

 ”悟ることは難しい。自分はとても独りの力で悟れる人間ではない。でも、大きな力に助けられて一歩でもそっちのほうに近づけたらいいな、と気づくことが悟ったことでもあるんですよ”(五木氏)

 ”旅立っていく私のたましいをより美しいものにしたいという気持ちがあるのです。それがどうも神さま、あるいは自然が、われわれに与えてくれた「人生の意味」なのかもしれないなと思います。”(稲盛氏)

 第1章 同時代を歩んだソウルメイトとして

 第2章 こころが乾いてしまった日本人

 第3章 いま、宗教の力を問い直すとき

 第4章 新しい浄土の物語をつくる

 第5章 人生の転機から見えてきた「生き方」

 第6章 ポジティブとネガティブの出会う場所

 第7章 他力の風を受けて生きる

27.2月17日

 ”ベンチャー失敗学”(2006年1月 文藝春秋社刊 村上建夫著)は、とにかく面白い。最後のページに、”参考文献 全くありません”は痛快である。

 著者の村上氏は1948年兵庫県生まれで、京大卒業後大手商事会社に勤務し、その後ベンチャー・キャピタルを設立し今日に至る。かつて”ベンチャー”と言うと”デンシャ?”と返されたそうである。しかし、先週”デンキ?”と返されたとのこと。個人的には離婚と成功の順序が逆になり、戸惑いとともに始まったベンチャーの旅はまだ終わっていない、という。ベンチャー企業といえば、危険を冒して誰でもが尻込みするようなことに果敢に挑み、成功をつかみ取ろうとする企業のように思っていた。正確な意味はまだ確定していないようである。独創性と独立性がベンチャー企業の柱であり、結果として挑戦と事業に対するリスクが伴う。アメリカでは、ベンチャービジネスという用語に明確な定義があり、”ベンチャー・キャピタルが投資対象とする事業や起業家”としているようである。村上氏はそのベンチャー・キャピタルなので、ベンチャーの実態をよく把握している。この本によると、ベンチャー・キャピタルは、ハイリスク・ハイリターンな投資ビジネスである。将来有望なビジネスに資金提供を行うと同時に株式を取得し、役員やコンサルタントを送り込んで成功のための指導、育成を行い、最終的には上場によってリターンを得ることになる。銀行とは異なり、ビジネス自体に将来性があると判断すれば、無担保・無利子でも資金を出してくれる。しかし一方で、有望なベンチャーは既存の金融機関が取引するので、持ち込まれる案件の99%はがらくたであり、そのがらくたの中からダイヤモンドの原石を見つけだすのがベンチャー・キャピタルの醍醐味である、という。”ついに永久エネルギーを実現しました””某国沖でマグロを捕ります。近辺の海賊とはコネがあります”などなど、世間知らずの脱サラ、見果てぬ夢をもつ誇大妄想狂まがいの山師や詐欺師が少なくないようである。この手のいろいろなビジネスや人間が面白おかしく書かれている。

28.2月24日

 一切唯心造~玄侑宗久さんの”禅的生活”から、

 人間にとってもっとも悩ましいのが心である。世界があるからそこに争いがあり、悩みがあり、迷いがある。また、好きとか嫌いとかという気持ちがなぜ生まれるのか・・・。心にアプローチするのが意識である。梵語では”チッタ”が心と訳され、”マナス”が意と訳されている。そして識は12因縁の中で、胎としての発生に宿る人間の第一念であるとのこと。もっとも深層の意識である”アーラヤ識”は、ヨーガによって意識化してコントロールができる、という。そして、意識されていなかった心も、意識化されるだけでおとなしくなるとのこと。一切とは、すべての現象、存在を意味し、唯とは、ただそれだけのことで、私たちの周囲のすべての存在現象は心の働きであり、心が造り出したものにすぎない。あらゆる存在は心より現出したものにほかならず、心のほかに何物も存在しない。地獄も極楽も心の中にあり心が造り出したもので、有無・得失・善悪・美醜・愛憎などの相対的差別の見方も心の造り出したものである。すべて一切唯心造と達観すれば自然にそれらの対立は消えて、真如そのままの心になることができる、という。

29.平成19年3月3日

 ”組織の盛衰”(1993年4月 PHP研究所刊 堺屋 太一著)を読み返してみた。いまに通じる内容である。

 戦後の日本を支えてきた大組織が、組織の死に至る病にかかってしまっている。官公庁、銀行、証券はじめ日本の一流大企業が抱えている問題は何なのか。その死に至る病が起こったのは、機能体の共同体化、環境への過剰適応、成功体験への埋没などが原因である。そこで、いま、組織体質の点検と組織気質の点検が必要である、という。過去において、豊臣家の人事圧力シンドロームと成功体験の失敗、帝国陸海軍の共同体化で滅亡した組織機能、日本石炭産業の環境への過剰適応で消滅した巨大産業などの事例があった。社会が変わるので、組織も変わる。組織管理の機能と適材とは何か、これからの組織はどうあるべきか、などについて書かれている。共同体化した組織を機能体に、抜本的に切り替えていくことこそ、本当のリストラクチャリングである。面白いのは、三比主義からの脱皮という点。三比とは、前年比、他社比、予算比である。そのもとには、コスト+適性利潤=適性価格の発想があるが、コストを上乗せするこの方式はいずれ行き詰まるので、これからは価格ー利益=コストという発想に切り替えるべきだ、という。企業組織の大きさや固さよりも、利益実現を目指す機能的な強さを追求せざるをえない。その利益質は、外延性、継続性、好感度であり、利益質を軽量化して利益質指数を提案している。

