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徒然草のページ
1.平成19年8月4日
”儲けはあとからついてくる”(2002年2月 日本経済新聞社刊 片岡 勝著)は、市民パンク、プレス・オールターナティブ、スーパネットの各代表で、コミュニティ・ビジネスの実践者で、法政大学、山口大学、福岡大学の講師をしている。
片岡氏は1946年生まれで三井託銀行入行後労働組合委員長等を務めたあと、管理職を目前に退社し1年間の海外放浪の旅に出た。ドイツのフランクフルトにエコバンクというものがあるそうで、難しい問題をともに解決するという姿勢で融資を行い、金利で儲けることを第一目的にしていないようである。他の銀行が融資を行わないような、小さいが人々の役に立つ事業に低金利で融資をする。預かったお金の行き先をはっきりさせ、社会の方向性を示すため、融資分野を女性の自立、自治、環境保全などの7つの分野に絞っている。障害者の仕事づくり、環境に良い住まいづくり、有機農業への融資など、事業としても成り立つようにと、融資先の手助けをしていたとのこと。こんなことで成り立つのであろうか。カネを貸したらそれで終わりという日本の金融機関の姿勢とは、まったく違っていた。エコバンクの経営者は経営としても成り立つように必死に努力していたが、エコバンクも融資先も赤字続きだったそうである。でも、日本の銀行が忘れている何かがあると感じ、まったく異質の使命感というものを感じたそうである。自分の価値基準がしょせん、日本という枠での経験から出ている狭いものであることに気づき、恥ずかしくなった。という。そして、日本にもこうした銀行が必要だと思って帰国した。帰国後、まず、1985年に(株)フレス・オールターナチイブを設立し、発展途上国の商品を輸入して地域自立を助ける第3世界ショッフを展開してきた。また、1989年に市民パンクを立ち上げ、社会的に意味のある事業を対象に無担保・低利の融資をし、起業支援する活動を続けている。これまで100件以上融資したが、これまで貸し倒れはないそうである。そして、1997年に(株)スーパーネットを設立し、安価な無線のネットワークを、地域市民のだれでも自由に使え、福祉、教育、防災分野でも活用できるように、いろいろな事業プランに取り組んでいる。利益・効率第丁王義の下、わき目もふらずに走ってきた日本経済が行き詰まりを見せる一方で、社会の価値軸は、生産から生活へ、効率から公正へ、競争から共生へと静かに変わろうとしている。そして、人生80年と言われるこの時代、定年退職者と、若くしてリストラの対象となつた人たちが一挙に社会に放出されようとしている。その一方で、福祉分野、国際貢献分野、そして農業分野などで、新たなサービスの担い手が大量に必要とされている。各地域でコミュニティビジネスが広がれば、既存の産業構造から積極的に、あるいは消極的にであっても、飛び出してきた人たちの大きな受け皿になるだろう、という。
2.8月11日
”ベラボーな生活”(2006年6月 朝日新聞社刊 玄侑 宗久著)は、朝日新聞社宣伝PR部作成の”暮らしの風”への4年間の連載をまとめたもので、禅道場の非常識な日々を綴っている。
玄侑氏が京都の天龍寺僧堂にお世話になって19年が経とうとしていて、これまでのことを振り返った記述が多い。禅の専門道場の入門試験は3月末がピークで、”庭詰め”といって、入門志願者は道場の玄関で”たのみましょう”と声をはりあげ、上がり框に両手をついて剃りたての頭をその手につけて坐り込むと、”どうれ”と出てきた係の先輩僧は低頭した先に置かれた”入門願書”を手にとって読みはするが必ず断ることになっている、という。それで引き下がっては話にならないから、玄関先で低頭したまま3日間坐り込みををするのだそうである。その間、”追い出し”と呼ばれる実に慈悲深い追放が午前と午後に一回ずつあるが、夜は眠らせてもらえるし、食事も汁とご飯が食べさせてもらえるそうである。庭詰めのあとは”旦過詰め”があって、四畳半ほどの狭い部屋で壁に向かっ坐禅を組みながら2日ほど待たされる、という。問われているのはただ一つで、どの程度そこに入門したいのか、という志なのだそうである。庭詰めも旦過詰めも、合理性に慣れた頭には冷水を浴びるような時間である。入門者の約半数がひと月以内に逃げだす、という。これが”ベラボー”な生活の始まりである。入門すると掃除が重要な修行項目になるようである。新入りは次の新入りが入るまでトイレ掃除をする。そして、畑に入れる牛糞を貰いに行く。相手によらず丁寧に挨拶をし続け、タライと洗濯板で洗濯する。心頭を滅却して座禅をして警策でたたかれながら修行する。2年目に”隠侍”または”三応”という、老師の身の回りの世話役になり、3年目に”殿司”という追い出し役になった・・・やはり最低でも3年はかかるようである。
3.8月18日
”アメリカ型不安社会でいいのか”(2006年8月 朝日新聞社刊 橘木
俊詔著)は、格差・年金・失業・少子化問題への処方せんとして書かれたもの。
著者は1943年兵庫県生まれで、小樽商科大学、大阪大学大学院を経て、1973年ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了(Ph.D)。その後、米、仏、英、独の大学・研究所で教育職・研究職を歴任し、京都大学経済学研究所教授、経済企画庁客員主任研究官、日本銀行客員研究員、経済産業省ファカルティフェローなどを経て現在、京都大学大学院経済学研究科教授。アメリカに5年、ヨーロッパに5年半(フランス4年、イギリス1年、ドイツとオランダに合計半年)の滞在経験がある。本書は筆者が過去2年間にわたって、朝日新聞の夕刊「思潮21」と月刊誌『論座』の「民のかまどの経済学」に寄稿したものが原点となつている。日本はいま格差拡大、社会保障不安、失業問題、若者の苦悩、少子・高齢化、女性の生き方、等々の分野において大きな苦悩と不安の中にいる。十数年来の不況にあったことが、これらの諸問題を発生させた主要な原因との見方もあるが、著者は必ずしもその意見に賛成しない。主要な原因は、日本社会が長期的にみると大きな変容の中にいることに由来する、と理解している。明治以来の日本の発展は、欧米諸国という先行の先進国から多くを学ぶことによって達成された。先進国の仲間入りをした日本はいま、中国やインドをはじめとする急成長国からの挑戦を受けているので、これら発展途上国との競争にどう対処するか、ということも重要な課題である。格差拡大、社会保障不安、失業問題、若者の苦悩、少子・高齢化、女性の生き方といった諸問題は、むしろ欧米の先進諸国、あるいは成熟社会に特有なことである。これら先進諸国は日本にさきがけて、これらの諸問題に悩んだのであり、それぞれの国が解決策に取り組んできた。成功した国もあるし、いまだに悩んでいる国もある。欧米諸国であっても、大きく分けるとアメリカとヨーロッパでその対応策が異なる。アメリカは自立志向でヨーロッパは平等志向である。これが人間の生き方や生活の質に影響している。経済面では、アメリカは市場原理・弱肉強食で、ヨーロッパは公共政策・平等志向である。そう言えば、小泉改革ではアメリカ型の市場原理が採られていた。格差・不安社会は、その当然の結果かもしれない。日本はもう成熟した社会に到達しているので、日本独自の政策を考えることが肝要である。という。その際、ヨーロッパ型社会がお手本である、という。
4.平成19年9月1日
”超・成果主義”(2005年6月 日本経済新聞社刊 加藤 昌男著)は、成果主義崩壊の真実と成果主義の本質的な問題点を追求し、人の視点から日本企業の発展のために役立つ様々な考え方や最新の具体的事例の紹介、新しい視点の創造的な提案がされている。
成果主義を導入しても会社の発展につながらない。短期的な目標達成度がどれほど向上したように見えても、中長期的発展や戦略の実現につながらないのであれば、その人事システムは不適切である。成果のあがらない成果主義という皮肉な状況、これこそが成果主義崩壊の真実である。では、なぜ成果主義は会社の発展につながらないのであろうか。成果を高めるには、結果が出てしまってから対処するのでは遅すぎる。従来の成果査定主義はよい結果をつくり出すマネジメント・システムではない。それどころか、成果査定主義は同僚を協働する仲間から単なる競争相手におとしめ、日本企業の強みである社員同士が協力し合うチームワークを崩壊させ、組織力を低下させる。成果主義の目的は、人を公正に評価し社員が報われる処遇を実現するという人事制度の動機付け施策だけでなく、なぜ自分が働くのかという使命を自覚させ自律性を高め、知的チームプレーの相乗効果で高業績達成を加速させることであった。そのためには、お互いに協力し合うことが組織業績を高め利益配分のパイを増やすことにつながる。知的チームプレーの過程で組織の共有ノウハウが増え、個人のパフォーマンスをも向上させるので、次期の好業績・好評価にもつながる。他人を助けることが巡りめぐって、結局は社員個人に還元されるというWInWlnの好循環の仕組みを築くことが重要である。WlnW・1nの人事理念が、社員相互の信頼関係を高め、知的チームプレーを発揮させる基盤となる。人事とは経営そのものである。企業経営という総合的な活動を人の視点から把握したものが人事である。従って、成果に指向した人事とは、経営管理そのものである。経営管理の基本的な考え方が、単なる査定と選別の論理であってはならない。高業績達成のための努力、創意工夫のシステムでなければならない。働くということは、生きるということであるとすれば、我々日本人が共に働くということは、共に生きるということではないか。昔から、我々日本人を支えてきた和を以て貴しと為す理念を忘れるべきではない。高業績を達成し高処遇を受けた社員が、他の社員が次期高業績を達成できるようにノウハウを開示して支援すれば、他の社員も高業績を達成した社員に感謝こそすれ、嫉妬であるとか妬みであるとかいう感情は芽生えにくくなる。やる気が高まるのは一人高業績者だけでなく、組織全体のやる気が高まる。WlnWlnの人事理念と知的チームプレーの仕組みの相乗効果で、総合的な動機付けが可能となり、高業績達成への上昇循環がさらにスピードアップする。人事とは経営そのものである。
5.9月15日