30.3月10日

 ”まちはよみがえる”(2006年2月 ビジネス社刊 船井幸雄著)は、田舎の再生から日本は復活する、という。14市町村が紹介されている。

 船井氏は経営コンサルタントしてまた、船井総研の創業者として有名である。1933年大阪府生まれで、1956年京都大学農学部卒。日本マネジメント協会経営指導部長などを経て、1970年に(株)日本マーケティングセンター設立。1985年3月に船井総合研究所に社名変更。これまで、世界中、日本中を歩き、イヤシロチが最高の熱海に2004年に転居した。水よし、空気よし、最高の風景と立地、治安よく、人も親切だという。経営指導のプロとして数多くの経験を積み、実に1967年頃からコンサルティングで失敗がなかったそうである。最近の10年では、地域の活性化と企業再生が多いとのことである。大都市は人口が増え経済が活発になっていく一方、地方は過疎化が進み経済の停滞・衰退という2極化現象が起きている。人を呼び戻すには、単に企業を誘致するだけでなく、まちそのものを魅力あるものにする、まちおこしが必要である。第一章では、地域に人を呼ぶポイントは「若い女性」と「クチコミ」というテーマで地域活性化を考える際の要点がまとめられている。第二章で、地域活性化に成功した、小樽市、美瑛町、小坂町、岩泉町、富士吉田市、日高市、川越市、川上村、清水町、伊賀市、美馬町・脇町、呼子町、由布市・湯布院町、綾町、の14市町村の実例を取り上げている。第三章は、とくに気になる二つの市と町へのアドバイスということで、熱海市と富士河口湖町についての活性化のポイントをまとめている。

31.3月17日

 堀江被告に実刑判決

 ライブドア事件は昨年の出来事なのに、もうずいぶん前にあった事件のように思えるのはなぜか。変化の激しいこの時代、昨日のことは次々に流れ去っていくように感じられる。

 3月16日に、証券取引法違反の罪に問われたライブドア前社長の堀江貴文被告に対し、東京地裁から懲役2年6カ月の実刑判決があった。”判決は起訴事実をすべて認め、「粉飾した業績を公表して株価を不正につり上げた」と非難し、堀江前社長の「指示、了承なしには各犯行はあり得なかった」と判断し、「証券市場の公正性を害する悪質な犯行」として実刑が相当とした。いまは景気が回復しているが、あの時代はまだだったので、社会の中にこういうことも起きかねない雰囲気があった。控訴の結果はどうなるであろうか。今後、まだまだつづく長帳場である。

32.3月24日

 ”風林火山”(2006年12月 山梨日々新聞社編集・発行)は、山本勘助の実像をいろいろな切り口からとらえてくわしく紹介している。

 NHKの大河ドラマ「風林火山」は、井上靖の歴史小説「風林火山」を原作として、武田信玄に仕えた軍師・山本勘助を中心に描かれている。ドラマはやや暗いイメージであるが、ストリーは面白い。勘助は生没年不詳であるが、没年については永禄四年という説がある。名を勘介とも書き、晴幸と称したという。後年、入道して道鬼と号した。昭和34年に、歴史学者、奥野高廣さんが架空の人物と断定してから、これまで実在したのかが問われてきた。資料的価値に問題があるとされる「甲陽軍鑑」にしか登場していないので、架空の人物であるとされていた。この「甲陽軍鑑」を元に、軍記物語、浄瑠璃で脚色され、川柳や草草紙などさかんに取り上げられ、イメージされた勘助像が伝わっていた。昭和44年に、実在を示すとされる「市河文書」が発見された。中に、「山本菅助」と書かれていたそうである。

 市川良一氏所蔵文書;

「注進状披見。仍つて景虎、野沢の湯に至り、陣を進め、其の地へ取り懸かるべき模様、また武略に入り候といえども、同意無く、あまつさえ備え堅固ゆえ、長尾功を無くして飯山へ引退き候、ゆえ誠に心地よく候。いずれも今度、其の方のはかり頼もしき迄に候。なかんずく野沢在陣のみぎり、中野筋後詰めの義、飛脚に頂き候き。すなわち倉賀野へ越し、上原与三左衛門尉、また当年の事も塩田在城の足軽を始めとして、原与左衛門尉五百余人、真田へ指し遣はし候処、既に退散の上是非に及ばす候。全く無首尾有るべからず候。向後は兼て其の旨を存じ、塩田の在城衆へ申し付け候間、湯本より注進次第に当地へ申し届けるに及ばず出陣すべきの趣、今日飯富兵部少輔の所へ下知を成し候の条、御心易く有るべく候。猶山本菅助口上有るべく候。恐々謹言。(読み下し)

六月廿三日

    晴信(花押)