”よくわかるu-Japan政策”(2005年5 ぎょうせい刊 総務省/ユビキタスネット社会に向けた政策懇談会共編)は、e-Japan構想の実現後の次の課題として総務省が2004年5月に打ち出したu-Japan政策の工程表である。
社会の至る場所にある、あらゆるモノにコンピュータを埋め込み、それらが互いに自律的な通信を行うことによって生活や経済が円滑に進む社会がユビキタス社会であり、u-Japan政策はその実現のための工程を示している。総務省では、2004年3月、「ユビキクスネット社会の実現に向けた政策懇談会」を設置し、2010年のユビキタスネット社会のビジョンを描いて、その実現に資する政策パッケージの骨格づくりに取り組むこととした。本書は、36名の構成員による、10か月に及ぶ、延ベ27回の検討の結果を取りまとめたものである。「ユビキタス(ubiquitous)」の語源はラテン語で、「至る所に存在する(遍在する)」という意味をもつ。ユビキタスネットワークは、「いつでも、どこでも、何でも、誰でもつながるネットワーク」である。このようなネットワークの利活用環境を形成するICT(情報通信技術)がユビキタスネットワーク技術である。これを活用することによって形成される「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」つながる社会像を、「ユビキタスネット社会」と名づけた。わが国で2010年を目途として先駆的に実現されるユビキタスネット社会を「ユビキタス・ジャパン(u-Japan)」とよぶ。整合的に、かつ一貫性をもって推進するための政策が「u-Japan政策」である。u-Japan政策は、インフラ整備と利活用促進を軸として3つの方向において展開される。第一は、「エビキクスネットワーク整備」という方向である。第二は、「ICT利活用高度化」という方向である。第三は、ユビキクスネットワークのインフラ整備が、ICT利活用高度化に的確につながるように、安心・安全な「利用環境整備」を行っていくという方向である。u-Japanでは、携帯電話やPDAなどの小型情報端末はもちろん、テレビや冷蔵庫などの家電製品、案内板や道路信号などの社会基盤、食料品などの商品の値札やさらには洋服などの日用品にまでコンピュータを埋め込むことが構想されている。これらが互いに通信することで、誰もが場所を問わず情報通信ネットワークにアクセスでき、あらゆる情報を引き出すことが可能となることが想定されている。u-Japanの実現には、コンピュータの埋め込まれたユビキタスツールと、それらが通信を行うための通信環境の発展が必要である。
6.9月22日
”ネットワーク・リアリティ”(2004年3月 岩波書店刊 木村 忠正著)は 、ポスト高度消費社会を読み解くための書である。 日本社会が直面している諸問題の根底には、高度消費社会として産業社会が成熟し、消費を軸にした経済が不透明性、不確実性を高めているにもかかわらず、少子高齢化から、社会全体の消費力が減少期に入ってきているという歴史的状況が存在する。消費のパイが徐々に縮小していくなかで、いかに産業社会を発展させることができるのか、という課題をつきつけられている。1990年代後半、アメリカを中心にデジタル経済が開花、発展を遂げた。業務用、家庭用とも、コンピュータ、周辺機器、移動体通信機器、ネットワーク関連機器、デジカメなど各種デジタル機器といったハードウェア、さらにそうしたハード+ネットワークを活用するソフトウェア、サービスなど、新たな産業分野が成長している。そして、目まぐるしい技術革新により、新たな需要が次々と生み出されてきたことはたしかだ。ITが経済成長、雇用創出の大きな動因の一つであることに疑う余地は少ない。しかし、日本社会全体としてみたとき、その期待の大きさに比して、情報化・ITの進展による目に見える形での景気浮揚感、企業活動、社会生活における活力の高まりを感じることもまた稀である。これはなぜか。管理人は、技術のつぼみの段階でマスコミがとりあげて、完成した姿を喧伝する影響が大きいのではないかと思う。当たるものもあるがそれはあまり多くない。一方、ユーザーは完成形を想像して大きな効果を期待する。しかし、企業のマネジメントサイドから見ると、結果はたいてい満足できるものではない。1999年の渋谷ビットバレーは、2000年2月、3月にピークを迎えた後、急速に勢いを失った。成長への期待から過剰な資本が流入しバブル化して、必然的に崩壊した。ビットバレーも2000年後半には活動を実質的に休止した。ITによる産業経済成長に関して、日本社会は三重の意味で構造的課題を内包している、という。まず、量産工業化モデルが持続的に機能するには、あまりに消費は高度化し、ビジネスは需要をたちどころに満たしてしまうほど過剰な能力を抱え込んでいる。また、これまでに議論したような、情報メディア環境、社会心理的傾向から、情報ネットワークの利活用が限られ、裾野が広がらない。そして、Ⅰモード系、ブロードバンド普及に伴い大きな期待を集めた情報コンテンツ、マルチメディア市場に関しても、ニッチ市場を形成するにとどまり、基幹産業とはなりがたい。そこで、社会増強力としてのITという視点の重要性で、次の四つの力に分けることを提起している。 ・業務プロセスを変革する力 ・技術革新の中核的推進力 ・情報ネットワークを利活用し付加価値を生み出す力 ・サービスを地理的制約から解放し、ネットワークにより移動可能、交易可能にする 力 管理人は、もう1つ現状のITには限界があることを忘れてならないと思う。それはノイマン型コンピュータの限界である。本来の意味での学習機能がなく、(しょせんムリなのか)創造性がないことである。しかし現状でも、情報ネットワークは、少子高齢化、縮小する状況でいかに産業社会として発展するかという課遭に対する切り札であることは疑いないし、日本社会が情報ネットワークがもつ力を活かせる潜在的能力をもっていることもまたたしかだろう。そして、その能力を引き出すためには、消費をめぐるデフレ競争に体力をいたずらに消耗するのではなく、今一度長期的視野にたった人材育成の観点からの戦略を社会として共有することが必要なのではないだろうか。このような意味で、日本社会にとって喫緊の課題は、社会的サービスを中心に、社会的信頼を醸成するネットワーク・リアリティを構築することができるのかという問題である。
7.9月29日
”入門ユビキタス・コンピューティング”(2004年1月 NHK出版刊 志賀嘉津士著)は、現状のユビキタス・コンピューティングと近未来のビジネスや生活への影響を具体的に解説している。
ユビキタス・コンピューティングは、ゼロックス研究所の技術主任マーク・ワイザー(Mark
Weiser, 1952年
?1999年)が1988年に提唱した概念である。コンピュータの使い方には三つの波があるという。第一の波は、銀行や研究所などで使われたメインフレームのように一台のコンピュータを多くの人が使う時代のメインフレームの波、第二は1980年代後半から1990年代に訪れた一人が一台のコンピュータを使う時代、そして第三がユビキタス・コンピューティングの時代である。ユビキタス社会では、コンピュータは安価に身近になり、あらゆる機器に組み込まれ、一人の人が複数のコンピュータに囲まれて生活する。しかも、コンピュータ同士がネットワークで結ばれて利用者に利便性をもたらす。利用者は当たり前のようにコンピュータの恩恵に浴し、コンピュータを使っていることを意識しなくなる人間中心の社会である。本書は、このユビキタス・コンピューティングについて、現在、どのようなところまで、ユビキタス・コンピューティングが広がっているか、ユビキタス・コンピューティングを支える技術がこれからどうなるか、我々の生活がどう変わっていきそうか、どのようなビジネスがおこってきているかなどに触れている。特に、ウェアラブル・コンピュータや無線タグなどを生活の場面ごとに説明し生活者に与える影響を具体的に描いているのが大変わかりやすい。
8.平成19年10月6日
”地ブランド”(2006年8月 弘文堂刊 博報堂編著)は、地方発の中小のブランド構築を提案している。
ブランドはよく知られた定評のある銘柄で、商標を持ち、独自性を強調し、競合他社と区別させることを意図して、複数の商品やサービスを統一して象徴させる。元来は、所有者を示すために家畜に押した焼き印のことで、古代スカンジナビア語のbrandr(焼き付ける)に由来する。現代社会ではブランディングとして企業戦略の重要な位置に位置づけられ、消費経済の中心的存在である。これまで大ブランドが従来の中心であった、これからは地方発の中小のブランドもあってよい。成熟期を迎えた日本社会は、いま、大きな転換点を迎え、国と地方の関係が大きく変わり、地域主権を実質的なものにし、財政的自立を果たすことがいま、地域に求められている。社会は、住民サービスのきめ細かさ、地場産業の魅力、外部に発信する何らかのインパクトなどの視点で、地域を評価するようになってきた。他の地域にない、その地域ならではの独自の魅力とは何か。地域の内外から、その付加価値が問われる時代がやってきている。価値観が多様化する中で、いかに選ばれる地域になるか。そこで重要なのは、単に地域の持つ資産が豊富かどうかではなく、地域ならではの魅力的な価値を創造し、磨き上げて輝かせるという視点が重要である。そこで注目を集めているのが、地域ブランド=地ブランドという考え方である。これまでのブランド論を、地域経営・地域づくりに応用するものである。全国各地でそれぞれの地域が独自の魅力を自由に追求し、競い合ってわがまちのブランドをアピールしあう世の中へ。地ブランドは、東京一極集中から地方の時代への転換を推し進め、日本人の元気とハッピーを創造するためのキー概念なのである。地ブランドは、3つの領域で構成される。1つ目は、場に着目する観光地ブランド。2つ目が、モノに着目する特産品ブランド。3つ目が、そこに住む人、生活に着目する暮らしブランド。地域名称を付加することで、人々に「あ、いいな」とプラスの価値を想起させ、「訪れてみよう」「ちょっと傾がはっても買おう」「いつかは住んでみたい」または「やっぱり、住み続けたい」と思ってもらう。これこそが、地ブランドの最終ゴールである。そして、3つの領域の中でも、地ブランド論のベースとなる重要なものが、その地域の住民にとっての住みたい価値をあらわす暮らしブランドである。地ブランドづくりにおいては、地域の「ウチ」と「ソト」をともに巻き込むことが重要である。
9.10月13日
”百寺巡礼第三巻京都”(2003年12月 講談社刊 五木 寛之著)は、京都の十寺の巡礼記である。
五木氏は昭和7年(1932)福岡県八女市生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、1947年に引き揚げ早大露文科に学ぶ。その後9年間各種の職業を経験したのち、昭和40年にそれまでの仕事を整理してソ連や北欧に遊び、帰国後、金沢落ち着き、「さらば、モスクワ愚連隊」(昭和41年)を執筆、第6回「小説現代」新人賞を受けたのをきっかけに作家活動に入った。1981年に執筆活動を一時休止し、京都に行って京都市民になり、龍谷大学の聴講生として仏教史を学ぶ。1985年 執筆活動を再開した。京都での生活経験はもう1度あるという。当時はあまり京都の大寺院を訪ねることはなかったそうである。ゆっくり寺を回るというくつろいだ気分がまだなかったとのこと。テレビ朝日の”五木寛之の百寺巡礼”の一環でこれらの大寺院を回って、若い頃に訪れなかったことを強く悔やんでいる。目もくらむような亀裂に輝く寺、金閣寺、暗愁の四畳半でため息をつく将軍、銀閣寺、二つの巨星が出会い別れた舞台、神護寺、空海がプロデュースした立体曼茶羅、東寺、物語の寺に念仏がはじまる、真如堂、親鸞の思いが生きつづける大寺、東本願寺、信じる力が生みだすエネルギー、西本願寺、いのちの尊さを知る浄瑠璃浄、浄瑠璃寺、懐深き寺に流れた盛衰の時、南禅寺、仏教の大海をゆうゆうと泳ぐ巨鯨、清水寺である。それぞれの寺院を仏教に詳しい作家の目で鋭く捕らえている
10.10月20日
”インターネット事件と犯罪をめぐる法律”(2000年9月 オーム社刊 インターネット弁護士協議会編)は、ネットワークに関連した著名な事件やトラブルを取り上げで法律的な観点から解説している。
誰でもインターネットを使う時代になって、いろいろなデジタル犯罪が問題になっている。ネットワーク犯罪であるが、コンピュータ犯罪、ハイテク犯罪、サイバー犯罪などとも呼ばれる。ネットを使うと、被害者になるだけでなく、容易に加害者にもなりうる。ネットにおける名誉毀損、ネットにおけるフライバシーの侵害、わいせつ情報の頒布・陳列、有害・違法な情報や行為とプロバイダの責任、違法商品の販売を巡る問題、アメリカにおける違法ソフトウェアの頒布販売、オークション関係の法律問題、個人情報の保護、盗聴法(通信傍受法)問題、ネット情報を規制する法律・条例、ネットねずみ講・マルチ商法、コンピュータウイルス、インターネットと著作権などなどである。これらの事件の被害に対するバリアはあまり高くない。最終的には個々の人間の倫理や節度であろうが、もともと破壊したり侵害したりする人間は少なからず存在する。最低限は法律や条例が守ってくれるにしても、大半は侵害から守りきれないものである。本書では、諸問題について個々の事例を取り上げ、法律的どのような解決がなされたか、これを踏まえてこれからの展望はどうか、などについてコメントしている
11.10月27日
”京都人の商法”(2005年12月 サンマーク出版刊 蒲田 春樹著)は、京都人の伝統と革新を両立させるビジネス感覚に学ぶ書である。
なぜ京都には「創業百年」を超える企業が1000社以上もあり、どこも繁盛し続けていられるのか?京都人は「執着」と「割り切り」の経営に徹すると言われるのは、なぜか?京都の店が「一回のふれあいで一生の顧客」をつかむ秘密とは?京都の経営者は「京都の名所旧跡」のどんな美点で己を磨くのか?などなど。京都産業の特色をひと言でいえば、各産業分野で、それぞれ全国的な知名度をもっていながら、その産業だけでは京都を代表していないということだ、という。酒の好きな人なら京都伏見の銘酒、お茶の好きな人なら宇治茶、女性なら友禅、京染呉服、そして丹後ちりめん、先染めの西陣織、陶器では東山の清水焼など、伝統工芸の奥深さと幅広さに驚かされる。こういった多くの伝統産業から、いわゆる近代産業までそろっている。個性的な企業が集まって全体として京都産業という森を形成している。それに、老舗が多いこと、加えて成功企業が「自分だけよければよい」というのではなく、「全体のことを考え、相互扶助の精神で働き、大きな総合力を発揮している。老舗とは、「勝ち抜き、勝ち残った企業」である。新しい社歴の浅い企業の経営手法にも、老舗商法が潜んでいる場合がすくなくない、という。 京都人の黄金鉄則; ・全体ばかりを見ていても、細部ばかりでも、ものを見誤る。両方を交互に見よ ・自分の頭で考えれば「自由」が宿られ、他人の頭で考えると「窮屈」になる ・仕事のスピード追求は大切だが、そればかりでは味わいや面白みがなくなる ・仕事の余裕は、心の幅を広げ、人生の幅も、さらには仕事の幅も広げる ・すべてを伝えようと躍起になるから相手は逃げる。「書かない」「言わない」ことで伝わるメッセージもある ・たとえば人も仕事も、わからないと思えば見えなくなり、「こんなものだ」と思えば真相を見誤る。丹念に目の前の現象を見ていけば、見えない部分も見えてくる ・物事は完成したら、あとは滅びていくだけ。「まだまだ」の心意気が成長を約束する ・「同情」は自分を見失い、「共感」は他者と自分の深い理解につながる ・丁寧かつ迅速になど、「矛盾する要求」に、同時に応えられるのが真の仕事人である ・大口客も小口客も、同様に大切にできるのが真の商人である ・質と量を同時に追求できるのが、一流の企業であり、一流のビジネスマンである ・話し方、聞き方、歩き方、座り方…「方」を意識すると、人間が一回り大きくなる ・教育とは、いかに相手をほめるかの研究である
12.平成19年11月3日
時代が変わった
今回のNOVAの事件を見ていると、時代が変わったことを痛感する。事業規模の拡大を急ぐ経営が引き金となり、財務状況が急速に悪化していたようである。いまはそういう時代ではなかったのであろう。そもそも英語学校の需要はあまり拡大していないのではないか。そこに、毎年数十~百校ものペースで規模を拡大した。たしかに、英会話業界の50%超のシェアを占めるまでに急成長した。それは、駅前立地の教室や外国人講師による少人数制の語学レッスンという画期的なビジネスモデルが、ユニークな広告宣伝に後押しされ、若い世代の支持を得たからである。しかし、ここに落とし穴があった。講師やスタッフが不足してサービスが著しく低下したのだ。長期契約で割引が大きくなるボリュームディスカウントも財務体質悪化を加速した。1回分のレッスン料が1200円になる最長の契約では、ほとんど利益が上がらない構造だった、という。いったん不評が起こると一気に下方にぶれていく。4月に解約金返金で生徒側に有利となる判決が出ると、生徒離れが一気に加速した。19年3月期の最終損失は24億9500万円で2年連続の赤字となったそうである。
13.11月10日
”百寺巡礼第一巻奈良”(2003年6月 講談社刊 五木 寛之著)は、日本人のこころのふるさと、お寺を紹介するための巡礼の記録である。テレビ番組と連動しながら、シリーズが刊行された。
五木氏の百寺巡礼シリーズの第一巻は奈良であった。奈良は一巻目にふさわしい、日本のふるさとであろう。ここを舞台に、倭国王といくつかの有力氏族が中心となって大和王朝が成立したからである。五木氏は昭和7年(1932)福岡県八女市生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、1947年に引き揚げ早大露文科に学ぶ。その後9年間各種の職業を経験したのち、昭和40年にそれまでの仕事を整理してソ連や北欧に遊び、帰国後、金沢落ち着き、「さらば、モスクワ愚連隊」(昭和41年)を執筆、第6回「小説現代」新人賞を受けたのをきっかけに作家活動に入った。1981年に執筆活動を一時休止し、京都に行って京都市民になり、龍谷大学の聴講生として仏教史を学ぶ。古いインドでは、人生には、学生期、家住期、林住期、遊行期があるという。現在の私たちには、季節の流れのように順をおって人生を生きることは不可能な時代に生きているが、なにか目に見えない力が五木氏を動かして、百寺巡礼の旅は自然に始まったそうである。女たちの思いを包みこむ寺、真言宗室生寺派大本山室生寺、現世での幸せを祈る観音信仰、真言宗豊山派総本山長谷寺、時をスイングする2つの塔、法相宗薬師寺、鑑真の精神が未来へ受け継がれていく、律宗総本山唐招堤寺、市井にひっそりとある宝石のような寺秋篠寺、聖徳太子への信仰の聖地、聖徳宗総本山法隆寺、半跏思惟像に自己を許されるひととき、聖徳宗中宮寺、日本で最初の宗教戦争の舞台、真言宗豊山宗飛鳥寺、浄土への思いがつのる不思議な寺、真言宗と浄土宗の両宗並立當麻寺、日本が日本となるための大仏、華厳宗大本山東大寺が紹介されている。
14.11月17日
”フランス発ポストニューエコノミー”(2002年12月 彩流社刊 瀬藤 済彦著)は、フランス型資本主義の変貌を内側から見た書である。
著者は1945年生まれ、複数国のジェトロ事務所で働き、各地の事務所長を経験。1960年代には、経済面でも日本はフランスに多くのことを学んだ。世界の資本主義経済は、景気後退、経済成長の鈍化だけで説明できない不確実性の時代に突入し、ドラッカーが言った断絶や不確実性よりも、もっと深刻な不安に入ったいま、また官僚たちの共和国フランス経済のしたたかさを学ぶ時がやって来たのではないか、という。フランスではフランス資本主義を主導する官僚出身の若き産業エリートたちの行動が注目されている、という。国立行政大学校(ENA)出身者で、通称「エナルク」と呼ばれるエリート官僚集団である。彼らは予想を越えて企業家精神に富み、そのグローバルな国際経営戦略は世界を驚かせるものだったとのこと。重厚長大型の大企業やニュー・エコノミー産業だけではなく、大統領府、首相府、大臣や長官といった官房の重要ポストのすべて、そして立法府である国民議会の3割以上の下院議員、内閣閣僚の半分位までをも占めるまでになったそうである。新たな産業国家・欧州版の誕生である。フランス経済については、日本ではその新しい現実が語られていない。経済と言えば、アメリカであり、台頭著しい中国であり、ヨーロッパではドイツ、こういう単純な方程式しか存在しないようでさえある。これに対し、フランス経済は日本の資本主義モデルとの共通点がもっとも多いのではないか、という。資本主義体制モデルの国際競争のような様相を呈してきた中で、ドイツや日本のライン型モデルのつまずきや、スウェーデンやオランダの北欧社会民主型モデルの頓挫、エンロン事件以降のアングロ・サクソン型モデルの混迷を見ていると、そのいずれにも属さない、いわば例外の変わりもののフランス型モデルがいま注目する時ではないか、という。