市河藤若殿」

 「甲陽軍鑑」によると、勘助は、諸国遍歴の後、天文22年に51歳で武田家の重臣・板垣信形の推薦で信玄に仕え、信濃攻略に勲功をあらわしたという。亡くなったのは、有名な川中島の戦いのことのようである。隻眼偏跛の軍師として武田流兵法を創始し、川中島の戦いで「啄木鳥の戦法」で戦かおうとしたが、策略は失敗し、責任を感じた勘助は、手兵200余を率いて越軍に斬り込んで負傷し没したそうである。この本では、第2章で、勘助ゆかりの現代の人々がたくさん紹介されている。勘助の墓石と位牌は、北杜市の山本家が嗣いでいるとのこと。ほかに紹介されているのは、小池の山本巻、浅川の通称道通、宗泉院の石祠、下円井の山本稲荷、行蔵院の念持仏、勘助屋敷跡、勘助不動など。



33.3月31日



 ”フィレンツェ・ルネッサンス 55の至宝”(2007年1月 新潮社刊 森田 義之著)は、あこがれのフィレンツェの至宝への案内書。著者は1948年神奈川県生まれで、東京芸大卒業後、1976~1981年にフィレンツェ大学とローマ大学に留学。専門は、イタリア美術史と都市史。



 フィレンツェはアルノ川のほとりに広がる花の都で、ボッティチェッリやミケランジェロの作品であふれる華麗な美術の宝庫、あるいはグッチやフェラガモが本店を置くモードの先進都市である。ルネサンス文化誕生の地として世界中の人びとから憧憬の眼で見られ続けてきた。とりわけ、19世紀から20世紀初めには、憧れのあまりこの町に住みついてしまうイギリス人やアメリカ人が少なくなかったようである。しかし現実のフィレンツェは、そんな外国人の片想いとはかかわりなく、じつに厳しく荒々しい表情をもった、難解な都市だ、という。管理人も10年前に一度行ったことがあるが、一旅行者にはそういうことは分からなかった。市民たちは忙しく立ち働き、閉鎖的でよそよそしく、冷淡なほどプライドが高く、ダンテは、彼らを「ひねくれた忘恩の民」「強欲で嫉妬ぶかく高慢な輩」と、『神曲』地獄篇 第15歌でこきおろし、16世紀の文人グインチェンツォ・ポルギーニは、「鋭い目つきと意地悪な舌」がフィレンツェ人の人相書だ、と述べた、という。人類の文明史にそびえ立つルネサンスという輝かしい都市文化を創造したフィレンツェ人、そして、現実にこの町で生き続ける排他的で複雑に屈折したフィレンツェ人-この二つを結びつけて理解するには、この都市の歴史を深くさかのぼるほかないようである。本書では、フィレンツェ美術をひとつの大いなる多面体と見なし、九つの切り口から迫っている。プレ・ルネサンスのジョットから、レオナルド、ミケランジェロにいたるまで、フィレンツェへ行ったらこれだけは見て欲しいと思う絵画や彫刻や建築をピックアップされている---見ているだけも楽しめる本である。著者は、”めくるめく眼福”という。



34.平成19年4月7日

 ”コミュニティビジネス入門”(2004年7月 連合出版刊 園 利宗著)は、コミュニティビジネスの事例を交えて、成功要因やビジネスモデルが理解できる本である。

 コミュニティビジネスは、地域コミュニティの再生とビジネスの起業を結びつけるもので、福祉・教育・まちづくりなどが重複していることが多い。少子高齢化などの問題に行政や企業が対応できなくなり、むしろ地域の市民と商店企業が協働した取り組みの方がいい、との考えが広がってきたからである。この本では、現場からのコミュニティビジネスの進め方が提案されている。第一に、現場でコミュニティビジネスに取り組んでいて参考になった事例を選び、どんなところが役に立ったかを紹介。第二に、その例から「どこでも、誰でもできるコミュニティビジネスとは」という問題意識を持って、、各地でのコミュニティビジネス試行のプロセスと成果、課題を報告。第三に、その結果を検討し、そこから「どこでも誰でもできるコミュニティビジネスの進め方と論理」を提案。事例として、足助町、足立区高齢者市場協議会、流山ユーアイネット、高岡市坂下町朝市、篠山市、川越市、半田市、奈良町、岐阜県明智町大正村、京都市春日地区、秋円県鷹巣町、足助町などが取り上げられている。これから主体性を持った市民活動が、全国的に醸成されていくであろう。自分達が住むまちに誇りを持ち、自分達が住みやすいまちを考えていく時代だからである。単なる行政への働きかけだけではなく、自分達ができること、したいことを積極的に考え、時には行政のシステムを変えていくことが求められる。

35.4月14日

 ”SOHOでまちを元気にする方法”(2005年12月 ぎょうせい刊 柴田 郁夫著)は、そもそも自身が1988年に開設された「志木サテライトオフィス」というオフィススペースで、SOHOインキュベーション施設を10数年来にわたってマネージしてきている人によるもので、研究者としても大学で教員をしているそうである。

 いまは、企業や工場を誘致して地域産業の育成を図るという時代ではなくなった。すっかりBRICSの方に行ってしまったのが多いのであろう。日本では、内発型の産業起こしが重要になり、コミュニティビジネスが注目されている。ビジネスを、その地域その地域で作っていくことが求められているのである。しかし、早々に各地域からベンチャービジネスが立ち上がるはずもない。そこで、その前に、SOHOが地域に根ざしたビジネスを立ち上げ、それがビジネスの裾野の広がりとなって地域産業を振興することが有効なのである。地域はSOHOインキュベーションを行って、地域活性化を図るべきである。本書では、いつくかの事例が紹介されている。