15.11月24日
”百寺巡礼第二巻北陸”(2003年9月 講談社刊 五木 寛之著)は、日本人のこころのふるさと、お寺を紹介するための巡礼の記録である。テレビ番組と連動しながら、シリーズが刊行された。
五木氏の百寺巡礼シリーズの第二巻は北陸であった。北陸と言えば、真っ先に浮かぶのは道元禅師の永平寺である。五木氏にとって北陸は第三の故郷といっていい土地である。北陸へむかうことはごく自然な成りゆきだったようである。生まれ故郷は九州の筑後地方、育った故郷は朝鮮半島、青春後期から新人作家としての日々を過ごしたのが金沢だった。五木氏は昭和7年(1932)福岡県八女市生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、1947年に引き揚げ早大露文科に学ぶ。その後9年間各種の職業を経験したのち、昭和40年にそれまでの仕事を整理してソ連や北欧に遊び、帰国後、金沢落ち着き、「さらば、モスクワ愚連隊」(昭和41年)を執筆、第6回「小説現代」新人賞を受けたのをきっかけに作家活動に入った。1981年に執筆活動を一時休止し、京都に行って京都市民になり、龍谷大学の聴講生として仏教史を学ぶ。北陸の10の寺は、いくつかをのぞいてはじめて訪れる町や寺が数多くあったそうである。寺を通して、日本というもの、日本人のこころというものが、むこうから近づいてくるような感じがしたそうである。北陸からの眺めは、大和国のまほろばから眺めたこの国と異なる世界が、はっきり見えてきたように感じたとのこと。茅葺き屋根にこめられた信心、新巻山真宗大谷派阿岸本誓寺、城のような寺と異色の画家、金栄山日蓮宗本山妙成寺、罪を洗い流し生まれ変わる寺、自生山真言宗別格本山那谷寺、現代人のこころを癒す修行道場、東香山曹洞宗大乗寺、壮大な鉛瓦とつつましやかな花々、高岡山曹洞宗瑞龍寺、門徒の寺内町から工の門前町へ、杉谷山真宗大谷派瑞泉寺、生活こそは修行という道元の教え、吉祥山曹洞宗大本山永平寺、蓮如がつくりだした幻の宗教都市、吉崎御坊、武人の祈りが胸に迫る寺、棡山真言宗御室派明通寺、神と仏が共存する古代信仰の世界、霊応山天台宗神宮寺が紹介されている
16.平成19年12月1日
サブプライムローン
サブプライムローンの背景には、アメリカの景気の後退が存在しているようである。サブプライムローンは年利10%を超える高利の住宅ローンで、住宅価格が上昇し続けていない限り成立しない。2006年に米住宅市場の軟化に伴って延滞率が上昇した。そして、一部住宅金融専門会社が経営不安に陥った。2007年に大手金融機関の決算内容に、サブプライム関連資産が不良債権化していることが分かった。そして、サブプライムローンを担保とする低格付けのABS市場が混乱した。この時点ではまだ、損害は償却可能な範囲であると楽観的であった。しかし、ABSファンドでの損失発生に端を発して、クレジット市場全体が急落する事態が起こった。ファンドの信用状態が悪化すると、借金を返すために資産の換金売りが行われる懸念が起きた。融資によって投げ売りそのものは回避されたが、クレジット市場の動揺は続いた。そして、大手格付け機関S&PとMoody'sが相次いでAAA格相当のABSの格下げの可能性を公表した。投資家からは売り殺到になり、クレジット市場全体でパニック売りが襲った。これが原因になって、株式市場に混乱が伝播して行った。今回の株式市場の急落は、時代が変わったことを示している気がする。
17.12月8日
”日本・経済の夢”(2002年12月 丸善出版部刊 北澤 宏一著)は、日本という国について多数の客観データをもとに考察した書である。悲観的観測とはまったく違った日本のイメージが浮かび上がってくることに気づいた、という。
北澤さんは1943年生まれ、2002年まで東大教授、専門はMIT材料・冶金。私たちはこれまで、根拠のない憶測におびえすぎて、いたずらに自信を失いすぎている、という。背景には、日本の子供たちが夢を語らなくなり、若者たちがなぜ夢をなくし、失われた1990年代があったからである。しかし、現在の日本の状況を客観的にながめると、世界の国々から見てみたらこんなうらやましい国はなく、自信を喪失する理由などどこにも見当たらないとのこと。これまで産業空洞化に脅えすぎたが、海外雇用の拡大は国内失業率と無関係である。日本のライフラインは輸出と輸入の関係になり、輸出を支えているハイテクと高信頼性から、輸出はむしろ増えている。ただ、国際競争力を失った製品と台頭する製品があるのである。国際競争力におけるライバルはむしろ国内にある。日本のしなければならないことは、20世紀の日本人が頑張って達成した生産性向上の果実をご褒美として収穫することだ、という。果実を第4の価値と呼び、第4次産業を想像せよ、という。それは21世紀日本の生きかたであり、アイデンティティそのものである。有限な地球を踏まえ、こころの豊かさを求める21世紀型日本人がプロデュースする夢である。第4の価値の中に夢を設計し、実現に向けた仕組みを作るのである。その1つとして、超伝導ケーブルを地下に埋め、地球のあちこちをつないでいき、いずれは自然エネルギーで世界のエネルギーのすべてをまかなうことや、リニアモーターカーで地球ネットワークを作ることなどがある。
18.12月15日
”人間関係”(2001年1月 新読書社刊 高橋 さやか著)は、人間関係とそのあり様について書かれたものである。
生理・生態学、心理学、教育学はもとより、自然料学・社会科学のすべて、そして芸術も宗教も、人間関係に拠らないものはない。人間はさまざまである。人間は百人百様で、社会ではそういう人達が向き合って暮らしている。よい人間関係が形成できることもあれば、そうでないこともある。人間が人間であること。そして人間になりつづけることは、人間と人間とがかかわりあいの中で、かかわりあいに於て、を外しては成り立ち得ない。人間は人間関係の中で、人間関係をもつことに於て、人間であり人間になり成人するものである。人間を見定めることは、人間関係を見定めることから出発しなければならない。そう言っても、人間関係は、際限もなく多岐多様な側面をもち、もつれあい、重層をなしていて、視点の定め方、手のつけどころも俄かには求め難い。そこで、人間関係について、そのあり様を捉え、改めて、人間の、人間としての生命力を更新するために、何を自覚し如何に行動・活動しなければならないか、その追求とり組みのいとぐちを、これまでにかなりにまで知られている関連ジャンルごとに視座を定めてときほぐそうとしている。具体的には、人間関係の心理学、人間(人格)形成と人間関係、人間関係の教育学、社会組織・構造と人間関係、言語コミュニケーション論など、多面的な角度から人間関係のあり様について触れている。
19.12月22日
この冬は値上げラッシュである。原油や大豆、小麦などの価格上昇による生活必需品の値上げが広まっている。レギュラーガソリンの店頭価格が、1リットル当たり前週比0・6円値上がりし、155・5円となった。2週連続での最高値更新となり、昭和62年の調査開始から初めて155円を突破した。灯油も18リットル1755円と前週から20円値上がりし、6週連続で最高値を更新した。原油高の背景は様々だが、最も端的なのは需要拡大で、中国をはじめとした成長国で原油需要が急増していることが大きいようである。また、投機筋による先物買いの影響しているそうである。このため、電気料金、飛行機燃料特別付加運賃、クリーニング代、船賃などが値上げされた。原油高で代替燃料開発に拍車がかかり、トウモロコシ需要が逼迫し、他の作物からの転作が増え、大豆やオレンジなどの価格も高騰した。これに関連して、トウモロコシなどをエサとして使う豚肉や鶏肉の価格も高騰し、めぐりめぐってハムもカップラーメンもお菓子までもが実質値上げになってしまった。今後も中国の穀物輸入大国化もあり、穀物や食品原料の価格は高止まりしそうである。
20.12月29日
2008年の経済
2008年の日本経済については、良い悪い両様の見方がある。はたしてどっち?ドイツのハンデルスブラット紙によると、「米国経済が倒れたとしても、日本への影響は軽微。むしろ、アジアからの需要増と、これまで不振だったゼネコン勢が2008年初頭より盛り返すことで、一気に日本マーケットは活況となる」という。一方、いわゆる破壊ビジネスのかつての立役者たちの多くは、「日本はこのまま行くとダメだ。構造改革の結果、格差社会が生まれたというが、だからといって昔のバラ撒き型の政治に戻って良いはずがない。財政赤字はもはや天文学的数字にまで膨れ上がっている。経済は停滞し、インフレではなく、デフレがいつまでたっても続いている。必要なのは政府による規制を撤廃すること。規制改革、構造改革しか、日本が生き残る道は無い」という。日本ではいわば「何でもアリ」の状況が到来する可能性が高いようである
21.平成20年1月5日
波乱の幕開け
1月4日の東京株式市場は日経平均株価が一時、昨年末比765円安まで急落し全面安だった。大発会としては2001年以来7年ぶりにマイナスで、下げ幅も大発会では過去最大であった。ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均が、米経済の先行きに対する不安から大幅に反落した影響が大きい。原油先物が1バレル=100ドルに達し、為替も海外市場で一時1ドル=108円台を付け、サブプライムローン問題も尾を引くなど、今年は何でもありの予感がある。個人消費への影響が懸念され、景気の先行きは不透明である。日本はゼロ金利政策という緊急入院の状態から脱し、一般病棟に移った段階であったが、普通の状態に戻る時期はしばらく後になりそうである
22.1月12日
”中国がアメリカを超える日”(2006年9月 ランダムハウス講談社刊 Ted C.Fishman著 仙名 紀訳)は、ニューヨーク・タイムズ・マガジン、USAトゥデー、エスクァイア、CQなど数々の新聞・雑誌に寄稿するジャーナリストの著者が、現場感覚にあふれた中国の脅威を報告している。
「世界の工場」と呼ばれるようになった中国は、廉価な製品の輸出によって他国の現地産業を圧迫している。2005年に中国の貿易黒字が1000億ドルを突破したが、それまでは1998年に435億ドルになったのが最高であった。2000年以降は輸出が30%伸びれば輸入も30%伸びるというように輸出入がほぼ平行した伸びを示してきたため、貿易黒字は200~300億ドルであった。しかし、2007年はついに、前年比47.7%増で、貿易黒字は2622億ドルになった。世界一になった可能性があるようである。1人当たりの経済指標はまだまだであるが、グロスの経済指標では大きな成長をとげている。少し前、”中国が日本を超える日”という本があったが、現実のものになりつつある。次はアメリカを超える日であろうか。本書は米国人ジャーナリストが、現場を取材した報告を交えて、中国の衝撃を詳細に報告している。精度には問題点もあるようであるが、傾向としては、注目に値する内容がある。
23.1月19日
アメリカの緊急経済対策が景気浮揚に不十分と受け止められて売りが優勢となり、4日続落となった。アメリカは景気後退期に入るのであろうか。メリルリンチが1.7兆円の損失を出したそうで、サブプライムローンの傷はずいぶん深かったようである。2007年第4四半期で、23億4600万ドル(約2500億円)の黒字から98億3300万ドル(約1兆500億円)の赤字に転落したそうである。サブプライムローン関連の評価損など追加損失は、158億ドル(約1兆6900億円)だったとのこと。米金融大手10社の第4四半期の損失総額は、第3四半期の倍の600億ドル超に膨らむ見込みになった。損失額が拡大したのは、信用不安が長引いて証券化市場が冷え込み、値下がりした証券化商品を売ろうにも売却先が見つからない状態が深刻化したためのようである。信用不安は続くのであろうか。住宅価格は下がり続けるのであろうか。まだ底を打ったという見方は少ないようである。景気が悪化すれば、クレジットカード業務などにも返済の遅延が広がりかねない。中小企業向け融資などにも悪影響が出て、貸し倒れ損失が急増する恐れもある。先行きはどうであろうか。第1四半期には現在より10%程度下落するが、年後半には2ケタ%のV字回復をする、という見方もある。そうなってもらいたいものである。
24.1月26日
”この国を、なぜ、愛せないのか”(2006年5月 ダイヤモンド社刊 櫻井 よしこ著)は、週刊ダイヤモンドの連載を本にしたもの。日本は、公正かつ公平な目で見つめ直すことにつながる新しい歴史認識を模索する姿勢を持つべきだという。なぜ、私たち日本人は、この国を愛せないのか。
櫻井よしこさんは、ベトナム生まれ、ハワイ州立大学歴史学部卒業。クリスチャン・サイエンス・モニター紙東京支局員、アジア新聞財団「DEPTH NEWS」記者、同東京支局長、日本テレビ・ニュースキャスターを経て、現在はフリー・ジャーナリスト。グローバルな視点でものごとを見ている人である。公正かつ公平な目で見つめ直すことにつながる新しい歴史認識を模索する姿勢が、はじめて米国に生まれつつある、という。知的作業を経てはじめて、日本は、一方的に戦争を引きおこした邪悪な国という、不当かつ不名誉な烙印を返上することができる。どれほど衝撃的であろうと、それが事実であると信ずるに足る情報ならば受け入れて、新事実に基づいて歴史を見直す作業は、本来ならば、誰よりも先に日本人が行なわなければならない。こうした作業を行なうには、しかし、知性に加えて、愛国心が欠かせない。真の教養を身につけた知性の人であり、私利私欲を離れてこの国を愛することのできる人、熱い祖国愛を胸の底にしっかり抱いている人でなければ、日本国の本当の姿を見つけ出すことはできないだろう。過去の歴史の常識に浸り、反省と謝罪を繰り返せばよいとする知的怠惰に身を任せる安易な生活のなかからは、真実を見詰める日は育たない。商売だけ、経済だけを考える風土からも、真実に目を開き、新しい価値観を構築する勇気は育たない。だからこそ、私たちすべての日本人は、今、己れ自身のなかの怠惰なる精神の残影を振り払うために、気迫をこめて、己れに問わねばならない、という。
25..平成20年2月2日
アメリカの景気
商務省の発表では、2007年第4四半期の実質国内総生産伸び率は年率0.6%にとどまり、前期の4.9%増を大きく下回った。市場の予想は1.2%増であったが、これも下回った。第1四半期の0.6%増以来の低成長である。住宅市場が落ち込み、この影響で消費も減速し、景気後退懸念が一段と高まっているようである。一方で、個人消費支出物価指数は年率3.9%上昇した。エネルギーと食料品を除くコア物価指数は、2.7%上昇であった。インフレ圧力が高まっている。労働省が発表した1月の雇用統計は、景気動向の指標である非農業部門就業者数は前月比1万7000人の減少に転じた。就業者数の減少は2003年8月以来、4年5カ月ぶり。市場予想は7万人増であった。2008年は、アメリカ経済の成長は実際の潜在能力を下回る可能性があるものの、景気が後退することはない、という見方もあるが、サブプライムローンの傷はやはりかなり大きいのかもしれない。
26.2月9日
”たべものことわざ辞典”(2005年4月 東京堂出版刊 西沢 裕子著)は、暮らしの中で語り継がれてきたことわざ・慣用句約2000が収録されている。
著者の西谷裕子さんは、1948年愛知県生まれで、教職、出版社勤務を経て独立し、主に辞典・事典の執筆・編集に携わる。食は命の親、たべものは人間にとってもっとも身近なものである。ことわざも実にたくさんある。
・薊の新芽を食うと鹿の角が落ちる
・朝茶は七里帰っても飲め
・青田から飯になるまで水加減
・網代の魚
・赤子と搗きかけの餅は手荒いがよい
・秋のあらと娘の粗は見えぬ
・秋のぼたいっさき
・粟とも稗とも知らず
・・・・・・
暮らしの中で語り継がれてきたことわざ・慣用句約2000が収録されている。巻頭に事項別分類目次はありとても便利である
27.2月16日
”駄菓子屋横丁の昭和史”(2005年8月 小学館刊 松平 誠著)は、川越の駄菓子屋横丁の経緯と駄菓子のあれこれを紹介している。
川越菓子屋横丁は、ハッカ飴、駄菓子、だんごなど、色とりどりの飴や駄菓子、名物の長いふ菓子、香ばしいだんご、川越特産のいも菓子などが並ぶ。玉力製菓、かとう、田中屋(駄菓子の資料館)、松本製菓、吉岡民芸品店、小江戸茶屋、松陸製菓、塩野、横丁庵、かわしま屋、室岡製菓、吉仁製菓、稲葉屋、ふたみ、岡野屋、池田屋本店、都屋製菓、小松屋製菓、若松屋である。この界隈は、明治の初め鈴木藤左衛門がこの地に住んで、江戸っ子好みの気どらない駄菓子を製造したのは始まりといわれ、江戸時代には、養寿院の門前町として栄えた。明治の後半からは、のれん分けにより店の数も次第に増え、大正時代に入ってからは菓子問屋の多かった東京の神田・浅草・錦糸町などが大正十二年の大震災で焼失してしまった影響を受けて、川越の菓子製造業がより盛んになっていった。最盛期には、七十余店が軒を連ねシソパン・千歳飴・金太郎飴・麦落雁・水ようかん・かりん糖など、数十種類の菓子が製造されていた。なつかしい、ふるきよき時代の香りが味わえる。
28.2月23日
”人の10倍仕事をやり抜くメンタルトレーニング”(2003年6月 日本実業出版社刊 内海 英薄著)は、日米資格4冠王メンタルなノウハウの本である。
内海英博さんは1965年生まれで、1987年、公認会計士2次試験合格。1988年東京大学法学部卒業し、監査法人勤務。1991年公認会計士3次試験合格し、公認会計士資格取得。1993年、司法試験合格。1996年、弁護士登録。2000年、ハーバード大学ロースクール卒業。2001年、ニューヨーク大学ロースター国際租税法課程卒業。日米の資格4冠を手にして、現在、日本の大手国際法律事務所に勤務。最後まであきらめない心が成功への分岐点という。仕事が″できる人″になるにはどういったメンタル面の心構えが必要なのかを、著者の苦難の体験から書いている。中学生になるまで外国人をみたことがないような片田舎で生まれ育ち、決して恵まれた家庭環境だったわけではない。一時は数千万円の借金を背負い、5年に及ぶ借金地獄を味わった。借金取り立てにおびえ電話恐怖症になり、「もう死ぬしかない」と一時はそんなことばかりを考えていたが、ある本との出会いから、メンタルトレーニングの重要性に気づいた、という。暗中模索のなかで自分のネガティブな心と対時しているうちに、「ネガティブに行きがちな精神状態をどうやってポジティブにもっていくか」を考え続けたそうである。必死にもがき苦しむ日々を乗り越えるうちに、日常やるべきことをある程度効率的にこなすとともに、自分のもっている実力以上のものを「ここぞ!」という場面で発揮できるようになった、とのこと。願望がかなうかどうかはほんの少しの違いでしかなく、その人のメンタル面の状態次第で人生はいかようにも変えられる、という。メンタルトレーニングで得た「気づき」を仕事面でも実践し、試行錯誤して編み出した独自の仕事術・自分管理術を公開している。ビジョンの設定と軌道修正、アイデアの出し方から情報活用術、ポジティブ思考と自己コントロール、時間管理術&エネルギー活用術等のテーマを設けながら、人の10倍仕事をやり抜くにはどういったメンタル面の心がけが必要か、また、顧客相手の大事なプレゼンテーションや昇進試験等の「ここぞ-」というときに、自分の力をどうやって発揮するか、について役立つと思われることが紹介されている。
29.平成20年3月1日
”年金を問う”(2004年3月 日本経済新聞社刊 日本経済新聞社編)は、いまや大多数の人にとって大きな関心事である年金への素朴な疑問に正面から答えることを狙いとした本である。
このところ、年金に関する問題がいろいろある。気がつけば、日本の年金は不公平のデパートになってしまった。保険料を負担する現役若年層と年金を受け取っている高齢層との不公平、会社員と自営業者との不公平、働く女性と専業主婦との不公平などなど。国民皆年金が制度として確立して、すでに四十年以上の歳月が経過した。皆年金ができたとき、日本経済は高度成長のうねりがしだいに高まり始めていた。男性学卒者は正社員として企業に雇われ、女性は一時的に勤めることがあっても結婚後は専業主婦として内助の功に徹する人生を送るそういう人が圧倒的に多かった。その後、経済の成熟化、企業の報酬体系や福利厚生の見直し、会社員の働き方の多様化、家族中心主義から個人単位へという社会の流れがあり、時代が大きく変わった。原則として5年に一度の年金改革が繰り返されてきたが、バッチワークの繰り返しであった。少子・高齢仕様にするためには、土台から基礎工事をやりす本物の抜本改革にしなければならない。年金の問題を年金制度の内側だけで解決することは限界にきている。高齢者医療や介護の問題、税制の問題など、隣接する政策分野の接合面を重視して改革に取り組まなければならない。