・トップランナー三鷹市の元祖SOHO支援手法
・高知県における壮大なトライアルとSOHO活動
・埼玉SOHO/MB支援ネット(彩の国起業ベンチャー支援
・沖縄の産業を支えるSOHOたち、沖縄にみる3つのケース
・東京都千代田区のSOHO集積による都市型コミュニティ再生事業
・静岡市が誇るインキュベーションマネージャーの力
・北海道SOHO・マイクロビジネス推進協議会の誕生
・木更津市テレワークセンターによる地域起こし
・神奈川県内SOHO団体のネットワーク化、コンソーシアムが産声

36.4月21日

 NYダウ史上最高値更新

 先日、中国経済の成長率が11%と発表された。相変わらず高水準である。上海の株式指数はこの1年あまりに急上昇し、3倍にもなろうとしている。平均株価が1株当たりの純利益の37倍にもなっている、という。2008年の北京オリンピックまで、株価の暴落はあり得ないという見方もあるが、上がりすぎたものはいずれ調整される可能性があろう。一方アメリカでは、2007年1~3月期決算で好業績を発表する企業が相次いでいることから、NYダウが史上最高値を更新していいる。一時は1万2966.29ドルまで上昇し、取引途中の最高値も更新した。アメリカの景気の先行きはどうであろうか。実態は、アメリカの景気は政府の発表とは違い減速傾向を示しているとも言われる

37.4月28日

 ”新版 古寺巡礼京都〈1〉東寺”(2006年10月 淡交社刊 砂原 秀遍, 梅原 猛著)は、世界遺産に登録される教王護国寺=東寺を紹介している。梅原 猛氏は、1925年、宮城県生まれで、哲学者、立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター初代所長などを歴任した。

 京都の駅舎から目に入る日本で最高の塔高を持つ五重塔で有名な東寺は、真言密教の根本道場で、立体曼荼羅が弘法大師空海の教えを伝えている。空海は真言密教の本拠地を、高野山と東寺と、宮中の真言院の3カ所に持った。東寺は本来は西寺と羅城門・朱雀大路を挟む形で796年頃に建立された寺で、平安時代以来長期にわたり東寺が正式名称とされていたが、823年空海に下賜されて教王護国寺と称したとされる。この本は、寺内の、五大明王像、五大菩薩坐像、帝釈天・梵天騎像、四天王立像、天 蓋、不動明王坐像などの、宝物、建築などの文化財を写真で紹介している。中でも大日如来は宇宙神で、宇宙のいたるところに存在していて、人間もまた大日如来と一体になることができ、大日如来と一体となってその身がそのまま仏になるという壮大なロマンである。思想は曼荼羅によって表現され、大日如来を中心にさまざまな仏が周囲に配置されている。本書でこれらのほとんどを見ることができる。後半で、東寺長者・砂原 秀遍氏他からの現代へのメッセージが収録されている。砂原 秀遍氏は、1925年、島根県生まれで、真言宗総本山教王護国寺(東寺)第256世長者、東寺真言宗第2世管長である。

38.5月5日

 ”図で読み解く!ドラッカー理論”(2004年8月 かんき出版刊 久恒 啓一著)は、経営の神様P・ドラッカ ーの著作を、図解術でわかりやすく図解している。

 江戸時代には、鳥撤回絵師という職業があった。風景をまるで鳥になって上空から見下ろすように描く絵描きであ る。この手法を参考に、ドラッカーの巨大な知の森を体系的に理解しようとしている。ドラッカーは飛躍が多い思想 家の一面があり、理論は必ずしもわかりやすいものではない上に、文章は論理的にたたみ込むスタイルではない。そこで、ドラッカーの所論を忠実に理解することはやめて、自分たちがドラッカーの頭脳を借りて、独自の考え方を構築すればよいという考え方で、ドラッカー理論の図解化に取り組んだものである。膨大な著作をすべて鳥撤するのは困難があるので、2000年にダイヤモンド社から刊行された三部作『プロフェツシナルの条件』『チェンジ・リーダーの条件』『イノベーターの条件』を中心に、必要があれば原典にあたりながら行きつ戻りつするという方法をとっている。三部作以降の最新の理論については、2002年に刊行された『ネクスト・ソサエテイ』を対象にしている。数十枚のドラッカー経営学の真髄を表現した図解と、それをもとにした数十枚の解説文というパッケージから構成されている、現代風、日本風にアレンジしたドラッカーのマネジメント論のエッセンスである。

39.5月12日

 中国の4月の貿易黒字は約2兆円

 中国の4月の貿易黒字は約2兆円になり3月から倍増し、一方、アメリカの貿易収支は赤字で、3月は10.4% 増加したようである。中国の4月の貿易黒字が前年同月比61%増の168億7000万ドル(約2兆円)に上った。アメリカの3月の貿易収支は、貿易赤字が前月比10・4%増の638億9100万ドルと3カ月ぶりに増加した。主たる原因は、原油価格の再上昇で輸入が膨らんだためのようである。輸入が前月比4・5%増の1901億2500万ドルに急伸したのに対し、輸出は同1・8%増の1262億3400万ドルだった。国別では、中国向け赤字は前月比6・4%減の172億4600万ドルであったが、前年同月比では10・8%増えた。米中政府間で貿易問題などを協議する戦略経済対話の第2回会合がワシントンで開かれるが、中国の巨額の貿易黒字を問題視する米国が黒字削減に向けて圧力を強めるのは必至である。