30.3月8日
どうなる日銀総裁
日本銀行は発券銀行として日本銀行券の発行および管理を行い、公定歩合を操作し、公開市場操作を行い、金融政策を実施し、通貨流通量を調整して、物価と国民経済を安定させる役割である。日銀総裁はそのトップとして、日本経済に与える影響はきわめて大きい。役員として、総裁1人、副総裁2人、審議委員6人、監事3人以内、理事6人以内、参与若干名が置かれる。総裁、副総裁、審議委員は、衆参両議院の同意を得て内閣が任命する。監事は内閣が任命する。理事、参与は政策委員会の推薦に基づいて財務大臣が任命する。総裁、副総裁、審議委員の任期は5年、監事、理事の任期は4年、参与の任期は2年である。問題は衆参両議院の同意が必要なことで、1院が不同意であれば役員は決まらない。民主党は、政府が国会に提示した日本銀行の正副総裁人事案について、衆参両院本会議での採決を求めることを決めた。武藤敏郎副総裁の昇格案は不同意とする方針である。副総裁候補の白川方明・京大大学院教、伊藤隆敏・東大大学院教授については、同意も視野に検討する。野党が優位の参議院で同意が得られなければ、総裁の空席が考えられる。財政と金融がつながってしまっているところに、この国の大きな問題が潜んでいる。財政と金融は切り離されてしかるべきだという議論が党内には大変強い、という。はたしてどうなるのであろうか。
31.3月15日
”成果主義の真実”(2006年3月 東洋経済新報社刊 中村 圭介著)は、さまざまな企業での賃金制度と仕事管理の調査に基づいて、成果主義がどのように運用されているのかを明らかにする。
成果主義は、ある一定の課題の評価について、最終的にその課題がどうなったかという点を重視する考え方である。過程、努力、能力、実力などよりも、成果を出すことに重点がある。日本ではこれまで、成果を出す人は能力も高いという考え方が根強くあった。しかし、能力主義は結果に結びつかない潜在能力をも評価対象にするので、成果主義とはまったく異なっている。人事考課上の成果主義は、従業員など個人の仕事の成果を昇進や昇給の基準とする。一定の職務をこなすことができる能力を基準とする職能主義と対比される。年功序列制度は職能主義を前提にしていることが多いため、成果主義の反対概念と捉えられることが多い。かなりの企業で成果主義を人事評価に取り入れてきたが、拙速な導入にともなう問題や、成果主義に伴う問題があり、2000年頃から成果主義の見直し・調整の動きが進んでいる。成果主義は救世主でも疫病神でもない。成果主義をどう見るか、いろいろな成果主義、成果を生み出す仕事管理 、新しい人事管理論、人事を変える成果主義などを通じて、日本の企業で成果主義はどのように運用されているのかを明らかにする。多くの企業では成果を1ヶ月~半年程度の期間毎に評価するため、期間内に確実に成果を出せる課題が優先され、長いスパンで取り組むべき課題やプロジェクトが軽視・忌避される傾向がある。業績が一時的には上がるものの、長期的に見た場合、競争力が基礎的な部分から失われてゆきジリ貧傾向になっていく。また、長期プロジェクトへのノウハウが社内から失われる。人間が人間を評価するものである以上、業務上の考え方の対立などから上司など評価する側との人間関係に齟齬が起きると、これにより不当に評価を落とされるなどの問題が発生する。職能主義よりも低評価が解雇に直結しやすいだけに、評価される側にとっては人間関係の問題はより深刻なものとなる。
32.3月22日
”コーチング・マニュアル”(2005年6月 ディスカヴァー・トゥエンティワン刊 ソープ&クリフォード著 コーチ・トゥエンティワン監修 桜田 直美訳)は、コーチングを行うために必要な知識とスキルが凝縮された実践ガイドである。
コーチングを一言で言うと、人を育てるための一つの方法である。スポーツの技能向上、プログラミングのスキル向、ビジネスの営業力や専門能力の向上、精神面での成長などに有益である。コーチングではモチベーションを重視し、人が自ら学習し育つような環境を作り出し、個人をのばし、自ら問題を解決していけるようになることを目的としている。コーチ次第で、スポーツ選手は大きく育ったり潰れていったりするようである。コーチングは、人材開発のための技法のひとつで、コーチングを受ける人を目標達成に導くことを目的にしている。現在では、交流分析や神経言語プログラミングなどの心理学的手法を取り入れて、ビジネスや個人の目標達成の援助にも応用されている。本書では、コーチングについての基礎知識を固めることに始まり、コーチングの手順と必要なスキル、エクサイズに到るまで、分かりやすく、具体的に書かれている。コーチングの全過程と必須スキルがわかる、すべてのコーチ必携の実践ガイドで、コーチングプロセス、コーチングスキル、コーチングエクササイズの3部構成で、コーチング実践におけるあらゆるエッセンスをまとめている。コーチング導入を考えているマネジャー、リーダーのための入門書として、またプロフェッショナルコーチのチェックリストとして活用できそうである。
33.平成20年4月5日
”それでもお金がたまる人やっぱりたまらない人―「たまる人の家計簿」、見てみませんか?”(2005年10月 主婦の友インフォス情報社 /主婦の友社刊 丸田 潔)は、 お金が貯まる人と貯まらない人の、ほんのちょっとした違いを紹介している。
まだまだ不況の世の中で物価が高騰していて、お金のやりくりは誰でも頭が痛い。しかし、それでもお金が貯まる人がいる。自分でも気づかないうちに、お金が残らない習慣が身に付いてしまっているかも知れない。著者の丸田潔さんは、1952年生まれの、ファイナンシャルプランナー・AFPである。1976年早稲田大学第一文学部卒業し、編集プロダクション勤務を経て1990年フリーに。マネーライターとして生活情報誌、主婦向け雑誌、マネー誌などで活躍。著者が、いままで出会った5人の凄腕「たまる人」を徹底取材している。
第1章 手取り年収560万円。それでも結婚10年で貯蓄額が5000万円を突破
第2章 33歳で資産総額4300万円。彼こそまさに、資産運用の達人
第3章 怒濤の「繰り上げ返済」で35年の住宅ローンを5年で完済!
第4章 趣味に生きてもマンションを買ってもお金がたまる、年収540万円の「たまる人」夫婦
第5章 投資で財産を築いて50歳前に仕事をリタイア。海外で極楽生活を送る、投資の達人
第6章 「たまる人」はここが違う/第7章 だからあなたは、やっぱり「たまらない人」/たまる人の実例から学ぶ、小金持ちへの道。
それぞれのたまる秘密を家計簿や資産表とともに紹介し、たまる秘訣を分析している。
34.4月12日
日銀総裁は決まったが
日本銀行は発券銀行として日本銀行券の発行および管理を行い、公定歩合を操作し、公開市場操作を行い、金融政策を実施し、通貨流通量を調整して、物価と国民経済を安定させる役割である。日銀総裁はそのトップとして、日本経済に与える影響はきわめて大きい。役員として、総裁1人、副総裁2人、審議委員6人、監事3人以内、理事6人以内、参与若干名が置かれる。総裁、副総裁、審議委員は、衆参両議院の同意を得て内閣が任命する。衆参両議院の同意が必要で、1院が不同意であれば役員は決まらない。民主党は、政府が国会に提示した日本銀行の正副総裁人事案について、武藤敏郎副総裁の昇格案は不同意として、日銀総裁のポストが空白となった。副総裁候補の白川方明・京大大学院教授については同意した。その後、政府が4月7日に提示した白川方明日銀総裁候補(日銀副総裁)と渡辺博史副総裁候補(一橋大大学院教授・前財務官)の正副総裁人事案について、民主党は、白川総裁の昇格には同意したが、渡辺副総裁については不同意であった。4月8日には、白川方明総裁代行のもとで初めての金融政策決定会合が開かれた。ただ、白川氏は参院での所信聴取後に途中から出席し、それまでの会合の議長は西村清彦副総裁が代理で務めたという。日銀は政治に振り回され、変則スタイルを余儀なくされた。一方、この間、企業の景況感は大幅に悪化しており、日銀の今後が注目される。
35.4月19日
”「働く」を考える”(2003年5月 ぺりかん社刊 梅澤 正/脇坂 敦史著)は、これから職に就こうという若い人たちに、生きること、働くことに関してあれこれ考え、自分の将来に思いをめぐらせる書である。
どんな人でも、自分のできる範囲で「よりよい仕事」をしたいと願っている。けれども「よりよい仕事」の基準の多くは、他人による、そして社会による評価でもある。だとすれば、「よりよい仕事」をするためには、主体的な個人の確立と、広い社会へのかかわりの両方が必要なのは当然のことといえるであろう。いま、社会のしくみはものすごいスピードで変わりつつあるが、なかでも大きく変化しそうなのが、会社をはじめとする団体や組織と個人の関係、そのあり方であろう。命令どおり、言われるとおり真面目に働いてさえいれば、あとはいつかその会社が十分な報酬をくれるだろうと信じられた時代がかつてあった。しかし、雇用や賃金に関する制度が大きく変わりつつあり、それとともに個人の意識も変化が求められている。個人として職業についてしっかりした考えをもつことは、会社が従業員を雇うさいに求める重要な要件にもなつている。自分の職業に責任をもてない人、就職さえできれば後は何でもよいと考えている人、そういう人は必要ない、と多くの会社が考えはじめている。
第1章 どんな人生を送りたいですか 人生において何をめざしますか・どんな生き方、
暮らし方を望みますか・どのくらい社会を意識していますか・仕事と余暇をどう考えます
か
第2章 職業ってどんなものでしょう 職業の意義は何だとおもいますか・よいイメージ
の職業はどれ?・どんな職業に興味と関心がありますか・どんな職業コースをのぞんでいますか
第3章 私ならこんなふうに働きたい 自分の持ち味は何でしょうか・人間関係をどう見
ますか・望ましい勤務先の条件は?
職業ガイド
36.4月26日
”「へんな会社」のつくり方 ”(2006年2月 翔泳社刊 近藤 淳也著)は、アンダー・サーティ世代の雄、はてなの近藤社長がCNETで連載した記事にインタビューや解説を追加したもの。
独特の開発方針やユーザーコミュニティ運営によって変な会社と称される「はてな」の新しい会社運営手法や経営哲学などを、急成長する次世代ウェブサービスベンチャーの秘密を明らかにする。近藤淳也氏は、1975年生まれ、三重県出身、京都大学理学部卒で、2000年に京都大学大学院中退後、スポーツカメラマンなどを経て、2001年7月に「人力検索はてな」を開始し、有限会社はてなを京都で設立した。「はてなアンテナ」や「はてなダイアリー」が好評で、2004年2月に株式会社化し、4月に東京に移転した。ポストヒルズ族の、アンダー・サーティ世代の技術志向型ITベンチャーの旗手として注目されている。「はてな」は、まだ創立6年の若い会社で、ちょっと変わった会社経営の工夫がいろいろ公開されている。立ったままで会議をする、ミーティングをポッドキャスティングする、フリーアドレス化、開発合宿、出張オフィスなどで固定化したオフィス環境を徹底して排除する、ユーザーからのバグ報告までもコンテンツとして流通させる、サービスを50%の完成度でリリースする、社員全員が自転車通勤、などなど。サービスの独自性と経営のユニークさがとても面白い。
はじめに インターネットは知恵の増殖装置
PART 01 情報を共有する 世の中は“でたらめな仕組み”で動いている あなたと私の情報を共有する 社内で情報を共有する仕組み
PART 02 仕事をする場所 開発者が楽しく仕事できる環境 連続的な開発と非連続的な開発 いろいろな試み まっとうな意見が通る組織に 自転車とインターネット
PART 03 ユーザーとともに ユーザーとともにサービスを開発する 50%の完成度でサービスをリリースする ユーザーの要望を知る コミュニティ運営上のさまざまな問題
世界中の意識をつなげるインターネット
PART 04 はてなの周縁から 「へんな会社」で働く社員の告白/水野貴明 近藤淳也インタビュー/松永英明
あとがき 18歳の自分に向けて
近藤淳也のハイリスクで魅力的な二面性/梅田望夫
37.平成20年5月3日
"タイミングのいい人悪い人"(2001年8月 日本実業出版社刊 山形 琢也著)は、経営コンサルタントの著者が要所でチャンスを逃さないコツを伝える。
後から思えば、ああしておけばよかった、ということがいくつもある。同じことが、タイミングひとつで吉と出ることもあれば凶となることもあるからだ。何ごともタイミングひとつで、成否が違ってくる。万全の準備をしてもタイミングが狂えば、すべてが水泡に帰すことも少なくない。タイミングって難しい。下手をすれば失敗にもつながりかねない。日ごろから運のよい人と悪い人がいるが、運のよいといわれる人も何もしていないわけじゃなく、努力やちょっとしたコツなど人知れぬ秘訣を持っているようである。このタイミングの取り方もその人知れぬ秘訣のひとつではないか。タイミングを知るために必要なものは何かといえば、経験と知恵である。その前提に、状況判断力、決断力、行動力がなければ意味はない。そういうものを含めて、経験と知恵の凝縮した眼を持つ者だけがタイミングを察知できる。しかし、経験と知恵に勝る者だけが、グッド・タイミングをつかむことができるのかと言えば、そうでもない。タイミングは、経験と知恵を超えた別の要素を持つ者に味方するということがあるようである。たとえば情熱とか信念といったものだ。タイミングを大切にする人は、間違いなく人生の勝利者になれる。天に味方される人になろう。
人間の迫力と自信がグッド・タイミングを引き寄せる
常に相手が何を望んでいるかを考える習慣をつけよう
勇気と実行力が時の利(天の味方)を呼び込む
運や偶然に頼るな、それではタイミングはつかめない
アンテナを高く張り情報をつかむ努力を惜しむな
待つだけでなくタイミングを仕掛けてつくりだせ
教育・指導はタイミングを考えて行なえば効果が倍増する
人間カを高めれば周囲がグッド・タイミングで応えてくれる
ささいなことにも気づくカを身につけよう
時には最高のタイミングの演出も必要だ
38.5月10日
”2015年アジアの未来”(2006年6月 東洋経済新報社刊 日本貿易会特別別研究著)は、2015年のアジアの未来予想図を描き、アジアに生きる日本の課題と解決策を考察している。
昨今の世界経済情勢は、注目の、ブラジル、ロシア、インド、中国をはじめ、今後も高成長が期待される新興市場が経済的に台頭することにより、ますます世界経済が拡・発展していくことへ期待が高まっていた。そこに、サブプライムローンの問題をきっかけとしたアメリカの景気の減速とともに、世界同時不況の入り口にあるような気もする。また一方では、恒常的な問題として、資源・エネルギー価格の動向、環境への負荷、農業問題など、想定されるさまざまなリスク・ファクターが存在している。石油や食料の高騰は、少し前までは、これほどとは想定されていなかった。リスクは成長を阻む要因になりかねないため、有効と考えられるソリューションが必要である。アジアのサステナブルな経済発展の可能性について、そのポテンシャルの高さを疑う人は少ない。しかし、その反面、アジアは持続的に経済成長を遂げる上で、資源争奪、政治的リスク、環境破壊、食糧危機など、多くの脆弱性を抱えている。今後、人口減少という戦後まったく経験が無い事態が起こる日本について、明確にわれわれの進むべき進路を指し示してくれるものはまったく無い。日本はエネルギー資源の高騰や環境問題など、アジアの抱えるさまざまなリスクを共有すると同時に、日本固有のリスクに直面することになるため、日本は、アジアのリスクを解決し持続的成長をサポートし、更にアジアの持つポテンシャルの高さを活用する方向でしか日本にとってのソリューションはあるまいという。
39.5月17日
”詩仙堂”(1995年1月 淡交社刊 水野克比古/石川順之著)は、写真を水野克比古、本文を石川順之で構成した京の古寺からシリーズの3冊目の本である。
管理人は、今年4月に詩仙堂を訪ねた。京都市左京区にある国の史跡で、現在は曹洞宗永平寺派の寺でもあり丈山寺という。詩仙堂は、徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘で、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間から由来する。造営は寛永18年(1641年)に丈山59才の時に行われ、90才で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。詩仙の肖像が狩野探幽によって描かれ、詩仙の間の四方の壁に掲げられている。石川丈山は、1583年うまれの江戸時代初期の文人で、もとは武士で、石川喜右衛門尉重之と言った。大阪の役後、丈山と號した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。煎茶の祖とも言われる。詩仙堂は正確には凹凸?(おうとつか)という。でこぼこの土地に建てられた住居の意味で、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。丈山は詩仙の間を含め、建物や庭の10個の要素を凹凸?十境と見立てた。庭は四季折々に楽しむことができ、特に春のサツキと秋の紅葉が有名である。本には、これらのことが水野克比古氏のきれいな写真で丁寧に紹介され、本文は、詩仙堂住職、石川順之氏の文章で記載されている。
40.5月24日
”101人の起業物語”(2004年8月 光文社刊 竹間 忠夫/大宮 知信著)は、日本のITベンチャー起業家250人の取材データから、101人の成功物語を厳選して、彼らはなぜ成功したのかを紹介している。
成功の法則などない、あるのは成功の実例だけだ。ここ数年のうちに誕生したニュービジネスを、主にIT分野に絞って取材し、その成功者の実像に迫った。新しいビジネスモデルを作り、会社を維持発展させ、大きく育てるには何が必要か、どうやって危機を乗り越えたかなどを簡潔にまとめている。もともと日本工業新聞に5年間にわたって連載されていたコラムを、本にまとめたものである。単なる事例の列挙ではなく、章ごとにテーマを設定し分類し直され、総括として、事例から学ぶ生き残るベンチャーの条件、がまとめられている。興味ある事例がいくつかあった。
1 新しいビジネスモデルを作る
2 会社を維持発展させる
3 大きく育てるには何が必要か
4 どうやって危機を乗り越えたか
5 世の中は変えられる!
41.5月31日
”ソーシャル・ネットワーク・マーケティング”(2005年6月 ソフトバンククリエイティブ刊 山崎 秀夫著)は、自社商品のファン・クラブをインターネットで組織して販売上の効果を挙げるという、新しい関係性マーケティング手法を紹介している。
ソーシャル・ネットワークは、人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型のWebサイトで展開されているネットワークである。友人・知人間のコミュニケーションを円滑にする手段や場を提供したり、趣味や嗜好、居住地域、出身校、あるいは「友人の友人」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供する。人のつながりを重視して、既存の参加者からの招待がないと参加できないというシステムになっているサービスが多いが、最近では誰も自由に登録できるサービスも増えている。このソーシャル・ネットワーキングを活用した『コミュニティ・マーケティング』と『顧客クラブ』という新たな手法が急速に展開し始めた、という。インターネットを活用して顧客のための社交クラブを育成し、自社のビジネスと連動させるというCRMの新しいアプローチ法は、今後、ありとあらゆる産業に拡大する可能性が出てきた。そして、電子商取引企業から始まり、消費財産業へ、さらにビジネス顧客のユーザー会の組織化へと広がり始めている。本書は、この21世紀型の最新マーケティングについて、アメリカ・日本での最新事例を紹介しつつ、その魅力に迫っている。
序 章 『コミュニティ・マーケティング』と『顧客クラブ』
第1章 ソーシャル・ネットワーキングの基本的な視点を深く理解しよう
第2章 ソーシャル・ネットワーキングの台頭
第3章 経験マーケティングの新しい進化
第4章 多様に分岐するソーシャル・ネットワーキングの方向
第5章 米国におけるソーシャル・ネットワーク・マーケティングの動向
第6章 自社の顧客クラブ、ブランド・コミュニティの立ち上げ手順
第7章 ソーシャル・ネットワーク・マーケティングの未来像
42.平成20年6月7日
”成果主義の真実”(2006年3月 東洋経済新報社刊 中村 圭介著)は、日
本企業では成果主義はどのように運用されているのかを明らかにする。
いま、成果主義に対する評価が大きく分かれ、いろいろな問題点が指摘されている。問題があるにしても、これまでの日本型年功制に戻ることがよいのであろうか。成果主義は救世主でも疫病神でもない。成果主義は単なる一時的な現象であり、日本企業の人事管理は大きくは変化しないのかもしれない。あるいは、私たちはいま、時代の大きな転換期にいるのかもしれない。いずれであったとしても、いまある変化の兆しを虚心につかみ、その意義と方向を観察し記録しておくべきではないか。成果主義を導入せざるを得ないとすれば、どのような成果主義を目指すべきなのか。成果主義には、素朴な成果主義、プロセス重視型成果主義、分離型成果主義という、少なくとも3つのタイプがある。素朴な成果主義は、売上、利益、費用などの数値実績と報酬を直接、関係させるものである。プロセス重視型成果主義は、売上、利益、費用などの目標値の達成率だけではなく、成果を生み出したプロセスをも評価するものである。分離型成果主義は、成果と評価を分離し、アウトプットとしての成果そのものは評価せずに、 成果を生み出すために発揮すべきだと定められた能力が、ちゃんと発揮できたかどうかを評価するものである。成果主義の影響は賃金制度だけにとどまらず、賃金制度の変化を通して、人事管理全般に影響を及ぼす。能力開発の重要性が従来以上に高まり、企業内の人間関係が変わっていこう。これまでの日本の企業内秩序をつかさどっていたのは、年功的な秩序であったが、成果主義はその基盤を掘り崩す。従業員相互の人間関係が変わっていかざるを得ない。果たしてどのような企業内秩序が新たに形成されていくのか。本書では成果主義について概観し、その問題点を整理するとともに、日本の企業風土にあった新たな成果主義人事制度について考える機会を与えてくれる。
43.6月14日
”二尊院”(1994年11月 淡交社刊 羽生田寂裕/小松真一著)は、小倉山二尊院住職晋山、羽生田寂裕氏の文章と、京都の写真家、小松真一氏の写真で構成した見やすく読みやすい書である。
羽生田寂裕氏は、1932年嵯峨二等院に生まれ、1945年得度、1955年京都教育大学を卒業し、1977年京都市立中学校教員を退職し、1980年小倉山二尊院住職晋山として現在に至る。小松真一氏は、1953年京都市に生まれ、1977年同志社大学卒業、父親の代からの写真館で仕事を始めて現在に至る。