40.5月19日

 ”人生、思い通りにいかないから面白い”(1994年3月 大和出版刊 松原 哲明著)は、時には流れに身を任せることを勧める。人生の極意は、変化を愉しむこと。

 人生は、めぐりめぐるらせん階段のようなものだ、という。よいことも、悪いことも、ともに巡り合いながら人生となっていく。はしごのように一直線ではあり得ない。そして、人生、ことごとく思い通りにはいかない。うまくいったというのは、一時的なもので、また元に戻ってしまうものだ・・・そうかもしれない。ただし、うまくいかないからといって、何もせず、じっとうずくまっていたら、人生、どんどん沈下していく、という。下を向いているからである。そうやって下降し、沈んでいくと、今度は上昇することが苦しくなる。所詮、人間何もしなかったら、何も起こらない。何かやっていなければいけない。何もやらないのなら、お化粧したり、ひげでもそっていた方がいい。その方が、いくぶん、人生を上向きにさせるからである。ともかく、自分の穴にとじこもっていてはいけない・・・やりたいことをやればよいのだ。思い切って、勇気を出して何でもいいからやってみる、という。あるいは、以前、好きで興味があったことをしてみたい。すると、多少気分転換になるだろう。気分が楽になると、人生も河の流れのように流れだす。ところが、人生がうまく河の流れのようによどみなく流れだし、ああ、よかったと安心しているうちにまた壁にぶつかることになっている・・・うまくできているものだ。そして、なんと、スランプがきたら、しめたと思うことにしている、という。なぜならば、ここでひとつ勇気を出せば、またひとつ自分の殻が破れ、人生が転換していくからである。モノは考え方ひとつである。考え方を変えれば、生き方が変わる。

41.5月26日

 ”兼業・兼居のすすめ”(2006年3月 東洋経済新報社刊 玉田 樹著)は、いまこそ団塊パワーが再び活かされるべきだ、という。

 著者は野村総研の理事だった人で、1945年生まれ。いま、国民の価値観が変わり、これまでの政府依存や会社依存によって得られた「豊かさ」から、自らのことは自らチャレンジする「よりよく生きる」に変わった、という。多くの国民が「よりよく生きる」ことができるように、社会の仕組みの構造改革を、みんなで推し進めるときがきたとのことである。そのパワーは、団塊の世代のリタイアの開始に始まる。団塊世代は、長い間、わが国の産業が国際的な競争力をもつことに多大な貢献をしてきた。また、新しい消費社会の隆盛を牽引し新しい家庭像を切り拓くなど、戦後日本を形づくるうえで大きな役割を果たしてきた。そしていま、団塊の世代にとって、再びわが国をリードする”場”で活躍する機会が登場した、という。この本は、そぅしたチャンスに対し、どう振舞うのかについて言及したものである。自ら能動的に「よりよく生きる」とでもいうべき価値観に転換したことは、政府や企業丸抱えの「公助」への依存から、お互いに助け合う「共助」、自分自ら対処する「自助」へと人々の軸足が移りはじめたことを意味する。現在問われるべきは、この価値観の転換にあわせていかに多面的な社会システム改革ができるか、という局面にあるようである。この本の中で勧めているのは、3割兼業と都会と地方の兼居である。豊かさ時代を支えてきた「終身雇用・年功序列」という崩壊しつつある雇用形態に代わって、「兼業」の雇用モデルを提示している。そして、これまでの豊かさ=マイホーム=核家族に代わって、よりよく生きる=兼居=ファミリーという住まい方を提案している。このような観点から、社会システムの設計原理を変え、社会システムの構造改革が必要だといい、何をどうすべきかかなり具体的に言及している。
 ”わたしの十牛図”(2005年5月 佼成出版社刊 三田 誠広著)は、高校時代1年休学して自分探しをした
ときのことを回想しつつ、本当の自分を見失った若者が失われた自己を求める旅が書かれている。わたしは何者か、
人生の主役であるはずの自分とは、いったい何か。

42.平成19年6月2日

 三田さんは17歳のときに登校拒否、ひきこもりで1年間高校を休学して、本ばかり読んでいた時期があったそうである。人間関係につまずいたとか学校がとくに嫌いだったというわけではなく、大学入試の受験勉強ばからの授業が面白くなかったのが原因で、いま読みたい本をどうしても読んでしまいたい気持ちだったとのこと。このときの仏典との出会いは大変な驚きで、仏典は近代的で斬新で刺激的だと感じ、カントやヘーゲルの思想は、2500年前の釈迦の認識論から一歩も進んでいないそうである。この1年の世捨て人体験で三田さんの仏教観が確立され、1年経つと俗世間に戻りたい気持ちになって高校に戻った、という。本当の自分というものを見極めるためには世界というものを認識する必要があり、とくに仏教の存在論についての理解が重要とのこと。中国の宋の時代にいまの禅のスタイルが確立され、この当時の禅の教科書として作られたのが”十牛図”である。牛とは本当の自分のことである。