管理人は今年の4月に二尊院をたずねた。二尊院は、京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院である。山号は小倉山で、小倉山二尊教院華台寺という。二尊院のは、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像による。平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)に、嵯峨天皇の勅により円仁が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。境内の墓地に、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎らの墓がある。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
藤原忠平
小倉山峯のもみじばこころあらば今ひとたびの行幸待たなむ
44.6月21日
”仕事にインターネットなんかいらない”(2003年1月 幻冬舎刊 マーク・マコーミック著 草間岳洋訳)は、2003年に亡くなったマーク・マコーミックの仕事術・処世術の全体像を紹介している。
スポーツの世界で、人々によく知られた選手の肖像を商品としてCMに使うビジネスは、1950年代の米国で始まった。この肖像権ビジネスを確立したのがエージェント会社IMG(インターナショナル・マネジメント・グループ)である。IMGは1960年、マーク・マコーマック(Mark McCormack)とプロゴルファーのアーノルド・パーマー(Arnold Daniel Palmer)の握手による合意で設立された。アーノルド・パーマー、アンドレ・アガシ、タイガー・ウッズなどの著名アスリートを抱えている。スポーツ、エンターテイメント、メディアなどの総合メディア運営を行う アメリカの企業で、ニック・ボロテリーテニスアカデミーを擁する国際総合スポーツ選手養成学校、IMGアカデミーズ(IMG Academies, IMGA)の運営管理、トランスワールドスポーツの制作やミス・ワールドなどの運営を主な事業としている。マーク・マコーミックはインターネットの有用性は認めているが、懐疑的である。生きた経験と判断、変化を見極める才能などは、インターネットでは学べない、という。ビジネスでは、あらゆる局面で人の力を意識する。インターネットを使わずに仕事のスピードをあげる鉄則として、常にペンを携帯する、相手が電話をかけてくる時間帯を把握する、むやみにダブルチェックをしない、木曜日の計画は水曜日ではなく火曜日に立てる、をあげている。つまり、仕事ができる人はインターネットに頼らないのである。
45.6月28日
”女性がひらくネット新時代”(2004年6月 岩波書店刊 矢野 直明著)は、少し前のインターネットの状況と、女性の元気なわけがよくわかる。
著者の矢野直明氏は、元朝日新聞記者、編集者。社会部、整理部記者、出版局編集者などを経て、1988年にパソコン使いこなしガイドブック『ASAHIパソコン』、1995年にインターネット情報誌『DOORS』を創刊し、編集長を務めた。メディアのプロとして、メディアが社会に与える影響に強い関心をもってきた。いま女性が元気に見えるのはなぜだろうか。インターネットという新しい道具と女性の相性の良さがある。インターネットが引き起こす未曾有の社会変革が、女性に大きな活動の場を提供している。男性も女性も、老いも若きも、すべてが激動する社会の渦中にいて、これまでの社会原理を組み立て直そうとする新しいうねりの中にいる。この本は、インターネットの世界を遊泳し、新しいサイトを次々に立ち上げる七人の女性の物語である。いまインターネットを武器に,男の発想では出てこなかったユニークでアイデアあふれるネットコミュニティやネットビジネス,ネットベンチャーを成功させている女性たちが輩出している。そうした女性たちを徹取材して,女性の発想・ネットワーク力によって新しい時代に向かうネット社会を浮き彫りにしている。女性は、新しい社会をしなやかに、柔軟に、しかも確実につくりあげようという流れに嬉々として身を投じているように見える。
Ⅰ 粟飯原理咲_インターネットわくわくレディの華麗な冒険 おとりよせ.net
Ⅱ 山田メユミ_化粧品ユーザーによる化粧品「クチコミ」ガイド アットコスメ
Ⅲ 小久保徳子_ネットの信頼を取り戻そうとする同窓会サイト この指とまれ!(通称“ゆびとま”)
Ⅳ 田澤由利_転勤族の妻が北海道北見ではじめたネットオフィス ワイズスタッフ
Ⅴ 関根千佳_ユニバーサルデザインを旗印にネット社会に挑戦 ユーディット
Ⅵ 新川てるえ_自らの体験からシングルマザーサイトを立ち上げる 母子家庭共和国
Ⅶ 二木麻里_インターネット草創期にはじめた情報の整理箱 アリアドネ
46.7月5日
”法然院”(1994年12月 淡交社刊 梶田真章/水野克比古著)は、専修念佛の元祖法然房源空上人念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられたところである。
梶田真章氏は法然寺住職、水野克比古氏は写真家である。梶田真章氏は、1956年に浄土宗大本山黒谷金戒光明寺の塔頭、常光院に生まれ、1980年に大阪外国語大学ドイツ語科卒業し、1984年から法然院第31代貫主に就任、現在に至る。水野克比古氏は、1941年京都生まれで、京都をテーマにした写真集を多数出版する、京都写真の第一人者である。1969年から風景、庭園、建築など京都の風物を題材とした撮影に取り組んでいる。
法然院は、鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人が、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた草庵であった。1206年12月に、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が起きた。法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となった。その後草庵は久しく荒廃することとなったが、江戸時代初期の1680年に、知恩院第三十八世萬無和尚が、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築
かれた。浄土宗内の独立した一本山であったが、1953年に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。寺は鄙びた趣きをもつ茅葺で数奇屋造りの山門と、谷崎潤一郎や河上肇などの著名な学者や文人の墓が数多く存在することで有名である。本堂の本尊は阿弥陀如来坐像で、法然上人立像なども安置されている。方丈にある狩野光信筆の襖絵は重要文化財に指定され、境内には名水として有名な「善気水」が湧き出している。
47.7月12日
iPhone
昨日、全国のソフトバンクモバイルの販売店と家電量販店で販売開始となった。iPhoneは、2007年1月9日に発表され、同年6月29日にアメリカ合衆国にて発売された。2007年9月10日には、前日の時点で販売台数100万台となったことが発表された。2008年5月末現在、欧米など6カ国での販売台数は600万台に達した。アップルは2008年末までに累計1000万台の販売を目指している。米市場調査会社IDCによると、米国スマートフォン市場におけるアップルのシェアは13%で、カナダのリサーチ・イン・モーション(RIM)が販売する「BlackBerry(ブラックベリー)」のシェア44%には及ばないが、パームのシェア13%を上回っている。後継モデルのiPhone 3G(第二世代のiPhone)は2008年6月9日、WWDC 2008基調講演にて、日本を含む22カ国で、2008年7月11日より発売されると発表されていた。このiPhone 3Gが、日本を含む21カ国で同時発売となった。全国では正午の販売開始で、先行して午前7時に発売した直営店「ソフトバンク表参道」には、前夜から約1500人が並んだ。新規契約の場合、端末の価格は記憶容量8ギガバイトの機種が23,040円、16ギガバイトの機種が34,560円である。通話・通信料金は月7,280円からとっている。キーパッドを廃しタッチパネル主体としたデザインが特徴的である。搭載CPUの型番は 339S0030 ARM、オペレーティングシステムはiPhone OSで、GSMの提供されていない日本と韓国を除き、世界中で使えるクワッドバンドGSM端末である。これからは、日本のメーカーとの競争が激化する可能性があろう。ただし、多機能であるが、日本製に多い、ワンセグ、FeliCa、赤外線通信機能などは搭載されていない。今後が注目される。
48.7月19日
”人事のツボ~実践と導入のノウハウ”(2003年8月 秀和システム刊 小林秀司/奈良和哉著)は、移り変わる環境変化のなかにあっても、変わるもの、変わらないものがあり、それらを押さえた上での環境変化を捉えた今後の人事を考えるのに役に立つ。
著者らは、シェアードバリュー・コーポレーションのコンサルタントで、大きな環境変化で企業の人事が様変わりしつつある中での、雇用管理のあり方をいかに再構築していくかをテーマに、今後の時代にマッチした新しい人事・雇用・労務マネジメント構築のための具体的なご提案と実践を行っている。先行き不透明な厳しい時代、人事制度もこれまでの単なる労務管理の延長程度の発想ではとても成り立たなくなっている。安易な姿勢で新しい考課制度や業績給などの賃金制度を右から左に導入しても、現場の社員は混乱するばかりである。かえって会社の元気がなくなるケースが多く、これでは元も子もない。これからは、しっかりとした経営的見地からの人事設計がますます必要になっている。環境変化のなかにあっても、変わるもの、変わらないものを押さえた上で、過去の経緯、現状の把握から抽出される問題点を浮き彫りにして、そこからこれからの解決策を探ろうとしている。そもそも会社が元気に発展するためには、社長や経営幹部の思いやビジョンが現場の社員ひとりひとりに共有されて浸透し、さらに各自が自分の実務でその理念を実現するためにどう考え、行動すれば良いかがわかっていることが必要である。経営理念の共有・浸透がないままに人事評価の基準をつくつても、所詮は宝の持ち腐れで終わってしまうという。したがって、これからの人事制度は社長・経営幹部の経営理念の共有・浸透と、さらに現場の実務でそれをどう体現するかが明確になっていることが必要である。この点を実践することで、経営陣と現場の社員がお互いに納得できる人事制度が実現する。そのための、要所要所のツボを解説している。
49.7月26日
”正社員時代の終焉”(2006年2月 日経BP社刊 大久保幸夫編著)は、ポスト正社員時代の人材マネジメントについて、現状分析から将来見通しまでを解説している。
新卒一括採用に始まり、職能資格制度によって年次管理され、定年退職で終わる、いわゆる正社員雇用の仕組みこそ日本的雇用システムの特徴であった。正社員システムは企業への忠誠心を高め、安心して仕事に専念できる環境をつくってきた。その意味でいいシステムだったが、成長が前提とされない社会では高コスト構造のデメリットを吸収できない。この5年間に、正社員は400万人減少し、全就業者に占める割合も50%台に落ち込んでいる。これまでのシステムが制度疲労を起こしている。その結果、社員、フリーター、派遣社員等の混成集団を前に、モチベーション向上に現場のマネジャーは頭を抱えている。正社員のようなものは未来永劫なくならないであろう。むしろ、長期の業績を上げるためには、これまで以上に必要とされるのではないか。しかし、誰も正社員として雇用されて定年退職までの生活を保証される時代は、確実に終わるであろう。そして、正社員という言葉も、正社員という働き方を中心とした社会制度も、あとわずかの間に変わるであろう。正社員システムは、正社員として働く人に優しく、そうでない人に冷たいシステムである。正社員にならないかぎり、しばしば疎外感を味わう。両親と子供二人という標準家庭がいまや標準でなくなったのと同様に、正社員という標準的な働き方も今まさに標準でなくなろうとしている。それは正社員比率の低下によって証明される。日本の税制や社会保障制度は、正社員として働くことを前提として作られている。主婦に対する優遇税制も、正社員として働く夫を想定した制度であり、正社員システムが崩壊した瞬間に、日本の税制も社会保障制度も根本的な見直しを迫られる。これまでの正社員を中心としてつくられたシステムは終焉して、企業経営や人事制度に大きな影響を与える。個人の生活やキャリアにも大きな影響を与える。この変化を止めようとしても、それがいいことか悪いことかは別として、恐らく止められないだろう。もう今さら元へは戻れない。そして、止められない変化なのであれば、企業経営にとっても、個人の生活にとってもいい変化にしたいと思う。社員、契約社員、パート、派遣、業務委託。働く目的も、働き方も異なるこの混成集団を、どう管理していけばいいのか。
第1章 揺れる正社員システム
第2章 増え続ける非正社員の実像
第3章 何を企業の中に残すべきか?
第4章 正社員に任せる仕事・非正社員に任せる仕事
第5章 非正社員の7類型とマネジメントの要点
第6章 業務委託の成果とリスクの管理法
第7章 ポスト正社員時代に向けて
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