・尋牛 本当の自分を求める旅立ち
・見跡 本当の自分はどこにいるのか
・見牛 あるべき自分を見つけ出す
・得牛 本当の自分に触れる
・牧牛 本当の自分と一体となる
・騎牛帰家 日常生活への復帰
・忘牛存人 あるがままに生きる
・人牛倶忘 そして消える
・返本還源 ここに自分はいない
・入塵垂手 これが本当に自分だ

43.6月9日

 "なぜ売れないのか、なぜ売れるのか"(2005年7月 講談社刊 鈴木 敏文著)は、1992~2005年イトーヨーカ堂グループの社内会報に載っていた各界の著名人との対談集を集めたもの。

 鈴木氏はイトーヨーカ堂社長としてのイメージが強烈に残っている。最初は東京出版販売に入社され、昭和38年にイトーヨーカ堂に入られたようである。極めつけは、昭和49年のコンビニエンスストア『セブン-イレブン』をスタートさせたことであろう。なぜ売れないのか、売れないのではなく、売れる機会を逃してはいないか。いろいろな販売データはあってもどれも過去の数字にすぎない。明日の売れ筋が市場に落ちているなんてことはない。そこで、明日の売れ筋は自分でつくり出すしかないのである。明日の売れ筋こそが仮説である。仮説を立てられるか力があるかどうか、すなわち、将来を見通すための思考力があるかどうかが、企業の将来そのものを左右する。企業が成長できるかどうかは、新たな市場機会を見つけられるかどうかにかかっている。仮説の立て方や超過密市場を勝ち抜く手法などがよく分かる。

はじめに――売れないのではなく、売れる機会を逃している

これまでのやり方では通用しない
1 95%は店頭で決まる
2 POSデータでは売れ筋がわからない
3 数字に頼りすぎると実態が見えなくなる
4 小売業は生活者を知らない?
5 消費者はウソをつく?
6 「売れ筋」は存在しない

どうすれば売れる機会を発見できるか
1 営業マンは市場開発マン
2 なぜ数字だけでは仮説が立てられないのか
3 それは観察するための情報だ

事実と意見をごちゃ混ぜにしていないか
1 否定的な意見なら、いくつでも言える
2 ポジティブな意見のなかにこそ市場機会がある
3 仮説づくりではまる罠

事実だけを拾い集める――観察力を磨く
1 事実を見出すには「ほめる力」が必要
2 「聞き上手」は事実観察の名人
3 観察力を強化するために忍者になろう

仮説づくりの極意
1 視点さえ決まればどんどん事実が見えてくる
2 仮説はどうやって立てるのか
3 仮説づくりのガイドラインを設ける
営業マンの意見は役に立たない?
1 木を見て森を見ない営業マン
2 みんなが不満の営業日報
3 事実だけを日報で伝える

事実を社内でどう活かすか
1 日報を書く目的を見失うな
2 営業日報を新聞として配信する
3 事実をデータベース化する
4 観察力で決まる

意見の連続から脱け出そう
1 創造処理と業務処理は違う
2 事実の力で組織の壁を突破する
3 考える営業マン、考える組織

営業マンが受信チャネル
1 情報の逆流が始まった
2 「お店の先」をとらえる
3 あさっての市場開発
4 これからの営業マンの「三種の神器」
おわりに―― アクティブ・マーケターがこれからの主役

44.6月16日

 ”ブランドと百円ショップ”(2005年3月 朝日新聞社刊 堺屋 太一著)は、週刊朝日の2001年11月30日号~2004年11月5日号より抜粋してまとめたもの。

 戦後の日本には二つの概念があった。第一は、官僚主導の体制で規格大量生産型の近代工業社会を確立する、という経済コンセプトであり、第二は日米同盟を基軸として西側陣営に属し、経済大国・軍事小国を目指す、という外交コンセプトである。この二つの基本概念は、時代の流れに沿ったものだった。しかし、官僚主導体制で規格大量生産型の近代工業社会を確立する、という経済コンセプトが破綻して10数年、今なおこれに代わるものが樹立されていない。始まりかけた金融政策も2000年で止まってしまった。西側陣営に属して経済大国・軍事小国を目指す、という外交コンセプトが破綻したあと、外務官僚が持ち出した外交目標は、北方領土の返還と国際連合の安全保障理事会の常任理事国になることだった。この数年間に小泉内閣がやったことは、金融機関に対する個別指導や監督強化、金融リスクの国有化を目指す再生プログラムなど、官僚統制強化ばかりである。外交面でも官僚の失政が目立つ。そして、日本の何かが変だと思っている人が多いのではないだろうか。世界は激動している。日本はこの変化に着いて行っていない。このままでは、遠からず世界から取り残されてしまう。平成日本が苦境を脱する方法はただ一つ、国際分業と知価の創造である。ブランドはなぜ売れ続け、百円ショップはなぜ百円で商売できるのか?

 第1章:「平成日本、一挙総括」
 第2章:「何もしなかった平成日本の政治」
 第3章:「世界の知価革命は進行中」
 第4章:「激動するニッポン」
 第5章:「ブランドと百円ショップ・知価革命社会へ」

45.6月23日

 年金記録紛失問題

 社会保険庁の年金記録紛失問題は、組織的な重大な過失の積み重ねではないかと疑われても仕方がないような出来事である。納めたはずの保険料の記録が社会保険庁に残っていないという苦情は、基礎年金番号が割り振られた1997年1月の直後からあったそうである。そして、膨大な未統合記録の存在が発覚したのは2006年で、社会保険庁はそれまで各地でトラブルが起きていたのを認識しながら実質的に放置していたことになる。年金記録の消失は、1997年の年金番号統合の際の入力ミスが大きな原因とされる。2006年6月に65歳以上で約2300万件、2007年2月に全体で約5000万件の未統合記録があることを明らかにした。ゆゆしき事といわねばらない。また、1957年10月以前の厚生年金の記録が記載された旧台帳のうち83万件が、マイクロフィルムや磁気データにバックアップされずに違法に廃棄されていたことが分かったようである。このうち71万件は廃棄当時にすでに年金を受け取っていた人たちの分なので実害はほとんどないが、残る12万件には受給前の人の分が含まれることも想定され、年金支給漏れが起きていた可能性がある。特に、行方不明の国民年金を見つけることは難しいようである。厚生年金の場合は、会社の在籍記録や同僚の証言などから、保険料納付の事実を明らかにしやすいという。決め手はないか。社会保険料控除---納税記録は使えないのであろうか。役所の縦割り構造から無理なのであろうか。

46.6月30日

 ”京の古寺あるき”(1997年4月 実業之日本社刊 メディアユニオン著)は、京の古寺の魅力をわかりやすく紹介している。

 長期滞在できるとしたら、まっさきに滞在してみたいところは京都である。1200年の古都で歴史と安らぎに出会いたい。来し方を振り返り、行く末を見つめるには最適なところではないか。これまでに京都で40くらいの古寺を訪ねているが、いずれも旅行者としての通りすがりの訪問であった。まだ訪ねていない由緒深い古寺、名刹の名園、秘仏、建築美、名画、四季の美などがたくさんある。訪問したところでも、あまりじっくり鑑賞したわけではない。この本では、由緒正しき123寺が紹介され、洛東・洛北・洛西・洛中・洛南のエリアで、それぞれの寺にまつわる歴史、エピソードなどが紹介されている。1日に5カ所くらい、事前によく仏教のことと歴史を勉強してから訪ねるのがよいかもしれない。25日あればぜんぶ回れそうである。そして食事はなるべく、豆腐料理や精進料理などの味の寺を楽しむようにしたい。

47.平成19年7月7日

 ”京都発見1地霊鎮魂”(1997年1月 新潮社刊 梅原 猛著)は、京都に住んで50年の著者が洛中洛外を縦横無尽に歩いて京都発見の旅へと誘う書である。

 著者は昭和19年、戦争たけなわの頃、名古屋にあった旧制高校、八高の学生であった。そして、将来について思い悩んで、法科にしようか文科にしようか、東大にしようか京大にしようかと悩んでいたそうである。しかしまもなく決断し、一時の栄華を求めるより永遠の真理に仕えたいという気になったそうである。永遠の真理にはやはり千年の古都がふさわしいと思い、東西の思想を総合して甚だ独創的な思想体系を作り出した西田幾多郎のいる京大に学んだ。それから50年あっという間に人生は過ぎたとのこと。その50年の間に学問の対象が変わったそうである。もともとは西洋哲学の研究を志したが、いつの問にか日本の思想や文化の研究者になった。学問的関心も狭い意味の哲学から、宗教、歴史、文学、戯曲、小説にまで及んだ。何でも日本古代研究をするには、京都という土地は恵まれているとのこと。ほとんどの遺跡に2、3時間で行くことができるからである。古社寺には多くの霊が染み着いている。古社寺を訪ねたら、その地に住み着いた地霊の言葉を聞かなくてはならない。自分を巨大な耳にして、その古い霊たちの言葉を静かに聞くことにしよう。地霊鎮魂、合掌。

 序論
 平家ものがたり
 法然の浄土教
 時宗・時衆・遊行
 藤原権力の基礎
 イナリ
 東福寺
 宇治の怨霊
 宇治の浄土
 宇治の物語
 定朝の浄土・頼通の浄土
 その後の仏たち

48.平成19年7月14日

 聞いたことがない。いや、あったのか。中心気圧は945ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は45メートル、最大瞬間風速は60メートル。台風4号が北上している。7月としては過去最大級とされる。9月の台風では、この規模のものは何度も発生したことがあるようだ。最近では、2006年9月10日~9月18日の台風13号は、Shanshan=サンサンと呼ばれ、最低気圧 919 hPa、最大風速(気象庁解析) 55 m/s (110knot)、最大風速(米海軍解析) 120 knotであった。被害総額 460億円で、死者9人、行方不明者1人、負傷者323人を出した。また、2005年8月29日~9月8日の台風14号は、NABI=ナービー(韓国語の「蝶」)と呼ばれ、最低気圧 925 hPa、最大風速(気象庁解析) 50 m/s (95 knot)、最大風速(米海軍解析) 140 knotであった。被害総額は農林水産被害 695億円、保険金支払額 826.7億円で、死者26人(重軽傷168人)を出した。台風は太平洋や南シナ海(赤道以北、東経180度以西100度以東)で発生する熱帯低気圧で、最大風速(10分間平均)が34ノット (17.2m/s) 以上のものを指すとのこと。台風が東経180度より東(西経)に進んだ場合や、マレー半島以西に進んだ場合は、最大風速が34ノット以上であっても台風とは呼ばないのだそうな。前者の場合、最大風速(1分間平均)が64ノット以上のものをハリケーン (Hurricane) と呼び、34ノット以上64ノット未満のものをトロピカルストーム (Tropical Storm) と呼ぶ。後者の場合、サイクロン (Cyclone) と呼ぶ。被害が最小であることを願う。

49.7月21日

 ”空海と中国文化”(2003年11月 大修館書店刊 岸田 知子著)は、密教の教えを説き、様々な学問を修得した弘法大師空海の足跡と、特に中国文化との関わりを示している。

 先週読んだ四国の巡礼の図解した本で、大師が四国で悟られたのは23番札所の薬王寺から24番札所の最御崎寺への遍路道であったという説明を読んだので、大師の本を読もうと思った。四国の八十八カ所の巡礼は、大師がお歩きになった道を辿る旅なのだという。大師は讃岐の国に生まれ、幼名を真魚といい、幼い頃から仏の道を志した。出家、得度の後唐に渡り、恵果和尚より潅頂を受け、遍照金剛の名を授かった。その後日本に戻り、世のため、人のため、広く密教の教えを説いた。また、様々な学問を修得し、香川県 満濃池の修復工事や、綜芸種智院の設立など、活動は多岐に渡っている。詩・書・著作を通して、中国文化を伝達し、学問と芸術の世界を描き出した。南無大師遍照金剛・・・南無大師遍照金剛・・・。

1 青年空海の学んだもの
十五歳で都に上る/大学寮明経道/五経と経学/空海の専攻/『文選』との出会い/四六駢儷体/類書に学ぶ/大学を去る
2 青年空海の著作――『聾瞽指帰』
日本人と漢文/遣唐使の漢文/三教とは/三教をめぐる議論/『指帰』の内容構成/『指帰』の典拠
3 空海の渡唐
遣唐使/中国への航海/長安を目指して/二通の文章/長安での日々/般若三蔵との出会い/青龍字/恵果和尚/空海への送
別詩/幻の肖像画
4 空海のおみやげ
越州での集書/『請来目録』/『請来目録』の中身/ほかにもある「おみやげ」
5 空海と書
空海の真筆/嵯峨天皇と空海と書/詩文の流行と書/五筆和尚/空海の学書/王羲之と顔真卿/「唐孫過庭書譜断簡」/空
海と雑体書
6 空海の書
「十韻詩」/「十韻詩」の改作/『性霊集』/『性霊集』の詩/『性霊集』の詩を読む/『経国集』/在唐中の詩/空海の
山居詩
7 空海の作った辞書―『篆隷万象名義』
雑体書と異体字/『篆隷万象名義』と『説文解字』/『篆隷万象名義』と『玉篇』/『篆隷万象名義』の字義/博物学へ
の関心/「ことば足らず」の字義/『篆隷万象名義』は備忘録/高山寺本の構成
8 詩文創作の手引き書―『文鏡秘府論』
『文鏡秘府論』序/楊守敬と『文鏡秘府論』/『文鏡秘府論』の構成と内容/『文鏡秘府論』の引用文/四声の病/助字
への関心/内藤湖南と『文鏡秘府論』
9 空海がもたらしたもの
帰国後の空海/弘仁という時代/日中の文化的時差/漢詩文の衰退/空海がもたらしたもの

50.7月28日

 ”21世紀への期待”(2001年11月 岩波書店刊 都留 重人著)は、日本の社会が陥っている現在の政治 経済の行き詰まった状態と精神面の荒廃さえ叫ばれる中から、いかに抜け出し明るい光明をつかむことができるかを展望している。

 著者は1912年生まれで、ハーバード大学卒業。1947年に第一回の経済白書を執筆した。一橋大学教授時代の論説が印象深い。”トンネルの中の日本”では、第一に人心の荒廃をあげている。世紀末的ないろいろな事件を例にあげているが、最近もバラバラ殺人事件など著しく非常識な事件が後を絶たない。”トンネルの中の日本経済”では、日本の比較優位の喪失と不良債権処理の課題をあげている。その後もBRICSの躍進に後塵を拝している状況が続いている。”政治の混迷”では、小渕首相急逝後の後継首相・総裁を五者会談で内定した腐敗と逸脱をあげている。いまの政治・行政では何人かの大臣や社会保険庁の不始末が起こっている。社会・政治経済の状況は、2001年の時点からあまり進歩していないかのように見える。このトンネルから抜け出すには発想の転換が必要で、戦前と連続した国家的イデオロギーやその体現事象とは訣別すること、日本の自立が完うできるよう現行の日米安保を根本的に見直すこと、真の豊かさは経済の成長率を指標とするものではないことを確認することの3点をあげ、それぞれについて詳説している。GDPを構成するのは、福祉にプラスの項目の内、市場性のある基礎的需要と任意的需要、それに反福祉的事象への対策措置を加えたもので、市場性のないものや、福祉にマイナスの項目は除外されている。しかし、真の豊かさからはこれらの除外項目は極めて重要である、という。そして、出口の見える明るいビジョンを持てるためには、生産力に関連した技術革新の見通しと宇宙船地球号内でのグローバル化が重要である、という。そのためには、経済の新生、都市の再生、日米安保の見直しと、ものの豊かさをこえた、人間尊重、自然との共生、文化国家振興、公害と無縁の都市創造をあげる。



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